沼田市・利根歯科診療所 中澤桂一郎
●はじめに
一生自分の歯で食べたい――そんな思いで虫歯や歯周病の治療後にも定期的に来院される患者が増えています。利根歯科診療所でも、3~4ヵ月に一度、口腔内のチェックや歯科衛生士による専門的なケアを受けて「口の中がさっぱりした、しっかり歯を残したい」と笑顔で通われる患者が多くみられるようになりました。
一方で、歯がぼろぼろになってから、本当に困ったという顔で来院される患者も増えています。右の写真は21歳の女性、1歳半の子供を抱えながら「右上の奥歯が痛い」と飛び込んできました。診れば右上の臼歯は崩壊し、右側の歯では噛むことができず、2本は抜歯しなければならない状態でした。痛みの出た歯の神経をとり、次の予約をしました。3年前にも治療を受けていましたが、治療費は未払いで、そのまま中断になってしまったため、電話での連絡、ハガキでのお知らせもしましたが、再開には至らず、今回の崩壊した状態での来院となりました。ちなみに同患者の母親も同様に未払いという状況でした。その後は通院可能な条件を本人、家族とも話し合いながら進め、予約も最大限配慮しましたが、再び中断になってしまいました。
私たちには、歯科に来院される人々の歯の治療だけではなく、地域全体の人々の口腔環境を整え、口の健康を守っていく使命があります。利根歯科診療所として受け止めることができなかった人はまだまだ多くいます。基本的人権として歯科医療を捉え、実践していく必要性を考えます。
政府、厚労省のすすめる社会福祉の切り捨て、医療への攻撃の強化、経済や雇用の情勢が悪化する中で、経済格差はますます広がり、貧困の問題は深刻化しています。経済的な事情による医療機関への受診抑制が起こっていますが、歯科では特に深刻です。かかりたくてもかかれない人が増え、口腔内の崩壊が起こり、口の健康が失われています。経済格差、貧困がもたらす口の健康の問題について考えたいと思います。
●歯科に見られる健康格差
2003年、東北大学大学院歯学研究科の相田潤准教授は、愛知県の65歳以上の健常者を対象に郵送調査を行い、3451名のデータを用いて、どのような人が主観的健康感が悪く、歯の本数が少ない(19本以下)かを調査しました。その結果は、「所得格差が大きい地域に住む人は主観的健康感が悪く、歯の本数が少なかった。特に、歯の本数でその傾向が強かった」と報告されています。
また、相田准教授は3歳児の虫歯有病者率の地域格差の問題も研究され、「日本において、ウ蝕の地域格差は縮小していないこと」「社会経済状態と関連した指標でみるとウ蝕の格差は拡大傾向にあること」「平均所得が高い市町村では、低い市町村よりも有意にウ蝕が少ないこと」などが報告されました。虫歯の問題は個人の問題だけではなく、社会的な要因が大きく影響を及ぼしています。
●無料低額診療の取り組み
医療費の自己負担が原因で、歯科にかかることができない人のために、無料低額診療制度があり、実施している医療機関もあります。医療が必要にもかかわらず、生活の困窮を理由に医療費や介護老人保健施設の支払いが困難な人に対し、医療費の減額または免除を行う制度です。
無料低額診療制度では、単に当面の医療費が無料になるということではなく、必要な医療を実施することと合わせて、困窮している生活を立て直す取り組みについて、一緒に考え、解決していく相談機能を重視しています。保険医療における患者の自己負担については、日本の医療保険制度の自己負担率は国際的にも高い水準であり、医療が必要でも病院にかかれない状況を悪化させていると思います。この改善のため、医療保険制度を守り、前進させていくことが必要です。
●敷居を低くした歯科のあり方
歯科というところはかかりにくい、いやなところです。しかも1、2回では終わりません。働く人がかかりやすいように夜間診療をしている歯科医院も増えてきました。しかし、仕事をしながら回数をかけて通院するのは非常に難しい社会情勢です。歯科の受療率は若い世代で低く、定年退職となって時間がとれるようになると増加し、75歳あたりから通院できなくなると急激に下がっていきます。
2010年に保団連が行った「歯科医療に関する市民アンケート」では、「歯は全身の健康にとって大切」と答えた人が9割以上いたにもかかわらず、治療を放置している人は4割近くいました。治療をしない理由のトップは「時間がない」(52.0%)、続いて「費用が心配」(34.5%)、「治療が苦手」(32.1%)などの回答でした。
歯科医療における貧困と格差の問題を解決するためには、社会保障制度の充実、自己負担の軽減も重要ですが、歯科医院としてのかかりやすさの追求も重要であると思います。
先にも述べたように、歯科にかかるのは非常に大変です。かかりたくない、かかりにくいのが歯科です。患者は、気軽に受診、相談ができ、治療の後のケアもしっかりとやってもらえることを望んでいます。自費が多い、負担額が大きいという敷居と歯科そのものが持つ敷居の高さを改善していくために、工夫できる部分はあります。
利根歯科診療所では、歯科医師会でも行っているような8020表彰だけではなく、80歳未満でも一定の基準を満たした(例:①60歳で25本、②歯が少なくてもずっと長くメンテナンスに通っている)人に、独自の表彰状をお渡しして喜ばれています。治療費についても診断後に概算書をお渡しして、費用面で心配いらないように工夫をしています。
所得によって歯の残存歯数が変わる――所得の低い人ほど残存歯数は少なく、親の影響を受けた子供たちの口腔内に現れます。貧困と格差がもたらす不幸を、これからの希望ある世代につなげてはいけません。現在、「保険で良い歯科医療を」の運動で取り組んでいる「いつでもどこでもだれもがお金の心配をせず、“保険で良い歯科医療”の実現を求める請願署名」は、歯科医療従事者だけでなく、多くの国民の願いとして行っていく必要があります。
■群馬保険医新聞2015年8月号