<保険医新聞>【診察室】歯科における格差の問題

【2015. 8月 15日】

沼田市・利根歯科診療所 中澤桂一郎

 ●はじめに
  一生自分の歯で食べたい――そんな思いで虫歯や歯周病の治療後にも定期的に来院される患者が増えています。利根歯科診療所でも、3~4ヵ月に一度、口腔内のチェックや歯科衛生士による専門的なケアを受けて「口の中がさっぱりした、しっかり歯を残したい」と笑顔で通われる患者が多くみられるようになりました。
 一方で、歯がぼろぼろになってから、本当に困ったという顔で来院される患者も増えています。右の写真は21歳の女性、1歳半の子供を抱えながら「右上の奥歯が痛い」と飛び込んできました。診れば右上の臼歯は崩壊し、右側の歯では噛むことができず、2本は抜歯しなければならない状態でした。痛みの出た歯の神経をとり、次の予約をしました。3年前にも治療を受けていましたが、治療費は未払いで、そのまま中断になってしまったため、電話での連絡、ハガキでのお知らせもしましたが、再開には至らず、今回の崩壊した状態での来院となりました。ちなみに同患者の母親も同様に未払いという状況でした。その後は通院可能な条件を本人、家族とも話し合いながら進め、予約も最大限配慮しましたが、再び中断になってしまいました。

 私たちには、歯科に来院される人々の歯の治療だけではなく、地域全体の人々の口腔環境を整え、口の健康を守っていく使命があります。利根歯科診療所として受け止めることができなかった人はまだまだ多くいます。基本的人権として歯科医療を捉え、実践していく必要性を考えます。
 政府、厚労省のすすめる社会福祉の切り捨て、医療への攻撃の強化、経済や雇用の情勢が悪化する中で、経済格差はますます広がり、貧困の問題は深刻化しています。経済的な事情による医療機関への受診抑制が起こっていますが、歯科では特に深刻です。かかりたくてもかかれない人が増え、口腔内の崩壊が起こり、口の健康が失われています。経済格差、貧困がもたらす口の健康の問題について考えたいと思います。

 ●歯科に見られる健康格差
 2003年、東北大学大学院歯学研究科の相田潤准教授は、愛知県の65歳以上の健常者を対象に郵送調査を行い、3451名のデータを用いて、どのような人が主観的健康感が悪く、歯の本数が少ない(19本以下)かを調査しました。その結果は、「所得格差が大きい地域に住む人は主観的健康感が悪く、歯の本数が少なかった。特に、歯の本数でその傾向が強かった」と報告されています。
 また、相田准教授は3歳児の虫歯有病者率の地域格差の問題も研究され、「日本において、ウ蝕の地域格差は縮小していないこと」「社会経済状態と関連した指標でみるとウ蝕の格差は拡大傾向にあること」「平均所得が高い市町村では、低い市町村よりも有意にウ蝕が少ないこと」などが報告されました。虫歯の問題は個人の問題だけではなく、社会的な要因が大きく影響を及ぼしています。

 ●無料低額診療の取り組み
 医療費の自己負担が原因で、歯科にかかることができない人のために、無料低額診療制度があり、実施している医療機関もあります。医療が必要にもかかわらず、生活の困窮を理由に医療費や介護老人保健施設の支払いが困難な人に対し、医療費の減額または免除を行う制度です。
 無料低額診療制度では、単に当面の医療費が無料になるということではなく、必要な医療を実施することと合わせて、困窮している生活を立て直す取り組みについて、一緒に考え、解決していく相談機能を重視しています。保険医療における患者の自己負担については、日本の医療保険制度の自己負担率は国際的にも高い水準であり、医療が必要でも病院にかかれない状況を悪化させていると思います。この改善のため、医療保険制度を守り、前進させていくことが必要です。

 ●敷居を低くした歯科のあり方
 歯科というところはかかりにくい、いやなところです。しかも1、2回では終わりません。働く人がかかりやすいように夜間診療をしている歯科医院も増えてきました。しかし、仕事をしながら回数をかけて通院するのは非常に難しい社会情勢です。歯科の受療率は若い世代で低く、定年退職となって時間がとれるようになると増加し、75歳あたりから通院できなくなると急激に下がっていきます。
 2010年に保団連が行った「歯科医療に関する市民アンケート」では、「歯は全身の健康にとって大切」と答えた人が9割以上いたにもかかわらず、治療を放置している人は4割近くいました。治療をしない理由のトップは「時間がない」(52.0%)、続いて「費用が心配」(34.5%)、「治療が苦手」(32.1%)などの回答でした。
 歯科医療における貧困と格差の問題を解決するためには、社会保障制度の充実、自己負担の軽減も重要ですが、歯科医院としてのかかりやすさの追求も重要であると思います。
 先にも述べたように、歯科にかかるのは非常に大変です。かかりたくない、かかりにくいのが歯科です。患者は、気軽に受診、相談ができ、治療の後のケアもしっかりとやってもらえることを望んでいます。自費が多い、負担額が大きいという敷居と歯科そのものが持つ敷居の高さを改善していくために、工夫できる部分はあります。
 利根歯科診療所では、歯科医師会でも行っているような8020表彰だけではなく、80歳未満でも一定の基準を満たした(例:①60歳で25本、②歯が少なくてもずっと長くメンテナンスに通っている)人に、独自の表彰状をお渡しして喜ばれています。治療費についても診断後に概算書をお渡しして、費用面で心配いらないように工夫をしています。

 所得によって歯の残存歯数が変わる――所得の低い人ほど残存歯数は少なく、親の影響を受けた子供たちの口腔内に現れます。貧困と格差がもたらす不幸を、これからの希望ある世代につなげてはいけません。現在、「保険で良い歯科医療を」の運動で取り組んでいる「いつでもどこでもだれもがお金の心配をせず、“保険で良い歯科医療”の実現を求める請願署名」は、歯科医療従事者だけでなく、多くの国民の願いとして行っていく必要があります。

■群馬保険医新聞2015年8月号

<保険医新聞>【診察室】エボラ出血熱

【2015. 3月 15日】

群馬県衛生環境研究所長
地方衛生研究所全国協議会長   小澤邦壽 

▐ はじめに
 エボラ出血熱(Ebola hemorrhage fever, 以下EHF)は、1976年に中央アフリカ、旧ザイール共和国(現在、コンゴ民主共和国)北部のエボラ川流域に新たに出現した、多彩な全身症状(呼吸器症状、消化器症状、神経症状、出血傾向)を示す、きわめて致死率が高い急性重症ウイルス感染症です。

▐ エボラウイルス(EBOV)
 エボラウイルスはフィロウイルス科・エボラウイルス属に分類されるウイルスで、その名のとおり、ウイルス粒子はひも状の多彩な形態を示します。現在、EBOVは5つの種(species)が同定されていて、種によって著しく病原性が異なります。病原性が最も高いのは、ザイール種(EBOV-Z)とスーダン種(EBOV-S)です。他にブンディブギョエボラウイルス(EBOV-B)、タイフォレストエボラウイルス、およびレストンエボラウイルスが同定されています。文献によればEBOV-Z感染例での致死率は約80%、EBOV-Sにおいては約50%、EBOV-Bは約30%と報告されています。
 
▐ 1970年代から2013年までのEHFの流行
 EHFは、1976年に旧ザイール共和国に出現しましたが、スーダンでも流行が確認され、その後、中央アフリカ地域を中心に、多くても数百人の小中規模の流行をくり返し、約40年間に、EBOV-ZとEBOV-SによるEHF患者総数は約2,350人で、死者は約1,550人(致死率約66%)であったと推計されています。

▐ 2014年のEHF流行の特徴
 これまでの流行では、EHFはむしろ中央アフリカ地域の風土病的な色彩が強く、同時期の複数地域での感染拡大は見られず、また人口密集地でのEHF流行は起こりませんでした。しかし、今回のEHF大流行では、西アフリカ地域、特にギニア、リベリア、シエラレオネを中心に短期間に多数の感染者を出しました。2015年1月末時点で、感染者総数は約2万1,000人、死者総数は約8,900人(推定致死率約42%)を超えていることが推定され、新規報告数は減少傾向にあるものの、未だ流行は制御されていません。今回の流行の原因ウイルスは、上述した致死率が最も高いEBOV-Zですが、詳細なウイルス学的解析により、過去に中央アフリカ地域で検出されたEBOV-Zとは遺伝学的に異なる株であると推定されています。

▐ 2014年のEHF流行の発端
 今回の流行は、ギニア南西部ゲケドゥグ村の2歳男児が発端であると推定されています。この村は、リベリア・シエラレオネ国境沿いに位置し、国道を通じ両国に移動が容易であることから、家族内流行や院内感染を介して、急速に流行が拡大したものと考えられています。

▐ EHFの臨床像
 EBOV感染後、通常2~7日(最大21日)の潜伏期間を経て、発熱、悪寒、関節痛などインフルエンザ様の初期症状が出現します。その後、数日の間に呼吸器症状(咳、胸痛など)、消化器症状(嘔吐、下痢)および粘膜充血症状などが出現し、さらに神経症状、下血ならびに歯茎、鼻腔粘膜、結膜などから血性漏出物が見られるようになります。直接の死因はDIC(播種性血管内凝固症候群)および多臓器不全です。一般検査では、発症初期においては末梢血の白血球数(好中球・リンパ球)減少、AST・ALT(肝臓などの細胞に含まれる酵素の濃度)の上昇がみられ、病態が進むと血液凝固能異常(プロトロンビン時間延長など)が見られます。末期には多くの患者が細菌の二次感染による肺炎を併発するといわれています。

▐ 感染経路
 EBOVの自然宿主はオオコウモリで、アフリカでは蛋白源としてコウモリを食用にする習慣があるため、感染源になったものと推定されています。EBOVはヒトに感染した場合、血液のみならず、ほとんどの体液中(唾液、鼻腔などからの粘液、嘔吐物、下痢便、汗、母乳、涙、尿および精液)に高濃度のウイルスを排出するため、感染力の強さと相まって流行は急速に拡大します。ただし、患者や遺体との直接の接触以外の経路、例えば蝿や蚊などを介した間接的な伝播は、これまで一例も確認されていません。また、この地域独特の風習(死者に素手で触れる・添い寝するなど)が拡大に関与したものと考えられています。不顕性感染は殆どないとされています。

▐ EHFの治療および予防
 現在まで、流行地において臨床応用が可能なEBOVに対するワクチンや抗ウイルス薬は存在せず、治療は対症療法が主体でした。下痢や嘔吐で失われた電解質の喪失に対する高用量の輸液が効果的であったとの報告があります。また、富士フイルムのグループ会社が開発した抗インフルエンザ薬「アビガン®」(ファビピラビル)がEBOVの増殖抑制効果を示し、EHFにも有効であるとの臨床試験の中間解析結果が2015年2月に出たところです。フランス国立保健医療研究機構が解析結果の概要を発表したもので、ウイルス量が比較的少ない患者群では死亡率が30%から15%に半減したと報告されています。対象はアビガンの投与を受けた80人のEHF患者で、治療開始時点でウイルス量が「中程度」「多い」とされた患者の死亡率は15%と、従来の30%を大きく下回ったのに対し、ウイルス量が「非常に多い」とされた患者は臓器不全が進行し、投与を受けても93%が死亡しました。これ以外の有望な治療法として、EBOVに対するワクチンの開発が進んでおり治験が行われています。モノクローナル抗体の混合カクテル製剤(ZMapp)は、サルでの有効性が確認され、ギニアで感染したアメリカ人医師に緊急措置として使用され、効果が見られたとの情報もあります。治療薬、ワクチンの表を示します。

■エボラ出血熱の治療薬剤候補一覧
●症状改善
 rNAP2  凝固異常改善
 rhAPC activated protein C ; 敗血症治療で承認

●ウイルス増殖抑制
 Favipiravir ゲノム複製阻害;抗インフルエンザ薬で承認 
                           (アビガン®)
 BCX4430 ゲノム複製阻害
 siRNA ゲノム複製阻害
 PMOs 翻訳阻害

●免疫関連
 ワクチン   アデノウイルスベクター、VSVベクター
 Zmapp ヒト型中和抗体カクテル、受動免疫
         (サルで有効性確認)
 ※ エボラ出血熱の回復期患者血清を用いた血清療法は緊急処置として用いられ、効果があったとされる。

▐ 国内へのEBOV侵入と二次感染のリスク
 我が国での予防は、流行地で感染し入国した患者の病院内二次感染および感染拡大防止が重点となるので、基本的には、医療従事者の防護服(PPE)の着用と、患者の排泄物、特に血液や体液の処理に際しての厳重な管理が最も重要です。ただし、いたずらにEHFを危険視することは無意味であり、過剰な不安を煽ることになり有害でさえあります。事実を冷静に分析してみると、流行の中心となっているシエラレオネは人口600万、面積は岡山県とほぼ同じですが、平均寿命が40歳、国全体で医師が約200人、看護師2000人程度とされるアフリカ最貧国の一つです。すなわち、感染症に対抗できる医療インフラについては、ほぼなきに等しい状況です。これに対して、急性期を強力にサポートする集中治療体制を整え、有効性が確認された唯一の治療薬であるアビガン®を開発した技術力を持ち、ヒトでも効果があるとされるZMappの臨床応用も近いという現状を鑑みるならば、日本国内にEBOVが侵入し、さらに二次感染までひき起こすというリスクは、ほぼゼロに近いと考えてよいでしょう。

 なお、詳細については、国立感染症研究所ホームページ(http://www.nih.go.jp/niid/ja/ebola.html)およびWHOWEBサイト(http://www.who.int/csr/disease/ebola/en/)を参照してください。

【参考文献】
1. Feldman H, Sanchez A, Geisbert W. T. Filoviridae: Marburg and Ebola viruses. In: Knipe DM, Howley PM editors. Fields in Virology. Philadelphia: Lippincott Willams & Wilkins, 2013, 923-956.
2. WHO Organization. http://www.who.int/csr/disease/ebola/situation-reports/en/
3. Baize S., et al., Emergence of Zaire Ebola virus disease in Guinea. N Engl J Med. 2014;371(15):1418-25.
4. Kimura H., et al., A review of Ebolavirus Disease: Literatures Sited. J Coast Life Med. 2014;4(1): 930-935.

■群馬保険医新聞2015年3月号

<保険医新聞> 【診察室】スポーツ頭部外傷と適切な対応

【2015. 2月 15日】

前橋赤十字病院 脳神経外科  朝倉 健

 先日、フィギュアスケートの羽生結弦選手が中国大会における他の選手との衝突というアクシデントを乗り越えて、グランプリファイナルで鮮やかな4回転ジャンプを2本決めて連覇しました。羽生選手のさわやかな笑顔と底知れぬ才能と精神力に感動した方も多いと思います。その快挙を賞賛する声が多い中、けがをした時は本当に出場して大丈夫なのか心配しましたね。
 平成24年度、成人の週1回以上のスポーツ実施率は47.5%まで上昇しており、医療従事者がスポーツ外傷の現場に出くわすことは稀ではなく、専門家でなくてもスポーツ頭部外傷で何が重要でどのような対応を取るべきか、知っておいて損はありません。それでは脳振盪と急性硬膜下血腫に焦点を絞って解説いたします。

●脳振盪の症状
 近年、スポーツ頭部外傷における脳振盪への対応が重要視されています。
 脳振盪の症状は、一過性意識障害や健忘だけでなく、頭痛や気分不良などの幅広い症状を含んでいます。頭痛やめまい、耳鳴り、気分不良、ぼーっとするなどの自覚症状に加え、一時的な脳機能障害としての精神・認知機能障害、情動障害、平衡感覚障害、失見当識、反応時間の低下、易刺激性、睡眠障害など様々な他覚的症状のこともあります。最も多い症状は頭痛、次にdizziness(ぼーっとする)で、意識消失の頻度は10%程でさほど高くありません。認知障害は外傷から数時間遅れて生じることがあり、注意を要します。また、頭痛、dizziness、嘔気、倦怠感、眠気などの症状は次の脳振盪率を高める危険性が高い症状とも言われています。

●脳振盪の発生機序と危険因子
 脳振盪は回転加速度損傷で脳が揺さぶられることで生じます。脳の神経機能や反応速度が低下しますが、幼弱な脳ほど感受性が高く、反復損傷が起こるとさらに回復が遅くなり、脳振盪後には完全な休養と競技休止期間が必要です。
 まだ症状が残存している時期に復帰した際、2度目の軽い頭部外傷を受けた後に致死的な脳腫脹をきたすことがあり、セカンド・インパクト症候群と呼ばれています。発生機序として脳血管自動調節能の障害による急性脳腫脹が考えられていますが、急性硬膜下血腫である可能性もあり、その本体はなお明らかではありません。ただし致死的なスポーツ外傷を予防するという観点からは、最初の脳振盪症状が残存している時期での競技復帰は軽い外傷でも重症化する危険があり、頭痛などの症状が持続する場合にはCTやMRIで硬膜下血腫を除外しておくことが重要です。

●脳振盪の評価
 脳振盪に対して各スポーツ団体のガイドラインが作成され、脳振盪評価スケール(Sports Concussion Assessment Tool: SCAT)として発表されていますので提示いたします=表1。

●競技復帰基準
 脳振盪と診断したら、もちろん同日の復帰は不可です。十分な身体的・精神的休息をとり、脳振盪の症状が完全に消失するまで、競技への復帰は望ましくありません。症状が消失したら通常6段階のプログラムで徐々に負荷を加えていきます。この段階的プログラムは、1.活動なし、2.軽い有酸素運動、3.スポーツに関連した運動、4.接触プレーのない運動・訓練、5.接触プレーを含む運動、6.競技復帰、からなり、各段階を24時間ごとに進むので、最短でも競技復帰には1週間程度必要となります。19歳以下の若年、女性は、成人、男性と比較して回復が遅いことが指摘されています。
 羽生選手の場合、下顎の裂傷があり、しばらく起き上がれない状態でしたので、脳振盪と判断し、直ちに競技を止めなくてはいけません。フィギュアスケートは転倒による頭部打撲の危険も多く、まして架橋静脈という脳と静脈洞をつなぐ静脈の破綻があった場合、スピンすることにより急性硬膜下血腫の危険があります。現場の医師が許可した様ですが、アドレナリンの出ている競技者の出場意欲を抑える役割を果たしていません。今回は結果オーライであり、最悪競技人生を棒に振った可能性もあります。

●急性硬膜下血腫
 重症スポーツ頭部外傷として急性硬膜下血腫はその多くを占めます。柔道、ボクシング、ラグビー、アメリカンフットボール、スキー、スノーボードなどで多く、患者のほとんどが高校生以下の若年者です。当院でもラグビーによる急性硬膜下血腫で手術を行いましたが亡くなられた高校生のケースがあります。
 2012年から中学校の保健体育の授業で武道が必修化されましたが、死亡率の高い柔道に関する事故の報告が多く見られます。死亡・重度障害の原因のほとんどが急性硬膜下血腫で、特に中学1年生、高校1年生の初心者にピークがあり、実力差や体力差がある者との練習中に発生しています。発生の状況としては大外刈りによる後頭部打撲時が最も多く、十分な受け身を取れずに床に打撲した結果です。30年間で118名の子どもたちが学校柔道事故で犠牲になっている異常性を認識するべきです。

●おわりに
 スポーツは人間の成長や健康維持に必要なことであり、アスリートの姿に感動し憧れを抱くものですが、小児期に限らずスポーツによる死亡事故は絶対に避けなければなりません。現場の指導者など関係各位に徹底した医学的啓蒙活動が行われることを期待します。

*表1ポケット版脳振盪評価手引

■群馬保険医新聞2015年2月号

【診察室】総合診療医とは

【2014. 8月 15日】

総合診療医とは

前橋協立診療所 高柳亮 

 ●多死時代到来
 

 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」によると、2015年には「ベビーブーム世代」が前期高齢者(65~74 歳)に到達し、その10年後(2025年)には高齢者人口は約3500万人に達すると推計されています。必然的に年間死亡者数は急増し、2015年には約140万人(うち65歳以上約120万人)、2025年には約160万人(うち65歳以上約140万人)に達すると見込まれています。

 ●高齢者医療
 

 高齢者は多くの疾患を抱えていることが多く、以下に示す様な事例は珍しくありません。

 COPD、心房細動、糖尿病、高血圧、脂質異常、糖尿病性腎症、坐骨神経痛、糖尿病性網膜症、白内障のため総合病院に通院していた73歳男性。過去ヘビースモーカー。3か月前に脳梗塞のため右不全麻痺と構音障害が出現した。脳神経外科で急性期治療、回復期病棟でリハビリテーションを行い、食事、更衣、排泄はほぼ自立となったが、入浴や家事は見守りを要する状態となった。入院中は抑うつ、頻尿に対して内服薬が追加された。長期作用性抗コリン薬、長期作用性β刺激薬とステロイドを吸入し在宅酸素療法中、インスリン自己注射、血糖自己測定を行い、ワーファリン、ACE阻害薬、Caブロッカー、スタチン、NSAIDS、漢方薬、ベンゾジアゼピン、SSRI、αブロッカーを内服中。退院後に備えて介護申請を行い、要介護1と認定された。退院を機に転居し、娘さんと同居を開始。「眼科以外の診療全般を主治医として担当してほしい」との診療情報提供書を携えて娘さんと来院した。本人からは、「娘に迷惑ばかりかけて、こんなことなら早く死んでしまいたい」との訴えあり。娘さんからは、「退院後、転倒を繰り返しており、認知症の症状も目立ってきた」と涙ながらに相談を受けた。

 ●「かかりつけ医」の奮闘
 

 この事例の方が専門医にかかるとしたら、いったいいくつの科に通わねばならないでしょうか。呼吸器内科、循環器内科、代謝内科、腎臓内科、整形外科、眼科、精神科、泌尿器科、リハビリ科……。月に1回としても3日に1回は医者通いとなり、現実的ではありません。主治医が様々な病気の管理を引き受けて、優先順位を考えて治療を行うことが求められます。ポリファーマシ―への介入(薬の整理)も必要となるでしょう。多職種と連携して、介護やリハビリテーションをいかに行っていくか考えるのも主治医の役目です。さらにこの方の場合、脳梗塞再発や虚血性心疾患、COPD急性増悪などで、急に病状が悪化する可能性も高く、急性期の対応に精通しておくことはもちろん、延命治療や胃瘻など、人工栄養をどうするのかを予め相談しておくこと(アドバンスケアプランニング)も重要となります。そのためにはこの方の価値観や歩んできた人生、ご家族との関係性など多くのことを把握しておかねばなりません。
 今まで、このような医療活動を地域で支えてきたのが、「かかりつけ医」の先生方でした。自身の専門分野以外についても生涯学習を積み重ね、国民のニーズに応えてきました。「総合診療医」を目指す若手医師が、「かかりつけ医」の先生方の姿勢から学ぶべきことは少なくありません。しかし、超高齢化・多死時代に立ち向かっていくためには、地域のみならず、病棟、救急、在宅など様々なフィールドにおいて、幅広い知識と問題解決能力を持った医師を体系的に育て、増やしていくことが必要となってきています。

 ●専門医のあり方検討会

 厚生労働省が平成23年度に設置した「専門医の在り方に関する検討会」において、専門医制度改革についての議論が重ねられ、本年4月に最終的な報告書が発表されました。その大きな柱の一つとして、総合診療専門医が位置づけられることが明記されました。報告書では、総合診療専門医の専門性について、「領域別専門医が『深さ』が特徴であるのに対し、『扱う問題の広さと多様性』が特徴」としています。総合診療専門医の役割としては、「日常的に頻度が高く、幅広い領域の疾病と傷害等について、わが国の医療提供体制の中で、適切な初期対応と必要に応じた継続医療を全人的に提供する」ことが求められており、また、「地域によって異なるニーズに的確に対応できる『地域を診る医師』としての視点も重要であり、他の領域別専門医や他職種と連携して、多様な医療サービスを包括的かつ柔軟に提供することが期待される」と記載されています。
 総合診療専門医の専門性については、表現が抽象的でイメージしにくい、他の専門医との違いがわかりにくいとの声が聞かれます。昨年、日本プライマリ・ケア連合学会が提示した「総合診療専門医が備えるべき臨床能力の例示」を以下に示します。
 それぞれの診療場面自体の難易度は、当該診療科にとってそれほど高いわけではないのですが、例示したすべての場面に対応できる能力を修得するには、やはり体系的なトレーニングが必要と思われます。

総合診療専門医が備えるべき臨床能力の例示
(1人の専門医が、以下のすべての項目を実践できること)

◇外来で
・健診で初めて高血圧を指摘された患者について、疾患の説明、二次性高血圧の除外、食事運動指導、自宅血圧管理指導、禁煙指導ができる。
・不眠と頭痛で受診した患者について、うつ病を的確に診断し、自殺念慮を確認して精神科に適切にコンサルトできる。
・動悸、全身倦怠で受診した患者について、適切な鑑別診断を行ってバセドウ病と診断し、抗甲状腺薬による治療を開始できる。
・女性の月経前症候群や更年期障害の診断と治療を行い、必要に応じて専門科にコンサルテーションできる。
・小児の予防接種について、母親に正確に説明し、適切に実施できる。
◇救急当直で
・気管支喘息中発作で受診した小児患者にガイドラインに準拠した治療を行って、翌日の小児科外来受診を指示できる。
・テニスのプレー中に転倒して足首痛を訴える患者について、適切な初期評価・治療、および必要に応じて固定まで行い、整形外科受診を指示できる。
・胸背部痛で受診した患者について、大動脈解離と診断して循環器外科医に適切にコンサルトできる。
・鼻出血で受診した患者について、止血処置を含めた適切な初期対応ができる。
・食欲不振、ADL低下で受診した高齢患者について、肺炎と診断して入院の判断ができる。
◇病棟で
・脳梗塞後遺症、認知症、糖尿病があり、誤嚥性肺炎で入院した高齢患者の全体のマネジメントができる。
・様々な症状緩和や倫理面の配慮を含めた癌・非癌患者の緩和医療ができる。
・熱中症で入院した独居老人について、脱水の補正を行い、 全身状態の改善を図るとともに、退院後のケアプランの調整ができる。
・不明熱で入院した患者について全身精査を行い、悪性リンパ腫を疑って血液内科専門医にコンサルトできる。
・外科の依頼を受けて、糖尿病患者の周術期の血糖コントロールができる。
◇地域で
・寝たきりで褥瘡を作った患者の訪問診療を行い、褥瘡の治療を行うとともに、ケアマネージャーや介護職と相談して、ケアプランを見直すことができる。
・COPD で在宅酸素療法を受けている患者の医学的管理を行うとともに、訪問看護師、理学療法士と協力して、ADLの維持に努めることができる。
・学校医として、小学生の健康管理と学校への適切な助言ができる。
・地域住民を対象として、禁煙教室を開催できる。
・地方自治体の担当者と協力して、子宮頚癌ワクチンの導入に関する協議に参画できる。

 ●おわりに

 「総合診療医」は、「かかりつけ医」の先生方の背中を見てリスペクトしながら、日々精進していくことが求められます。そして「かかりつけ医」の先生方とタッグを組んで、高齢化が進む日本の医療を担っていかねばなりません。高度に専門分化した医療を、国民ひとりひとりに、真に役立つ形でお届けしていくために。

■群馬保険医新聞2014年8月号

【診察室】子どもの甲状腺癌とエコー検診について

【2014. 5月 15日】

子どもの甲状腺癌とエコー検診について

高崎中央病院 鈴木 隆

 ■はじめに
 福島第一原発の事故は、避難を続けている原発周辺の住民、低線量だが自然放射線よりははるかに高い放射線量汚染地域にとどまって暮らしている人たち、また福島県外でも放射線被ばくによる子どもへの影響を心配するたくさんの家族に、大きな不安と生活の負担、困難をもたらしています。私は放射線医学の専門家ではありませんがこの問題に関心を持ち、それなりに学習し、またわずかですが子どもの調査や検診にも関わってきたので、知っている範囲で書かせてもらいました。

 ■癌の発生は?
 今回の原発事故での地域住民への健康障害で問題になるのは、将来の癌発生率が高まるかどうかでしょう。よく知られているのは、被ばく線量100mSv以上では線量に比例して癌の発生率が高まるという話です。しかし、これは100mSv以下については現在の統計学的方法では他の要因と区別できないということで、これ以下なら大丈夫というわけではありません。また、外部被ばくと内部被ばくでは体への影響が異なるということもあります。最近の論文では、原発労働者や医療被曝の調査から10mSvでも癌の発生率が上がるという報告もあります(「国際原子力ムラその形成の歴史と実態」日本科学者会議編・2014)。少ない線量でも可能性はあると考えるのが妥当だと思います。

 ■チェルノブイリ原発事故による健康障害
 1986年のチェルノブイリ原発事故による住民の健康障害はベラルーシ、ウクライナ、ロシアなどの医師・学者を中心に多数の多彩な疾患の発生・増加の報告があります。(詳細は「チェルノブイリ被害の全貌」岩波書店・2013、「ウクライナ政府報告書」「バンダジェフスキーの論文」合同出版・2011など)。これらの報告を見ると、WHOの公式見解(急性放射線障害134人《2006》、甲状腺癌6000人《2011》)とまったく違うので驚きます。日本の政府などは当然ですが、WHOの見解を前提に動いています。

 ■甲状腺癌
 チェルノブイリ原発事故による健康被害をなるべく認めないようにしてきた人たちも、子どもたちの甲状腺癌の増加は認めざるをえませんでした。図1は、ベラルーシの子どもの甲状腺癌発生率です。4年後から上がり、20年以上経っても発生が続いています。患者数はいろいろな報告が出ていますが、ベラルーシ保健省からは事故当時0~18歳で8161人という数字が出されています。ロシア、ウクライナからもそれぞれ2~3000人台の報告があります。図2は、チェルノブイリと福島の甲状腺への被ばく量の比較です。先日のNHKの番組では、福島での甲状腺への被ばくは最大で30mSv台という推測がされていました。だからといって大丈夫とはとうてい言えないので、やはり今後検査を続けることは必要です。

 ■福島県民健康調査
 福島県では放射線被ばくの影響を調べていくため、県民健康調査を行っています。子どもの甲状腺エコー検診はその一つです。事故当時18歳以下(胎内にいた子も加えた)の全員にエコー検診を行うもので、2011年度~13年度で1回目の先行検査が終わったところです。14年度から本格検査が始まり20歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとに行うとされています。今結果がまとまってきている先行検査は、放射線の影響が考えにくい時期に行う現状確認のための検査と位置づけられています。
 甲状腺エコー検査の所見は、結節と嚢胞について大きさ、数を測って評価します。A判定は次回検査を受けるもので、A1:所見なし、A2:5.0mm以下の結節、20.0mm以下の嚢胞、B判定は二次検査を要するもので、5.1mm以上の結節、20.1mm以上の嚢胞、C判定は直ちに二次検査を受けるものと分類しています。
 ほぼ県内ひととおり終わったところでの結果は、約26万9千人(対象者の80%)の中で、A1:13.5万人(53%)、A2:11.8万人(46.3%)、B:1795人(0.7%)、内訳は5.1mm以上の結節1778人、20.1mm以上の嚢胞11人でした。C:1(0.0%)です。私の病院でも福島から避難している子や地域の市民団体の検診希望者の子どもたち年間20~30件に甲状腺エコーを行っていますが、約半数に2~3mmの嚢胞が見られます。そのうちの半分くらいがコロイド嚢胞です=図3。福島の検診で話題になっているのは、二次検診のうち369人に細胞診が行われ75人が悪性の疑いとなり、手術の結果34人に甲状腺癌が見つかったことです。この数字をみると、もうそんなことになっているのかと驚く人もあると思います。
 県のホームページに年齢や事故時の居住地(市町村)が出ています。それを見る限り、原発に近い町で癌が多いようには見えません。癌の子どもは町や村で0~2人、市で2~21人です。福島市は12人、郡山市が一番多く21人ですが、人口あたりでは0.03%で特に多くありません。このように一つの県の30万人もの子どもの甲状腺エコー検診を行うのは初めての試みであり、比較するデータがありません。やはり今後このデータを基に何十年も検診を続けることでいろいろなことがわかってくるのだと思われます。

 ■原発事故にどう向き合うか
 原発事故が被災者の間や国民にさまざまな分断をもたらしています。放射線被ばくの医学的な健康被害は不明ですが、原発事故全体が国民に大変な被害をもたらしていることは間違いありません。情報公開・測定・検診・医療保障が大事だと思います。
 これまで取り組まれてきた、それぞれの地域の放射線量の測定や食べ物の測定は、今後も続ける必要があります。住民の検診も福島だけでなく広範囲に希望者には行い、継続すべきだと思います。大事なことは実際に測って、検査して市民に確認してもらったうえで安心してもらうこと、それをずっと続けることです。福島県では18歳までの医療費が公費になっていますが、甲状腺検診はこのあと何十年も続くので、二次検診や治療について18歳を超えても公費でできないと片手落ちです。ぜひ群馬以上に福島の医療制度が充実されることを期待します。ホットスポットは群馬にもあります。福島の甲状腺検診を見守りながらも、場合によっては私たちも関われるように関心を持ち続けることが大事だと思います。

図1、2
図3

■群馬保険医新聞2014年5月号

【診察室】遠隔医療最前線

【2014. 4月 15日】

遠隔医療最前線

沼田市・利根中央病院外科部長
日本遠隔医療学会
郡 隆之

 昔テレビでウルトラマンの科学特捜隊が時計型のテレビ電話で会話するシーンをワクワクしながら見たものですが、今ではスマートフォン(スマホ)で簡単に同じことができるようになりましたね。先日も北海道の両親とiPad(タブレットPC)で無料のテレビ電話をしたばかりです。同じように、テレビ電話を使って在宅患者を診察したり、レントゲン写真や病理標本を遠隔で操作して診断する遠隔医療が可能な時代となりました。

 遠隔医療(Telemedince and Telecare)とは、「通信技術を活用した健康増進、医療、介護に資する行為」と日本遠隔医療学会では定義しています。医師の偏在などによる医療の不足を補う手法の一つとして期待されており、遠隔医療により在宅患者を診療している施設も登場しています。また、不必要な搬送の抑制による医療の効率化や患者の専門医へのアクセス向上など、さまざまな利点があります。

 厚生労働省は、平成9年より遠隔診療を認めており、最新の通知『情報通信機器を用いた診療(いわゆる「遠隔診療」)について』(平成23年3月31日)では、「診療は、医師と患者が直接対面して行われることが基本であり、遠隔診療は、あくまで直接の対面診療を補完するものとして行うべきものである。直接の対面診療による場合と同等ではないにしてもこれに代替し得る程度の患者の心身の状況に関する有用な情報が得られる場合には、遠隔診療を行うことは直ちに医師法第20条等に抵触するものではない」とされています。遠隔放射線画像診断や遠隔術中迅速病理診断など診療報酬にも盛り込まれており、厚生労働省による平成23年度の調査では、遠隔放射線画像診断を行う医療機関は2,403件、遠隔病理診断を行う医療機関は419件、在宅支援を行う医療機関は560件ありました。

 当院でも画像診断の一部は群馬大学放射線科による遠隔画像診断を行っています。診療報酬に収載されていない遠隔医療も実用化しているものが多くあります。当院では、夜間休祭日のオンコール医師が病院に来なくても自宅のPCで病院の医療画像を閲覧できるシステムを導入しています。症例によっては自宅からの対応のみで済ませたり、病院へ行くまでの間に治療を進めてもらうことができ、医師の負担軽減と早期診断の両方に威力を発揮しています。このシステムを基に、2年前から経済産業省の補助金で遠隔医療を専門とするViewsend社とクラウドシステムの開発を行い、昨年完成しました。クラウド化することで、自宅のPC以外に外出先のスマホなどの携帯端末からも簡単に閲覧できるようになり、すでに県内の複数施設に導入しました。
 また、医療圏として遠隔医療を運用している地域もあります。沼田保健医療圏では平成22年から7病院と16診療所を結ぶ遠隔医療ネットワークを構築し、医療画像の伝送を行っています。開業医から病院に依頼されたCT検査などの画像や、患者転院時の画像を伝送しています。現在、月50件以上の医療画像が施設間で飛び交っています。
 政府は遠隔医療を推進する体制をとっておりますが、診療報酬のついている遠隔医療行為は少ないことや、診療報酬がついていても対面診療より低い報酬になる領域があることなどから、政府が思っているほど広がっていないのが現状です。そのため、厚生労働省の遠隔医療研究班では、遠隔医療の普及のために必要な枠組みを検討しています。

 平成23年には、酒巻哲夫前群馬大学教授を主任研究者とした多施設共同研究を行い、脳卒中、がん、神経筋疾患などの在宅医療患者に遠隔医療を併用することの安全性と有効性を評価し、小生も解析に加わりました。
 全国の20診療所で遠隔診療+対面診療群(遠隔群)と対面診療群(対面群)の2群に振り分け、遠隔群60例、対面群68例がエントリーしました。主要評価項目は、1 回の診療における実診療時間の割合の平均値[実診療時間/(実診療時間+1件当たりの移動時間)]とし、副次的評価項目は、患者のQOL(SF-36)の総得点、患者家族のQOL(BIC-11)の総得点、イベント発症率、入院率、死亡率を比較しました。
 遠隔診療で移動時間が軽減されることで、1回の診療における実診療時間の割合が遠隔群で上昇しました。一方、SF-36・BIC-11の総得点の変化、イベント発症率、死亡率は両群間で統計学的に有意差を認めず、遠隔医療を併用した訪問診療は安全性を損なうことなく診療効率を高められる可能性が示唆されました。(*1)
 現段階では診療報酬化は未定ですが、もし今後収載された際には「このことか」と思っていただければ幸いです。
また、遠隔診療については日本遠隔医療学会から「遠隔診療実践マニュアル 在宅医療推進のために」(篠原出版新社)が発売されております。小生も執筆しましたので興味のある先生は是非ご一読ください。

*1 「訪問診療における遠隔診療の事象発生、移動時間、QOLに関する症例比較多施設前向き研究」
   郡隆之、酒巻哲夫、長谷川高志他 
   日本遠隔医療学会雑誌9(2):110-113,2013

■群馬保険医新聞2014年4月号

【診察室】ソフロロジー式分娩法

【2014. 3月 15日】

ソフロロジー式分娩法

沼田市・久保産婦人科医院 久保郁弥 

 はじめに

 現代の科学・医学がここまで発達して、母体および新生児の死亡率が極めて減少したとしても、いまだに各個人の妊娠・分娩経過を十分に予測できるとはいえません。
 それというのも分娩は、1,000人妊婦がいれば1,000通りの経過をたどり、一個人にせよ毎回違う分娩経過をたどる極めて個人的なものだからです。子宮を含め、骨盤の中では刻々と何が展開してるのか、未知なところが多いのです。他の診療科から比べるともっとも古典的であり、非科学的な学問ではないでしょうか。
 子宮の中は、ブラックボックスと言えるところもあります。分娩経過は予測出来ないエピソードが次々と起こり、いつ何時急変するかわかりません。世の中の風潮では、正常に生まれてきて当然と考えられていますが、産科医としては偶然にも正常に生まれてきたという意識を持たざるを得ません。分娩までの経過・処置の内容に関わらず、結果がすべてという診療科に、医学生からの人気がないのは当然といえば当然かもしれません。私自身もお産をすればするほど、その怖さを思い知らされます。第三者がこんなことを感じているのですから、妊婦自身はどうでしょうか。
 近代以前、女性の死亡原因のトップは出産であり、お産は命をかけてするものでした。麻酔もなく、帝王切開も出来ない時代では自然分娩しかできなかったのですから、お産に対する恐怖心や先入観を克服するのはざぞかし大変だったでしょう。現代の分娩方法は、帝王切開を除くと麻酔を使った無痛分娩(和痛分娩)と自然分娩とに大別されますが、今回は、自然分娩の中のソフロロジー式分娩法を紹介します。

 自然分娩法の流れ

 昔の人にとってもお産は恐怖であり、科学が発達する以前は、いかに無事に出産するかは神頼みだったようです。祈祷師が活躍したり、悪魔祓いをしたり、偽薬を飲ませたり、中世のヨーロッパでは魔女狩りが行われたこともあるそうです。
 19世紀になると麻酔が登場し、お産に応用され、無痛分娩が普及し始めました。これに伴い、自宅での分娩から施設での管理分娩に移行することになり、死亡率は歴然と減少しました。一方、女性の中には薬物投与や徹底管理された医療行為に対する恐怖心や不満、出生児の安全性に不安を抱き、1960年代後半から社会的風潮として台頭してきたウーマンリブ運動や自然回帰運動が追い風となって、「産ませてもらうお産」から「自分でお産をする自然分娩」への憧れが強くなり、世界各地でいくつかの手法が考案されました。その一つで有名なのが、ラマーズ法です(その他、リーブ法、マタニティヨーガ、アクティブバース、ソフロロジー法等があります)。

 自然分娩

 麻酔を使わず、陣痛をコントロールし、医療介入を最小限に留め、妊婦自身が主体的に積極的にお産に取り組むことを目指しています。いずれの手法も基本的には心身のリラクセーション、エクササイズ、呼吸法、イメジェリー(瞑想)を独自に組み合わせ、出産準備教育として訓練を行っています。分娩時に心身の緊張をとり、痛みの閾値を下げることによって分娩を成し遂げます。

 ソフロロジー法

 スペインの精神科医アルフォンソ・カイセド(Alfonso Caycedo)博士によって創案された、心身の諸条件から生じる意識変化を研究し、精神の平和と安定、調和を得るための学問です。ソフロロジーは、Sos(調和、平和、安定)、Phren(心気、精神、意識)、Logos(研究、論議、学術)の3つの言葉からなる造語です。具体的には、ドイツの精神分析家ジェイコブソン(Jacobson)の漸進的リラックス法、およびドイツの精神科医シュルツ(Scshlz)による自律訓練法に、インドのヨガや日本の禅からきた訓練手法が組み合わされたダイナミック・リラックス法です。

 ソフロロジー式分娩法
 
 ソフロロジー法は、1976年、パリのサンミシェル病院のジャンヌ・クレフ(Jeanne Creff)博士によって、初めて産科に応用されました。主にイメージトレーニング、ヨガ、禅の訓練様式によって分娩時の筋肉の緊張を意識的に弛緩させるものでした。

 日本でのソフロロジーの実際
 
 日本では1980年代に、熊本県の松永昭先生が紹介し、導入しました。ヨガ、禅という要素が日本人になじみやすく、普及しました。取り入れている施設のほとんどは、母親学級等を通じてソフロロジー法独自のイメージトレーニング、体操、呼吸訓練を行っています。母親学級は妊娠期間を通じて2~3回が平均的です。

 当院での実際

 妊娠初期、出産予定日決定後に、イメージトレーニング用のCDを配布します。初期母親学級ではソフロロジー法の解説とイメージトレーニングを実践し、後期母親学級では、出産本番へ向けての総括を行っています。
 
 期待される効果
  
 ソフロロジー式分娩法では、次のような効果が期待できます。
 1.母性の確立…母親としての新たな自分の出現。
 2.精神の安定…分娩という未知の体験に対して抱いてる不安・恐怖心を払拭。
 3. 超痛…分娩時のリラックス効果によって、陣痛を有効に利用し、無理ないきみを回避し、安産へ導く。

■群馬保険医新聞2014年3月号

【診察室】眼にも起こる光老化とその予防―眼鏡装用を再認識してみませんか! ―

【2014. 2月 15日】

眼にも起こる光老化とその予防
―眼鏡装用を再認識してみませんか! ―

前橋市・丸山眼科医院 丸山明信 

 眼科医師として40年が経ち、私が年をとるとともに、受診される患者も年配の方が多くなり、老化による変化が眼にも少しずつ現れてきています。それらの現象のなかには、単なる加齢だけによるとは思われない変化があります。変化には個人差はありますが、その人なりに、年々明らかになります。長い間の生活習慣がおおいに関わっているものと思われます。生活習慣のうち、“光による老化”という考えがあります。「光老化」は、主に太陽紫外線によるとされています。これについて、日々の診療から教えられた私見を述べてみます。

 まず眼部においては、眼瞼皮膚表面から眼底まで順に考察していきます。

 Ⅰ.眼瞼皮膚と睫毛
 まず最初に、外界の環境からの防御となります。上眼瞼は加齢とともに下がってきます。眼球を被うという意味では好都合かもしれませんが、見にくいため顎を上げるようになります。一方、若い人の中には“二重瞼”の手術を行い、目をパッチリと見開くようにし、さらに“睫毛パーマ”までおこないます。目に対して無防備になるだけです。

 Ⅱ.角膜
 ①角膜炎(雪眼)
 紫外線暴露による角膜炎で、痛みが強くびっくりしますが、1~2日で治癒します。しかし発症したこと自体、好ましいことではありません。
② 翼状片
主に鼻側の結膜においてその増殖組織が翼状に角膜へ伸びてくる状態で、戸外活動者に多く、紫外線を含めた外的刺激が関係します。進行はゆっくりですが、見た目が悪く、次第に角膜表面がゆがんできて視力障害がでます。外科的切除が適応になります。
 ③ 老人環
角膜周辺部の結膜寄りに輪状の白濁が出現します。これは光老化というより代謝機能の低下によると言われ、その白濁は角膜中央までは広がりませんので放置します。

 Ⅲ.結膜
 ④ 瞼裂斑(けんれつはん)
 上下の瞼に被われてない白目の部分が黄色のシミになってきます。少々盛り上がって、時に充血します。特に鼻側に目立ち、明らかに紫外線による障害で、眼鏡との縁がない人に多く、特にハードコンタクトレンズ装用者に多いように思います。翼状片に比べて見た目の変化は少ないですが、“隠れた眼のシミ”であり、ドライアイなどの障害を引き起こすこともあります。

 Ⅳ.水晶体
 ⑤ 白内障
 水晶体が混濁してくる病態で、その発症危険因子には加齢だけでなく多々ありますが、その一つに紫外線があります。視力障害となり、眼鏡等での矯正は効きません。自動車運転免許が更新できなければ手術をするしかありません。手術は混濁した水晶体を破砕・吸引し、人工レンズを挿入することですが、個人的には手術しないで済ませられればと思います。

 Ⅳ.網膜
 ⑥ 黄斑変性
眼底黄斑部の網脈絡膜の加齢による変性であり、これも紫外線が関わっています。加齢とともに視力は低下しますが、白内障だけでは説明のつかない患者では、黄斑部に変性が起こっているかもしれません。早期のうちからOCT(optical coherence tomography)=光干渉断層計にて、眼底を三次元的に画像の解析を行い診断します。治療は、抗VEGF薬の硝子体内注射療法が主に行われています。また、将来iPS細胞の移植も考えられていますが、いずれにせよ大変な治療となります。
 
 以上挙げましたように、眼球において表面から奥まで陽に焼けると、長い間には種々の変化が起こり、障害となります。例えれば、陽あたりの良い部屋では、畳や障子、襖などの内装が全て黄ばんでくるのと同じです。
 ここで考えられるのが、“眼鏡”による防御です。しかし眼鏡に馴染めない人が多いように感じます。そんな人の中にはコンタクトレンズに移り、眼表面に一層負荷をかけています。さらにLASIK(屈折矯正手術)まで希望する人がいます。自分では気に入ったスタイルかもしれませんが、健康に良いことではなく、EyeCareでなく、Eye Damageとなっているかもしれません。
 
 眼球保護という観点からいえば、眼鏡は常時装用していることが望ましいでしょう。中高年以上になれば、遠近両用眼鏡の常用が便利だと思います。レンズの色は必ずしも濃いものでなくても、紫外線透過率の低いレンズもあります。明るい屋外専用であれば色の付いたレンズも良いかと思います。眼鏡には視力矯正機能のほかに、保護機能もあることを再認識していただき、紫外線だけでなく、すべての物から目を守っていくという意識を持ってほしいと思います。
 昨今の中国におけるPM2.5の環境汚染を見るにつけ、これからは帽子、眼鏡、マスクをするというあたかも子どもの頃のテレビのヒーロー“月光仮面”のような装いが必要となってくるのではないでしょうか。この稿をお読みの多く方は“今更、すでに遅し”かもしれませんが、将来を託す子どもや孫たちには、眼鏡の大切さを実践して伝えていってください。子どもたちにとって、帽子も眼鏡も装用できない屋外スポーツはどうしたら良いのか、考えているところでもあります。

■群馬保険医新聞2014年2月号

【診察室】ロドデノールによる皮膚障害

【2013. 11月 15日】

 前橋市・倉繁皮ふ科医院 倉繁田鶴子 

 2013年7月4日、株式会社カネボウ並びに関連会社リサージ、株式会社エキップが製造販売する「“ロドデノール”4-(4-ヒドロキシフェニル)-2-ブタノール」の配合された化粧品の使用者の中に、色素脱失を生じた症例が確認されたとして、含有する化粧品全製品の自主回収が発表された。連日メディアに大きく取りあげられ、現在も多方面にわたり影響が出ている。
 ここでは①実際の皮膚症状、②これまでの経緯、③診断における課題、④治療について、の4つの項目に分けて述べたい。

 ①実際の皮膚症状
 好発部位は頸部側面、顔面、さらに前腕に及び、脱色素斑(白斑)を主体とする。臨床症状はかなり多彩で、白斑と紅斑が混在している例、他の症状を伴わず突然白斑を生じた例、白斑がなく紅斑から色素沈着を生じた例、肝斑と白斑の同時出現などの報告がある。
 注目したいのは接触皮膚炎が先行、該当化粧品とロドデノールによるパッチテスト陽性にもかかわらず、白斑を生じていない症例報告が複数挙げられている点だ。原因及び発症のメカニズムを考える上で興味深い。

 ②これまでの経緯
 (カネボウ第三者委員会調査報告書2013年9月13日付公表)
・2011年10月…顧客から「顔に白斑様の症状が出た。化粧品の影響か」の問い合わせ。同社の安全管理部門で対応。
・2012年2月…社員(美容販売部員)3名から「化粧水、乳液を使用したところ顔面、手に白斑様症状を生じた」との報告。
 *同社の品質統括グループ…可能性は低い。続く場合は皮膚科を受診するように。
 *社員3名…不安に思い使用を中止。皮膚科は受診せず。
・2012年4~6月…顧客から白斑や色ムラの訴えが相次ぐ。
・2012年9月…顧客を大阪府内大学病院へ紹介。診断は「甲状腺炎による尋常性白斑。化粧品がトリガーになった可能性がある」。
・2012年10月…山口県内皮膚科医師から「白斑患者に化粧品パッチテスト陽性」とカネボウにメール。
・2013年5月…岡山県の大学病院医師がカネボウに「短期間に4症例で化粧品使用部位に白斑を生じた。化粧品がトリガーの可能性が高い」と指摘。
 ここで初めてカネボウは会社として対策プロジェクトを立ち上げ、7月4日、26品目の自主回収を発表した。全国で患者は増え続けており10月4日現在、1万3,959人と公表されている。

 ③診断の課題
 今回の“ロドデノール事件”は、化粧品会社の社会的責任にスポットが当たっている。しかし私たち皮膚科医は“白斑の診断”について、大変複雑で重い感慨を持つことになった。化粧品誘発の白斑を予見できたであろうか。
 日本皮膚科学会が7月17日に組織した「ロドデノール含有化粧品の安全性に関する特別委員会」による手引き書にあるように、「多くの患者が全国の皮膚科を受診していますが、ロドデノールと臨床症状の因果関係、臨床型、発症頻度、予後、病態などについて、いまだ不明な点が多く、現場では対応に苦慮しております」これが率直な実感であろう。
 
 全ての症例がロドデノール含有化粧品を使用している。             ↓
           原因物質か?
         では作用機序は?
 成分が持つチロシナーゼ(メラニン合成に重要な役割) 抑制作用か? それとも……
 アレルギー性接触皮膚炎が自己免疫疾患としての尋常
 性白斑を誘発した? しかし……
 パッチテスト陽性で白斑を発症しない例もあり、陰性
 で発症する例もあり?
 ……疑問は尽きない。
 さらにロドデノール含有化粧品使用者の白斑すべてを化粧品が原因と断定出来ないという問題もある。白斑患者を診察する場合、尋常性白斑以外に鑑別診断として甲状腺疾患、膠原病(強皮症etc)、糖尿病、薬剤性白斑黒皮症を除外する必要があるからだ。

 ④治療について
 尋常性白斑に準じて光線療法、ステロイド外用、タクロリムス外用、ビタミンD3外用などが検討または試用されているが、治療効果についてはまだ不明となっている。今後の解明を待たなければならない。

 おわりに
 ほとんど女性のしかも顔や首、手の甲などにまだらに白斑やシミを伴う今回の出来事は、目立つ見られる皮膚の病変であるが故に、多くの人が精神的な苦痛を被ることになった。単純に考えれば、美白を目的にした化粧品ならその作用で“白斑”を生じても不思議ではないかもしれない。しかしポイントではなく、びまん性に拡がるこの臨床型は想定外であった。4症例を確認して疑いを抱いた大学病院の報告は本当に共感を覚える。そしてパッチテスト陽性の白斑患者に疑問を持ち、カネボウにメール連絡をされた山口県の皮膚科の先生には尊敬の言葉しか浮かばない。全く同じくカネボウ化粧品パッチテスト陽性の白斑患者を抱え、数ヵ月なぜだろうと悩み続けた筆者である。

■群馬保険医新聞2013年11月号

【診察室】iPS細胞 その応用と課題

【2013. 8月 15日】

 群馬大学生体調節研究所 小島 至  

 京都大学の山中伸弥教授に2012年のノーベル医学生理学賞が贈られました。それ以来、iPS細胞はマスコミにもしばしば登場しています。iPS細胞は体のあらゆる臓器に分化することが出来る「万能細胞」と解説されています。本稿では、iPS細胞がどのように作られ、どんな性質をもっているか、iPS細胞により何が可能になるか、どんな問題点が残されているかなどを説明したいと思います。

 iPS細胞の話の前にその原型であるES細胞について説明します。胎児の発生は受精卵からスタートします。受精卵は活発に分裂し、ヒトの場合、受精の3~4日後には胚盤胞と呼ばれる形態をとり、子宮に到達します。胚盤胞は内部に水を満たしたテニスボールのような形ですが、その中に内部細胞塊と呼ばれる一群の細胞があります。これらの細胞は、やがて胎児の体を構成する細胞になります。一方、外側の細胞は胎盤を形成します。内部細胞塊の細胞は体のあらゆる臓器を作る能力をもち、一個から一人の人間を生み出すことが可能です。このような細胞を多能性幹細胞とよびます。この細胞を取り出し、未分化状態のまま培養したものがES細胞です。ES細胞は分化機能をもたず、無限の増殖能をもつことから腫瘍細胞に似ています。実際、ES細胞を拒絶反応のないヌードマウスに移植すると、個々の細胞が勝手に多様な臓器に分化し、奇形腫(テラトーマ)を形成します。ES細胞は暴れん坊ですが、もしこれをうまくコントロールし、ある特定の細胞へと分化させることが出来れば、必要な細胞や場合によっては臓器を得ることが可能になります。このため多くの研究者がES細胞を使って再生医学の研究を行ってきました。しかしES細胞にはいくつかの問題があります。最大の問題は倫理上の問題で、この細胞を得るためには、ヒトの受精卵を犠牲にしなければならないことです。
            *
 山中先生はこのES細胞の研究をしていました。とくに「ES細胞は普通の体細胞とどこが違うか」「ES細胞のもつ多能性分化能は何によってもたらされるか」などを研究していました。また遺伝子の発現を調節する転写因子の研究に特に興味をもっていました。転写因子というのは、私たちの細胞がもつ遺伝情報の中からどれを読み出して蛋白質を作るかを決めている因子です。山中先生は、普通の体細胞とES細胞にある転写因子の違いを研究し、その過程で、「体細胞になくES細胞にのみ存在する転写因子を体細胞に入れれば、ES細胞のように多能性分化能をもつ細胞が出来るのではないか」と考えつきました。このような考えをもつ研究者は少なからずいたのですが、山中先生はその競争に打ち勝ちました。マウスの皮膚線維芽細胞に、現在では山中因子と呼ばれている4種類の転写因子を導入することにより人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作り出したのです。2006年のことです。その翌年にはヒトのiPS細胞を作ることにも成功しました。  
 こうして作られたiPS細胞はES細胞によく似ています。iPS細胞もES細胞と同様に体のさまざまな臓器の細胞に分化することのできる多分化能をもっています。また無限に増殖する能力をもち、ヌードマウスに移植すると奇形腫を作ることも同じです。細かく調べるとES細胞とは異なる点もありますが、概ねよく似た性質をもつ細胞といえるでしょう。 
 幸いなことに、これまでのES細胞研究によって得られた結果のほとんどがiPS細胞に応用でき、iPS細胞をさまざまな臓器の細胞に分化させる方法がわかっています。分化させた細胞がどれくらい正常の細胞に近いかは、臓器によって異なります。筋肉の細胞や神経細胞などはかなり本物に近い分化能をもっていますが、膵β細胞や肝細胞のような高度に分化した内胚葉系の臓器の細胞はまだ未熟なものしか作ることができません。技術の確立が必要です。
            *
 iPS細胞の利用によりさまざまなことが可能になります。第一に、iPS細胞を分化させ、さまざまな臓器の細胞を体外で作製し、移植する細胞治療が可能になります。報道されているように、理化学研究所のグループが、網膜の加齢黄斑変性をこの方法で治療する臨床研究を近日中にスタートさせます。今後、パーキンソン症候群や拡張性心筋症に対する治療が可能になるかもしれません。また、iPS細胞から赤血球・血小板などを作製し、献血に頼らない輸血が可能になるでしょう。第二に、原因不明で治療法のない難病の患者の細胞からiPS細胞を作製し、病態解明や治療法開発を行うことが可能になると思います。実際、筋萎縮性側索硬化症などの患者からiPS細胞が作製され、研究がスタートしています。第三の応用は、iPS細胞を用いて肝臓などの細胞を作製し、これを創薬研究に利用することです。これまでなかなか使えなかったヒト肝細胞などが簡単に使えるようになるため、創薬研究、副作用の検討などは格段にはかどるでしょう。実際これはもう創薬の現場で実用されています。
            *
 大きな特徴をもつiPS細胞ですが、現時点ではいろいろな問題点もあります。第一は、安全性の問題です。とくに細胞移植に利用する場合はこれが最大の問題です。分化が不十分な細胞がわずかでも残ると、その細胞から腫瘍が発生する可能性があります。また遺伝子導入を行うため、ゲノムの安定性等に問題が出る可能性があります。現時点では腫瘍化の問題は解決していません。第二は、作製するiPS細胞の品質が均一ではないということです。同じ方法で作ってもiPS細胞の性質が微妙に違うという点です。第三は倫理的な問題です。ヒトのiPS細胞はES細胞と違い、受精卵を破壊しなくても作製でき、その点はいいのです。ただES細胞と同様にクローン人間を作ることが出来、それが問題です。その他にもいくつかの技術的、倫理的な課題があります。今後それらを一つずつ解決していく必要があります。

■群馬保険医新聞2013年8月号

【診察室】歯科を取り巻く社会状況と出来高払い制の影響

【2013. 7月 15日】

                                                    前橋市・青葉歯科医院 清水信雄

 ご存知の通り、我が国の保険制度は原則出来高払い制である。昨今、医療費の抑制を目的として包括制への移行が検討されているが、保険医協会では、原則出来高払い制の堅持を主張している。それは、包括制の場合、診療報酬が不当に過小評価されて設定された場合(包括枠の狭小化)、患者が必要な医療を受けられなくなる懸念が生じるからである。私は、本紙「論壇」でも折に触れ、包括制の弊害を訴えてきた。今回は別の視点で、今後危惧される出来高払い制の問題点を考えてみたい。

 数年前に、歯科医院の数がコンビニのそれを超えたということが話題になった。コンビニ軒数は平成25年4月の調べで47,703店、一方、厚労省の医療施設動態調査によれば、歯科診療所数は平成24年3月末の概数で68,453所となっている。実に1.4倍である。これが多いか少ないかは多角的に検討する必要がある。
 国民医療費全体に占める歯科医療費は、1985年では10.5%であったものが2007年では7.3%にまで落ち込んでいる。我々歯科の、国民への啓蒙の努力も足りなかったのだが、厚労省の歯科軽視の施策も少なからず影響しているものと思われる。

 歯科医療費は、医療費の中でも所得弾力性が高く、景気動向の影響を受けやすい。歯科医院数が増加し、同時に長引く不況下で、1医院あたりの患者数の減少傾向が続いているが、出来高払い制の下で診療報酬の過小評価が続いた場合、患者にはどのような影響が起こるだろうか。

 ■患者より経営が優先の過剰介入と自費への誘導

 需要を供給が上回った場合のメリットとしては、患者のアクセスが容易になることが挙げられる。いわゆる「3時間待ち3分診療」に表現される乱診乱療は起こりにくい。逆に、歯科に限ったことではないが、とりわけ歯科において起こりうる可能性が高いのが過剰介入と自費診療への誘導である。要するに、治療方針を立てる際に、患者にとっての最良の選択ではなく、医療機関(の経営)にとっての最良の選択が行われる可能性が高くなるということである。
 一例として、歯科の場合、ごく初期のムシ歯CO(一酸化炭素ではなく、要観察歯:Questionable Caries under Observation)の扱いが、医療機関によって大きく異なるという事実がある。指導やフッ素塗布をして定期的に管理する医院もあれば、明らかなう蝕(むし歯)として処置をする医院もある。当然後者のほうが医療機関にとって時間あたりの収入は高くなる。先に挙げた状況下では、医院の経済的理由から後者へのインセンティヴが高くなる可能性がある。

 ■予防拡大の時代

 かつて、う蝕の進行を見越し、先回りして充填処置(う蝕の部分を削除し、代替材料で填塞する)をするという考えがあった。我々が学生時代(30〜40年前)に主流とされていた予防拡大(う蝕が進行する可能性がある部位を多めに削除すること)という概念がまさにこれである。同様の根拠で、動揺を止められない歯や将来トラブルを起こす可能性のある智歯等は、抜歯の対象とされた。
 当時は、欠損部を放置したり、進行した歯周病によって予後に不安が残る歯や歯周組織を見守る、つまり経過観察するという治療方針は市民権を得にくい環境だった。まさに、all-or-none principle(悉無律)という、デジタルな治療環境だったわけである。
 たしかに、予後不安材料がある場合、早い段階で明確に取捨選択するほうが術者側の都合からすると楽である。治療方針が立てやすく、その後のトラブルに悩まずにすむ(ように思える)からであろう。しかし、その早期治療という侵襲により、当初の問題解決の対象はなくなるが、また新たな問題が生じてくることも多いのである。患者本人にとって口腔も身体の一部であり、そう簡単に取捨選択できる筋合いのものではない。
 これにさらなる拍車をかけたのが、平成8年度に新設された補綴物維持管理料(補管)である。医療機関で装着した補綴物(被せ物)に対する2年間の保証であり、この間に補綴物が破損、あるいは再度の処置が必要となった場合、当該医療機関の責任で再治療を行うことを義務づけるものだ。補管の問題点は本題から外れるのでここでは割愛したい。
 さて、処置をしないこと(過剰介入の防止、あるいは管理)の評価がなかった時代には、ある意味予防拡大という診療方針もやむをえなかったといえなくもない(日本語として実に歯切れの悪い表現を用いざるをえないのが辛いところである)。う蝕、動揺歯、欠損…… これらはすべて介入の対象だった。
 しかしこの概念には、定期検診や経過観察という、現在では主流となりつつある患者との継続的なかかわり方の意義は存在していない。現在は、診療報酬上の評価は決して十分とは言えないまでも、「管理」の評価がなされている。患者やその家族も、歯科医院を検診、管理のための施設として位置づけるようになってきており、いきおい過剰介入に対し、かなり神経質になっていることも事実である。
 話は変わるが、骨密度が低い場合(測定部位によりかなりの差異があるようだが)、骨折の予防、つまり寝たきり状態を作らないためにビスフォスフォネート製剤(以下BP)の予防投与が日常的に行われている。もちろん、骨折によるQOLの低下を回避するのが目的であるのは言うまでもない。一方で、BPの投与を開始すると、歯科の領域においては抜歯等による骨髄炎の発症率が明らかに高くなるのも事実である。このことをふまえ、安易な投与は患者のQOLを高めることにならないばかりか、侵襲のひとつになりうることも医科の医師には認識しておいていただきたい。
 
 ■侵襲とは「生体を傷つけること」 
 
 閑話休題。
 1歯欠損部にパーシャルデンチャー(部分床義歯)を入れている歯科医は少なくない。1歯欠損への対応として、一般的にはブリッジがまず選択肢の筆頭に浮かぶであろう。しかし、ブリッジでもなく、ましてやインプラントでもなく、ある意味古典的な可撤(取り外し)式の義歯である。これは何を意味するのか。
 たとえ治療であれ、ブリッジやインプラントといった対処法は、歯や骨に対しての不可逆的な侵襲であり、その後に新たな問題を生む可能性のあることを経験的に実感しているからではないだろうか。 
 ちなみに侵襲という言葉は医学用語であるため、広辞苑にも記載されていない。ウィキペディア(インターネット上の百科事典)には以下のように記載されている。
 ―invasion=侵襲とは、「病気」「怪我」だけでなく、「手術」「医療処置」のような「生体を傷つけること」すべてを指す。なぜなら、病態であれその治療であれ、侵襲に対する生体の反応は同じであり、それを知らずして(侵襲を以て)人を治療することはできないからである。―
 
 ■定期検診・メインテナンスの時代へ
 
 私は最近、歯軸方向の歯根破折であっても、患者がそれによる不都合を感じず、かつ骨吸収や隣在歯への影響がない場合、あえて抜歯をせず、経過観察するようにしている。抜歯とそれに伴うあらたな侵襲をできるだけ先送りしたいからである。
 歯科が主として対象とするう蝕や歯周病は、発症、あるいは進行の抑制という意味で、予防のメニューが多く、またその効果も大きい疾病である。今後の歯科医療のあるべき方向性は、定期検診やメインテナンスによる、過剰介入の防止であることは明らかである。
 かく言う私も、若い頃は治療技術の習得、そしてその実践自体が好きだった。いかに「きれいな」症例を作るかということが最大の関心事だった頃があった。歯科医療に技術が不可欠な以上、歯科医にとってそういう時期も必要であることは事実である。しかし、かつて自分が自信をもって行った処置の30年後の結果に触れる機会も多くなった今、実感することがある。
 口腔はあくまで成長、成熟、退行という生理学的変化をする人間の一部であり、負荷や熱、pHの急激な変化を受ける過酷な環境である。そこに、不変であることを前提とした金属等の人工物を適合、あるいは適応させるという行為との間に歪みが出ないことのほうがまれだということである。
 今はというと、あまり肩肘を張らずに、歯科医療の限界(自己の力量の限界?)を語りながらも患者の思いをできるだけ共有し、患者とのかかわり方を楽しむようになってきた。ちょっとした言動で患者との信頼関係を壊すことになる一方で、患者との信頼関係を構築することは決して容易ではない。そして、その関係を維持し続けることはさらに難しい。そう思うこの頃である。

■群馬保険医新聞2013年7月号

【診察室】骨盤臓器脱

【2013. 5月 15日】

                              前橋協立病院 産婦人科 北原賢二 

 ■骨盤臓器脱とは 
 女性の骨盤は、恥骨と尾骨の間にある骨盤底筋群という筋肉がハンモック状に張られ、骨盤内の臓器(膀胱、子宮、直腸)が落ちないように支えています。骨盤臓器脱とは、骨盤底筋群が傷ついたり緩んで骨盤内臓器が膣口から脱出する疾患です。以前は子宮脱と呼ばれたもので、海外の論文ではpelvic organ prolapse ; POPと記載され、その日本語訳として骨盤臓器脱と呼ばれます。お産をした女性の約半数に骨盤臓器脱を生じます。  

 ■インテグラル理論
 

 骨盤底筋は、四つ足歩行していた頃に尻尾を振ったりするのに使われていた筋肉群です。人間が二足歩行を始めてから腹部臓器の重みを支える役目を果たすことになりました。インテグラル理論によると、膣はその中心にあり、前後を恥骨尿道靱帯と仙骨子宮靱帯によってつられたハンモックとして支えられています。
 この膣ハンモックを、①前上方に引っ張る筋肉群(恥骨尾骨筋の筋肉部分)、②下方に引っ張る筋肉群(肛門縦走筋)③後方に引っ張る筋肉群(肛挙筋プレート)の三つの筋肉群でバランスをとっています。    
 尿もれや骨盤臓器脱など、女性の疾患はこのハンモックの障害(骨盤底の緩み)によって起きます。

 ■骨盤底の障害部位と疾患や症状
 インテグラル理論により、以下の3方向のハンモック障害で違う疾患が現れます。
 1)前方領域(恥骨尿道靱帯や尿道を吊っている膣前壁)に障害➡尿失禁・便失禁が現れ、過活動膀胱の症状が起こる➡障害が進むと、尿道瘤(尿道が脱出)。
 2)中央領域(膣の前壁)に障害➡膀胱の支持が傷害され、排尿困難、頻尿、過活動膀胱の症状が現れ➡障害が進むと膀胱瘤(膀胱が膣から脱出)。
 3)後方領域(仙骨子宮靱帯や膣後壁)に障害➡排尿障害、過活動膀胱、下腹部痛などの症状が現れ➡子宮脱、直腸瘤、小腸瘤などの骨盤臓器脱。

 ■POPのリスク因子
 1)妊娠、出産(最も大きな原因)
 2)肥満による体重の負荷、慢性便秘によるいきみ
 3)更年期におこるエストロゲンの減少
 4)加齢による筋肉の脆弱化 
 5)遺伝的素因(母親または姉妹がPOPの手術を受けた女性では発症リスクが3.1倍) 
 
 分娩方法とPOP有病率の研究においては、自然経腟分娩を経験した女性は29%、帝王切開のみの場合は6%(有意に低い)、自然経膣分娩と帝王切開の両方では21%、鉗子分娩や吸引分娩での有意な関連は認められていません。
 

 ■診断・評価 



いつからどのような症状があったのか、妊娠・出産歴、服用薬、既往歴を問診します。次に検尿と内診を行います。診察に適した時間帯は臓器の脱出しやすい午後の遅い時間帯で、砕石位で脱出を認めない場合には、立位で足を開いた状態で腹圧をかけると脱出しやすくなります。
 評価は、国際禁制学会が提唱しているPOPQ分類法(膣壁の最下端と処女膜輪との位置関係でstage0からstage4まで分類)が使われます。一般に膣入口よりも外側に脱出した段階で自覚症状が出現します(POPQ分類ではstage2以上)。
 最近の話題では、cine MRIがあります。MRIの撮像スピードが短縮され、腹圧負荷時で脱出する臓器の様子を動画として捉えられることができる撮像法です。


 
 ■治療法
 1)経過観察
 2)骨盤底筋体操
 3)フェミクッション
 4)リングペッサリー
 5)手術:従来法、TVM手術 

 【骨盤臓器脱が軽症の場合】
 下垂はあるが自覚症状がない➡1)一定期間の経過観察後に再診、または2)骨盤底筋体操(かかとを上げながら肛門を10回ほど反復して締めるなどの体操を毎日一定回数2、3ヵ月続けます)。
 【骨盤臓器脱が中等症あるいは重症の場合】 
 脱出があり自覚症状がある場合➡根本的な治療として5)手術療法を考えます。手術を実施できない状況(内科的な合併症、家庭の事情、手術を嫌がる)の場合➡一時的な治療として、3)フェミクッション(クッション・ホルダー・サポーターの3つで構成される治療器具)を活用。一時的な治療に利用します。体格・脱にあわせたクッションをホルダーで固定し、サポーターを用いて装着します。4)リングペッサリー…リングの穴の部分に子宮膣部が入るよう膣内に挿入します。患者の状態に合わせて直径5~8.5cm程度のドーナツリング状器具を選んでいきます。違和感と膣の炎症により出血やオリモノの増加が起こるので、3~4ヵ月毎の定期的な交換が必要です。手術までの待機期間に使用は限られます。
 5)手術療法(従来の骨盤臓器脱の手術療法)
 膣式子宮全摘術+膣壁形成術…膣から子宮を摘出し、膣と膀胱を支えている筋膜を縫縮、最後に直腸と膣を支えている筋肉(肛門挙筋)を補強する手術です。子宮を摘出するために子宮を支えている靱帯、筋膜を補強しやすい利点があります。膣壁以外には傷が残らないため、美容上も優れています。閉経前で子宮筋腫がある、子宮癌の心配がある場合がいい適応です。膣壁を切除しますので、膣が狭くかつ膣の深さも浅くなり性交痛の原因になります。術後の排尿機能回復が遅れて術後に導尿が必要になります。
 膣閉鎖術…子宮摘出後の膣脱に行われます。性交困難となります。高齢者や合併症のある方でも可能です。従来手術の再発率は10〜30%とされており、自験例では10%未満でした。
 メッシュを用いた手術療法…TVM(=Tensionfree Vaginal Mesh)手術は、2000年にフランスの婦人科のグループが開発した手術法で、骨盤臓器をメッシュで力のかからない自然な位置に矯正し、その状態で支える手術です。国内には2005年に導入され、痛みや身体への負担が少なく、再発率も5%程度とされ広まっています。前膣壁では、膣と膀胱の間 (TVM-A手術)、後膣壁では膣と直腸との間(TVM-P手術)にすきまを作りメッシュをおき、一部を骨盤内の強固な部位に通してずれないようにします。術後に尿失禁が出現(5%程度)して、追加手術を要することがあります。一時的に尿閉が生じることもあります。長期的には、メッシュが異物として膣壁からでてくるメッシュびらんが約6~7%に起こります。TVM法の再手術はできません。様々な合併症の報告や長期成績がないなどの理由から、いまだに国際女性泌尿器科学会(IUGA)などにおいて、賛否両論が飛び交っています。
 骨盤臓器脱で悩んでいる中・高年女性は、まわりの人に相談できず生活の質(QOL)を下げてしまっています。快適な生活が送れるように支援していきたいものです。

■群馬保険医新聞2013年5月号

【診察室】帯状疱疹

【2013. 3月 15日】

 前橋赤十字病院 皮膚科 大西一德

 この度「帯状疱疹」のタイトルで原稿の依頼を受け、患者数からするとそれほど多いとも思われないが、当院ならではの患者も経験するため、先生方の日常診療の参考になることを期待してお引き受けした。
 ■原因・症状・診断
 ご存知のように水痘・帯状疱疹ウイルス(varicella-zoster virus:VZV)の初感染は水痘で、このとき皮膚に生じた水疱からVZVが神経を上向性に神経節に辿り着き、DNAの形で生涯にわたる潜伏感染を生じる。何らかの原因でVZVに対する免疫力が低下すると、VZVの再活性化が起こり、帯状疱疹として回帰発症する。通常1週間以内の特定の神経支配領域に一致した片側性の神経痛が先行する。
 患者の多くはぶつけたり、怪我をしたときの痛みは経験したことがあるが、神経痛の痛みは経験したことがないため、異様な痛みに驚き、救急外来を受診することもある。このとき皮疹が出現する以前や、皮疹や痛みが片側性の神経痛と気づかれないと、種々の検査をうけることもある。部位によって頭部CT、胸部レントゲン撮影、心電図、心エコーなど、ときには内視鏡の予約をされることもある。
 帯状疱疹の皮疹は、紅斑・紅色丘疹、水疱・膿疱、びらん・潰瘍、痂皮と経過する。皮疹の程度は軽い場合には紅斑のみで軽快するが、重い場合には広範囲の皮膚壊死を生じる。糖尿病未治療の患者でこの壊死に黄色ブドウ球菌の感染を合併し、筋膜まで障害がおよび植皮術を行った症例もある=図1。皮疹の範囲も紅斑、水疱が散在するものから神経支配領域全体に生じるものまである。またウイルス血症の結果、罹患神経支配領域以外に丘疹、小水疱を散布疹や汎発疹(汎発性帯状疱疹)として認めることがある。
 鑑別疾患として単純ヘルペス、カポジ水痘様発疹症、水痘などがあげられる。疼痛を伴う片側性皮疹という帯状疱疹の特徴に注意すれば、通常診断可能である。しかし自験例に疼痛を伴わない口唇に生じた初期の帯状疱疹を単純ヘルペスと誤診した症例もある。通常の典型的帯状疱疹では余り行わないが、水疱部のTzanck testでウイルス性多核巨細胞が確認できればVZVまたは単純ヘルペスウイルスの感染症と診断できる=図2。
 ■抗ウイルス剤による治療
 当科では、正常な免疫能を有する患者の外来治療には、経口投与可能な抗ウイルス剤であるバラシクロビル塩酸塩(バルトレックス錠)やファムシクロビル(ファムビル錠)を投与することが多い。通常、5病日程度で皮疹新生はおさまり、8病日には皮疹部からウイルスは分離されなくなるのが、神経内にはまだウイルスが残存するとのことで、5病日以内に抗ウイルス剤を開始し、7日間投与する必要がある。
 抗ウイルス剤を投与するに当たっては、2つのことに注意する必要がある。一つは保険適応の問題。現在用いられている抗ウイルス剤はVZV、単純ヘルペスウイルス共に効果があるが、抗ウイルス剤によって投与量や適応が異なること、疾患によって投与期間が異なること(水痘では小児と成人で投与期間が異なる)に注意が必要=表1。いま一つは腎機能低下のある患者への投与である。高齢者に常用量の抗ウイルス剤とNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)が投与され、急性腎障害をきたし救急車で搬送された症例もあった。当科には通常の帯状疱疹で入院する患者は少ないが、高齢の患者が他の医療機関で抗ウイルス剤の投与を受けた後、消化器症状や精神神経症状などの副作用が強いために入院となるケースも散見される。

 ■運動神経等の障害
 通常の帯状疱疹では知覚神経のみ障害されることが多いが、運動神経等が障害されることもある。VZVによる顔面神経麻痺と耳介の帯状疱疹、難聴・めまいなどの聴神経症状を生じる場合、ラムゼイ・ハント症候群と呼ばれるが、3主徴がそろう頻度は60%程度とのことである=図3。眼瞼結膜炎、角膜炎、虹彩毛様体炎、網膜炎などの眼症状は三叉神経第1枝領域の帯状疱疹にみられることが多く、特に鼻尖部や鼻背に皮疹が生じた場合に頻度が高い(ハッチンソン兆候)。眼筋麻痺による複視もまれにみられる。その他、腹筋の麻痺による腹部の片側性膨隆=図4=、殿裂近くでは直腸膀胱障害=図5=、まれには四肢麻痺などもみられる。これらの症状が認められたときには関連する科にコンサルトが必要となる。

■高齢者にはワクチン接種も
 帯状疱疹の急性期疼痛の治療には、特に高齢者では腎障害、消化管出血なども考慮し、アセトアミノフェンを第一選択としている。帯状疱疹後神経痛に対しては三環系抗うつ薬、プレガバリン、オピオイドなどが用いられているが、当科では早めにペインクリニックに紹介するようにしている。プレガバリン(リリカカプセル)も抗ウイルス剤と同じように高齢者や腎機能低下があると、めまい、眠気、筋脱力症状などの副作用が出現しやすいので、少量を就眠前投与から開始することが多い。
 保険適応外であるが、高齢者には水痘・帯状疱疹ワクチン接種が発症予防や重症化をふせぐのに有効とのことである。

図1 帯状疱疹の壊死組織に感染を生じた糖尿病未治療例

図1 帯状疱疹の壊死組織に感染を生じた糖尿病未治療例

図2 水泡部のウイルス性多核巨細胞。小型の細胞は白血球(ギムザ染色液30秒で染色

図2 水泡部のウイルス性多核巨細胞。小型の細胞は白血球(ギムザ染色液30秒で染色

図3 顔面神経麻痺を合併した帯状疱疹

図3 顔面神経麻痺を合併した帯状疱疹

図4 右側腹部の膨隆を認めた帯状疱疹

図4 右側腹部の膨隆を認めた帯状疱疹

図5 直腸膀胱障害を合併した帯状疱疹

図5 直腸膀胱障害を合併した帯状疱疹

診察室表

■群馬保険医新聞2013年3月号

【診察室】糖尿病の最近の話題

【2013. 2月 15日】

糖尿病の最近の話題

公立富岡総合病院 内科 永井 隆

■診断基準の変更……JDS値とNGSP値

 診断については、2010年の糖尿病診断基準の変更があげられる。この背景にあるのは、2009年に米国糖尿病学会がそれまで用いていなかったHbA1c ≧6.5%を診断基準に取り入れたことにある。ここで問題となったのがHbA1c の測定法である。米国のNGSP値より日本のJDS値は測定の精度が高いものの、世界で広く用いられているはNGSP値による表記である。そしてHbA1c(NGSP相当値)=1.02×HbA1c(JDS値)+0.25の関係にある。このため日本の診断基準のHbA1c(JDS値)≧6.5%は、NGSP相当値では≧6.9%になってしまう。日本糖尿病学会は世界基準に合わせるため、糖尿病の基準をHbA1c(JDS値)≧6.1%、NGSP相当値では≧6.5%に変更した。急にHbA1cの基準が厳しくなったように思われるが、①1997年以後の厚生労働省の調査による糖尿病の疫学には、糖負荷試験でFBG≧126mg/dlと2hrs-BG≧200mg/dlに相当するHbA1c(JDS)≧6.1%が用いられてきた。従って、疫学調査の結果は変わらないことになる。②従来、境界型として放置されることの多かったHbA1c(JDS値)6.2-6.4%の耐糖能異常の群が糖尿病として早期治療されることはよいことだと思われる。

 実際、1990年代に発表された後、延長された研究DCCT-EDICやUKPDS80より、早期から長期に及ぶ血糖管理を行った群はその後の予後も良好で、legacy effectを持つことも示された。従って、HbA1c(JDS値)6.2~6.4%の群の患者は積極的に治療すべきである。

 なお、現在日本で用いられているHbA1cは、JDS値とNGSP相当値が併記されていることが多いがこれは特定健診におけるHbA1cがJDS値を用いていることによる。しかし、今年4月以降、特定健診受信者に対する結果通知は、NGSP相当値でのみ行うことになっているため、一般診療における日本のHbA1cの表記もすべてNGSP相当値のみとなる。

■治療……低血糖をいかに回避するか

 治療については、2型糖尿病におけるインクレチン製剤の導入とメトホルミンの高用量使用が話題である。背景として2008年に相次いで報告された糖尿病大規模研究(ACCORD、ADVANCE、 VADT)があげられる。強化療法による厳格な血糖管理によりADVANCEでは、細小血管症は予防されたもののACCORD、VADTでは合併症の予防はできずACCORDではかえって死亡率が増加した。この解釈として、罹病期間が長く、介入時のHbA1cの高値群(≧8.0%)では、強化療法により血糖値の変動、とりわけ低血糖の頻度が高いことが、心血管イベントを誘発した可能性があると考えられている。従って、早期から長期間に及ぶ管理に加えて、血糖値の変動をなるべく小さくすることが重要である。血糖値の変動をみるためには、HbA1cや高血糖が持続する場合は低値となる1,5AGの併用がよいが、これらは高血糖のマーカーであり、低血糖のマーカーではない。そこで血糖自己測定を頻回に行うことが考えられるが、夜間の低血糖は完全には把握できない。このような場合、持続グルコースモニターリング(CGM)が役に立つ。腹部などの皮下組織に専用のセンサーを装着し、連続的に皮下の組織間質液中のグルコース濃度を記録する検査方法だ。しかし、これらはあくまでも生活習慣の改善を行った上で、評価すべきであることは言うまでもない。

 こうして考えると、2型糖尿病の薬物療法を厳格に行う上では低血糖をいかに回避できるかが重要となる。単独投与では低血糖はほとんどないインクレチン製剤(DPP-IV阻害剤とGLP-1受容体作動薬)と高用量メトホルミンの意義がここにある。2型糖尿病の初期治療を考えた場合、日本糖尿病学会では①インスリン分泌低下が主体ならスルホニル尿素剤やインクレチン製剤、②インスリン抵抗性の増大が主体ならチアゾリジンやビグワナイド、③食後高血糖ならグリニド製剤やαグルコシダーゼ阻害剤の使用を推奨している。しかし、この分類では③以外は実臨床ではわかりにくいと思われる。また、インクレチン製剤は血糖依存性にインスリン分泌を増加させる以外にグルカゴン分泌抑制による糖新生の低下を介するインスリン抵抗性改善作用もある。

 筆者は日常診療では、FBG、PBG、BMIの程度で2型糖尿病の初期治療を次のように分けている。但し、血糖値の数値にEBMはない。また、BMIは22 kg/m2を基準とし、≦22kg/m2と>22kg/m2で分けている。①FBG≧180mg/dlでBMI≦22kg/m2 患者には糖毒性改善を考慮し、インスリン療法を開始すべきと思われる。FBG≧180mg/dlでBMI>22kg/m2患者で、生活習慣の乱れが甚だしい場合は、食事療法より開始してしばらくみても軽快することが多く、次の②、③に進めることが多い。②食後高血糖(例えばFBG126-140mg/dlでPBG>240mg/dlのような場合)で、BMI≦22kg/m2患者にはグリニド製剤、BMI>22kg/m2患者にはαグルコシダーゼ阻害剤が使用されることが多かったが、この群にはDPP-IV阻害剤からはいってもよいと思われる。③中等度高血糖(FBG140-180mg/dl)で、BMI≦22kg/m2患者にはスルホニル尿素剤(主にグリメピリド)が、BMI>22kg/m2患者にはチアゾリジンやビグワナイドが用いられることが多かったと思われる。しかし、前者の場合はDPP-IV阻害剤が、後者の場合はDPP-IV阻害剤以外にメトホルミの高用量使用やBMI>25kg/m2患者ではGLP-1受容体作動薬もよいと思われる(こうなると直ちにインスリンを開始する場合を除き、すべてDPP-IV阻害剤より開始してもよいのではないかという議論が起こる)。

 なお、当院では、経口糖尿病薬の複数使用後もFBG≧200mg/dlで紹介されてくる患者が多く、糖毒性改善のため入院後、食事療法に加え直ちにインスリン頻回注射を開始している。その後、BMI≦22kg/m2患者ではこのまま退院とし、BMI>22kg/m2患者では(特に妊娠可能年齢の女性)、高用量メトホルミンの併用で、妊娠可能年齢の女性以外でBMI>25kg/m2患者は、GLP-1受容体作動薬の併用でインスリンは漸減・中止できる例がほとんどである。また、当院では持効型インスリンアナログ製剤を用いたbasal supported oral therapy (BOT=経口薬に併用して基礎インスリンを1日1回注射する治療) はほとんど行っていない。2型糖尿病ではインスリンの追加分泌が低下した後、基礎分泌が低下してくる。従って、BOTよりも超速効型インスリンの3回打ちが、糖質摂取割合の多い日本人には良い。従って、低血糖は起こりにくいものの、BOTという不完全な治療がうまくいくのは肥満2型糖尿病における糖毒性改善を図る場合であり、今後はBOTに代わりGLP-1受容体作動薬の併用が増加してくると思われる。しかし、肥満型でインスリン抵抗性の強い2型糖尿病にGLP-1受容体作動薬を併用してもインスリン療法から離脱できない例もあり、保険診療内での投与量の問題もあるが、個々の患者に合わせたテーラーメイド医療が必要になってくる(米国ではBOT+ GLP-1受容体作動薬の併用の治験が行われている。日本では保険適用外であるがこれなら肥満2型糖尿病でもよいかもしれない)。

■群馬保険医新聞2013年2月号

【診察室】診断に迷った心筋梗塞の症例

【2012. 11月 15日】

高崎市・高瀬クリニック 高瀬真一/遠藤 彰 

 急性心筋梗塞は、冠動脈血流の途絶により心筋組織の不可逆的壊死を生じる病態で、多くの心筋梗塞は冠動脈のプラーク破綻から血栓を生じることにより発症する。発症から冠動脈血流の再開までの時間が予後に影響するため、早期の的確な診断と、それに続く再潅流療法が重要といえる。
 循環器救急現場で心筋梗塞の初期診断を行う上で、最も迅速かつ簡便におこなわれる検査は12誘導心電図である。図1に典型的なST上昇型急性心筋梗塞の心電図および冠動脈造影検査所見を示す。
診察室1

 図1のような典型的なST上昇型の心筋梗塞は、診断に迷うことは少ない。しかし実臨床では心電図検査のみでは診断に迷う心筋梗塞症例も多々ある。非典型例の診断のためには12誘導心電図、胸部X線写真、心エコー検査に加え、血液生化学検査が重要な役割を演じている。心筋梗塞の診断基準は表のように公開されており(図2 Universal Definition of Myocardial Infarction)、確定診断には心筋虚血に基づく心筋壊死の根拠を明らかにすることが必須とされている。
診察室2

 血液マーカーとしては、クレアチニンキナーゼ(CK)CK-MB、トロポニンIおよびT、ミオグロビン、H-FABP、ミオシン軽鎖などがあるが、中でも心筋トロポニンの上昇は心筋壊死を鋭敏に反映し、診断ツールとして特に有用と考えられている。トロポニンは心筋特異度と検出感度が高く、前述したUniversal Definition of Myocardial Infarctionでも心筋壊死を判断するのに望ましいマーカーとして推奨されている。心筋梗塞発症後3~4時間で上昇し、3~7日間でピーク値となり、7~14日まで有意な上昇を認めるため、数日経過した症例にも有用と考えられている。近年、循環器救急現場でトロポニンT迅速測定キットが広く活用されており、心筋梗塞の診断に大きく貢献している。 
 今回トロポニン陰性のために診断に迷った症例を経験したので、紹介する。

・症 例:64歳男性
・主 訴:胸背部痛
・既往歴・家族歴:生来健康で特記事項なし、喫煙歴なし
・現病歴:入院日の午前6時ごろ畑仕事中に突然の胸背部痛を初めて自覚、安静にして経過を見ていたが、改善しないため午前8時、当院救急外来受診した。
・入院時現症:身長165cm、体重60kg、血圧120/72mmHg、脈拍70/分整、頸静脈怒脹なし、呼吸音・心音正常、腹部下肢に異常所見なし
・入院後経過:受診時、冷や汗を伴う胸背部痛は持続し、心電図にてⅠ、aVL誘導にてごく軽度のST上昇、Ⅲ、aVf誘導にてST低下を認めた。発症2時間の時点でおこなった血液検査では、心筋逸脱酵素の上昇はなく、白血球数7200/μLと正常で、トロポニン迅速検査は陰性であった。心臓超音波検査では壁運動異常は明らかでなく、その他の異常も認めなかった。胸部レントゲン検査、胸腹部CT検査にて動脈解離を含め異常は認めなかった。来院から約1時間半後、胸背部痛出現から約3時間半の時点で再度血液検査を行ったが、やはり心筋逸脱酵素の上昇はなく、白血球数7500/μLと正常で、トロポニン迅速検査も陰性であった。トロポニン迅速検査が発症3~4時間の時点で陰性だったこと、心電図変化が明らかでなかったことから冠動脈造影に踏み切るかどうか迷ったが、確定診断の為にも緊急冠動脈造影検査を行った。

診察室3
診察室4
・冠動脈造影検査所見及び治療経過:図3に示すように、左冠動脈対角枝が起始部より閉塞していた。その他に有意狭窄は認めなかった。対角枝閉塞が原因の急性心筋梗塞と判明したため、引き続き経皮的冠動脈形成術(PCI)を行い、再潅流に成功した。CPKのピークは発症約15時間後で1368IU/Lであった。特に合併症は認めず、リハビリを行い1週間後に退院された。
発症から4時間弱であったことからトロポニン検査陰性となったため、急性心筋梗塞の診断に迷った症例を経験した。救急現場では一つの検査結果にとらわれることなく診断・治療していくことが重要と思われた。

■群馬保険医新聞2012年11月号

【診察室】健康食品・サプリメントによる皮膚障害

【2012. 10月 15日】

健康食品・サプリメントによる皮膚障害

前橋市・倉繁皮ふ科医院  倉繁田鶴子

 ▊診断 「原因不明の全身紅斑」
 この診断名では、対診を求められた他科の先生には到底納得していただけないと思う。なにより皮膚科医自身やりきれない。しかし現実には、こうした判断をせざるを得ない場面が稀ではない。例えば、
 
 ▊約1週間前から徐々に全身に広がった紅斑
 発熱、咽頭痛、関節痛の有無、経過、検査結果の検討に加え、膠原病固有の皮疹(爪囲紅斑、網状皮斑、指尖潰瘍Xなど)もチェックする。陽性所見は何もない。内服薬を聞いても何も飲んでいないという。「頭痛薬は? 生理痛の薬は? 車酔いの薬は? 」そろそろ焦ってくる。一つでも多く情報が欲しい。このような場合、最近選択肢に加える必要を強く感じるのが健康食品・サプリメントである。

 ▊健康食品・サプリメント ― 皮膚障害
 2001年厚生労働省が「保健機能食品」の呼称を定義したのをきっかけに少しずつ販売を拡大し、2010年には1兆7千700億円ともいわれる巨大市場に変貌した。今では一般医薬品の販売総額をはるかに超えている。確かに日々の診療の中で患者の生活に健康食品が幅広く浸透しているのを痛感させられる。
 健康に生きることは誰にとっても普遍的で最大の願いである。さらに、いつまでも若くとアンチエイジングへの期待も大きくなるばかりだ。メディアには、治りにくい慢性疾患に対する夢のような代替医療の情報があふれている。それらの希望をすべてすくい取るかたちで健康食品の現在がある。こうした需要を無視または否定するものではない。サプリメントを食べているという幸せな気持ちは理解出来る。しかし健康食品だから害がないという誤解はきちんと正す必要があると思う。
 ここでは報告された皮膚障害例の一部を挙げる。いずれも皮膚科専門誌(一部内科)に掲載されたもので、原則としてDLST、プリックテスト、パッチテスト、内服テスト、(光内服テスト含)いずれかの試験により原因と特定されている。

(1)プロポリス
◦プロポリス摂取による全身の丘疹・紅斑。
 プロポリス摂取後全身皮疹と肝障害で入院。退院して  再びプロポリスを摂取し皮疹、肝障害にDICを合併。 プロポリスエキスによるパッチテスト陽性。
◦プロポリスのアルコ-ル抽出液を内服し、全身多形紅斑 型皮疹。
◦プロポリス外用による接触性皮膚炎の報告が国内、国外 に多数。
 プロポリスは多様な成分から成る蜂脂。経皮感作性が高い。飲用の他、化粧品や石鹸、入浴剤にも使用されたため、感作の機会が増えたと考えられている。スプレ-まである。
(2)クロレラ
◦クロレラによる全身紅皮症…内服開始後10日。
◦全身中毒疹…内服開始後1年。  
 全身紅斑丘疹型…内服開始後1年。
◦扁平苔癬型…内服開始後6年の症例、5カ月後発症の症例。
◦クロレラによる光線過敏症、光線生白斑黒皮症、多数。
 クロレラは淡水産緑藻類の一種で広く摂取されている。とりわけ光線過敏症が目立つ。
 ※スピルリナ(同じ藍藻類)
 摂取3週間後に全身紅斑と発熱。HHV-6の再活性化を伴うスピルリナによるDIHS。スピルリナでDLST陽性。
(3)食べるシイタケ
◦健康食品店で購入した「食べるシイタケ」を食べ、4日 後、特有の皮疹が全身に出現。同様のシイタケ乾燥加工 品による皮膚炎が多数報告されている。
 シイタケ皮膚炎自体は皮膚科で日常しばしば見るおなじみの疾患である。全身の激しい痒みと掻破痕に一致した浮腫状線状紅斑が特徴でブレオマイシンの薬疹に似ている。通常生シイタケを焼くまたは乾燥シイタケを煮て食べたときに出現する。しかしこの場合食事としてではなくビタミン剤を飲む感覚で摂取している。
 ※アガリクス(姫マツタケ)によるscratch dermatitis
肺小細胞癌で入退院を繰り返し、健康雑誌に掲載されたアガリクスの焼酎漬けを6カ月飲用後、シイタケ皮膚炎に似た皮疹を全身に生じた。
(4)ウコン
◦自家栽培のウコン茶を毎日摂取。10カ月後に全身に痒み のあるびまん性の紅斑と落屑が拡がった。薬疹、膠原病 などが疑われたが、ウコンのパッチテスト陽性。
◦沖縄産ウコン摂取数日後から顔面、頸部、左手に紅斑→ スレ-ト色色素沈着を繰り返す。ウコンパッチテスト陽 性。多発性固定薬疹。
◦ウコン含有クリーム、(漢方製剤)による接触性皮膚炎 の報告多数。
 ウコンは熱帯アジアを主産地とするショウガ科の植物で、カレ-粉の主成分。黄色の食品着色料として多用されている。1000種類以上の成分から成り、原因物質の特定は今のところ困難とされている。。
(5)その他の報告
 ドクダミ(光線過敏症、多形紅斑他)、胎盤エキス(多形紅斑)、ギムネマ茶(扁平苔癬)、キトサン(アナフィラキシ-)、イチョウ葉エキス(皮膚掻痒症)、キチンキトサン(接触性皮膚炎)、ヤ-コン(アナフィラキシ-)。
            *
 「自然だから安全」「健康食品は副作用が出ない」「食べても塗っても嗅いでも良く効く」、心地よいキャッチフレ-ズがあふれ、健康食品志向は私たちの想像を超えている。最近では、キッズサプリなる子ども用のサプリメントも販売されていることを知った。
 自身の体験からも、薬の内服の有無を問診した時に健康食品を挙げる患者は少ない。健康食品に注意を促しつつ十分に想像を巡らして「正体不明の発疹」の原因にたどり着きたいと考えている。

■群馬保険医新聞2012年10月号
             

 
       

 

【診察室】もう一度、“問診”を見直す

【2012. 8月 15日】

もう一度、“問診” を見直す

        前橋市・大野歯科医院 大野純一

 問診のスキルというのは、現場の臨床医にとっては基本中の基本です。ところが現在、教育カリキュラムにおける問診のトレーニングに関して、後輩たちに訊く限りは私の学生時代の頃と大差はなく、その占める割合はあまり多くないようです。問診の本来の最終目的は、診断をつけるための診察行為の一部と考えられています。大まかな推察をして、その後検査で確定していくという方法が一般的ではないでしょうか。でもこの“問診”という行為が未来の医療にとても大きな可能性をもたらすのではないか、と最近思っています。

●なぜ14枚法で撮影するの?

 私たちの歯科の臨床でもテクノロジーの発達に伴い、いろいろな検査法が発達してきました。それを上手にこなせば患者さんの幸福にとても大きく寄与するところですが、限られた診療時間や「検査」に対する過信でしょうか、忙しい日常臨床では、ついつい患者さんへの“問診”が片隅に追いやられているような気がしてなりません。でもこの傾向は、実はわが国だけの問題ではないようです。
 筆者がスウェーデンにおいて歯周病専門医のトレーニングを受けていた際にも、ベテラン指導医たちは若手レジデントに常にその点を指摘していました。
 あるとき、現地の開業医から歯周病の再発のため紹介されてきた患者を私が担当したときのことです。初診時にすべての歯が写るレントゲン(14枚法)を撮影することは、日本の大学病院から来たばかりの私にとっては当たり前のことで、何の疑問も持ちませんでした。簡単な診察のあと、さっそく撮影の準備を始めましたところ、クリニックの指導教官がこう聞いてきました。「なぜ14枚法で撮影するの?」と。教官曰く、「まずカルテで経過をみて、しっかり問診し、それからプロービング(歯周病の基本的な検査法)をして撮影部位を決めなさい。あなたが何を疑って、どの部位(歯)に対して、どの角度で撮影したらいいか、“検査のプラン”をまず立てなさい。そうすれば患者の負担は最小限で済むから」と。その時に、指導医とディスカッションしながら気づいたことですが、当初14枚のレントゲンを撮影するはずが、わずか4枚で済むことがわかりました。しかも最初私が撮ろうとしていた撮影法ではなく、もっと単純な別の撮影方法が有効であることは新鮮な驚きでした。この時も、紹介状の内容と問診で経過を聞いたことが、とても大切な役割を果たしました。この経験はいまでも私の臨床に大きな影響を与えています。

●ミルトン・エリクソン博士に学ぶ

 問診といえば、診断のための情報を得るだけでなく、そのほかにもいろいろなメリットを持つことを、ある教育カウンセラーの方との出会いがきっかけで実感しました。医療においては目の前の患者が主な対象ですが、彼らは目の前の子供ばかりでなく、その両親や家族をも対象にしなくてはいけないケースが多いそうです。そういう観点でみると、我々よりも複雑な人間関係の中で仕事をすることが多いようです。
 彼らもやはり「問診」をします。問診により必要な情報を集めるばかりでなく、問診をしながら相手とのラポールを築いたり、問診の時点ですでにクライアントの問題を解決に導き始めていくそうです。私も実際、セミナーに出席して体験したのですが、「質問をする」「訊く」ことがこんなにも人の心に影響をするのかと、驚きました。
 その基本的なコンセプトは、もともとアメリカの精神科医で現代心理療法の巨人・ミルトン・エリクソン博士(1901-1980)の方法に基づいています。日常会話をしながら、いつの間にか相手を変性意識状態に誘導する独特の方法は「エリクソン催眠」とも呼ばれ、ベトナム帰還兵のPTSDの治療に大きな役割を果たしました。彼の微妙な言葉の使い方でコミュニケーションとラポールを築く方法は、21世紀になっても臨床心理学、広告業界、各種コミュニケーション理論、そして最近ビジネスなどでよく聞く「コーチング」などにも大きな影響を与えています。

●患者を理解し信頼関係を築く

 我々の日常臨床では患者を催眠状態に誘導する必要は全くありません。ただ、エリクソンのスキルの中のほんの一部分をマスターして、診察時に問診しながら、心地のいいコミュニケーションや深いラポールを築けたらどんなに毎日の診療が楽しいでしょう。私自身、患者への応対が格段に楽になりました。
 社会や価値観の変化に伴い、医療者側と患者側の関係がこれからもますます変化していくことが予想されます。しかしどんなにそれらが変化しても、心地のいいコミュニケーションを提供し、深いラポールを築くことが大切であることは変わらないと思います。
 最後にちょっと宣伝を。昨年、教育カウンセラーの友人と現場の臨床医たる私が共同で、一年がかりで医療者向けの問診スキルのトレーニングコースを創りました。もし読者の皆さんの中に今回の内容に少しでも興味をお持ちになられましたら、我々のホームページをちょっと覗いてみてください。では!
http://dialogue-technology.com/

■群馬保険医新聞2012年8月号

【診察室】最近のお産の傾向

【2012. 7月 15日】

最近のお産の傾向
         前橋市・小沢医院 小澤 聖史
 
 近年、初婚年齢の上昇とともに出産年齢の高齢化が起きています。これは女性の社会への進出とともに進んできているようです。1985年に「男女雇用機会均等法」が成立し、女性の就職形態が変わったことが大きく影響していると考えられます。
            *
 初婚年齢は、平成5年に26.1歳であったものが平成22年には28.8歳になりました。
 第一子の出産年齢は、平成7年には27.7歳だったのが平成22年では29.9歳になり、今年の統計ではとうとう30歳を超え、30.1歳になりました。今後この傾向はさらに進むでしょう。
 初産年齢の高齢化に伴い、出生率も低下し、昨年の合計特殊出生率は1.39になりました。合計特殊出生率は、15~49歳までの年齢ごとに、その年に何人産んだかを示す出生率を算出し、合計した数値です。2.07を下回ると人口の減少が始まるといわれ、1947年に4.54だった出生率が今年1.39まで低下したというわけです。
 結婚の高齢化、第一子出産の高齢化に伴い、日本産婦人科学会では高齢初産の定義を1993年に30歳から35歳へ変更しました。出産年齢の高齢化もありますが、さまざまな結果から、実質的に35歳以上だと(特に初産)リスクが高まることがわかったからです。

 ■高齢出産の問題点
 
 ・妊娠しにくくなる
 高齢だと妊娠しにくくなります。高齢化に伴い卵巣の老化が始まり、作られる卵子の質も老化するといわれています。卵子の質の低下はそのまま妊娠しやすいかどうかに影響します。
 ・切迫流産・切迫早産になりやすい
 卵子の質の低下も関係がありますが、切迫流産や、切迫早産を起こしやすくなります。
 
 ・微弱陣痛になりやすい
 
 ・子宮頸管の柔軟性が失われる
 加齢により各組織の柔軟性が失われ、赤ちゃんの娩出時に軟産道裂傷を起こしやすくなります。
 
 ・妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病
 妊娠高血圧症候群は、以前妊娠中毒症と言われていたものです。2005年3月に日本産婦人科学会にて妊娠高血圧症候群へ名称変更され、定義が改変されました。これに伴い、診断基準の中から浮腫が削られました。
 高齢初産だけでなく、高齢出産では妊娠高血圧症候群になりやすいと考えられています。また、高齢に伴い妊娠性糖尿病の発症も増えてきます。妊娠性糖尿病発症者は加齢に伴い糖尿病を発症しやすいことがわかってきています。
 
 ・染色体異常の増加
 加齢に伴い染色体異常の発生も多くなります。代表的な染色体異常にダウン症があります。ダウン症は、体細胞の21番染色体が1本余分に存在し、計3本(トリソミー症)持つことによって発症する病気です。ダウン症の発生率は25歳で1/1200、30歳で1/880、35歳で1/290、40歳で1/100、45歳で1/46と加齢に伴い発生率が増加します。
 染色体異常の術前診断として羊水検査と絨毛検査があります。群馬県では羊水検査を群大附属病院と小児医療センターで実施しています。羊水検査は自費の検査で妊娠15週前後に行われます。
 
 ・出産後の母体の体調回復の遅延
 出産は女性にとって大仕事ですから、体力的にもとても大変なものです。出産後の回復は、若年者よりは明らかに遅いことが多いです。
 
 ・退院後の育児
 育児は3時間おきの授乳から始まり、おむつ交換、泣き止まない赤ちゃんの寝かしつけ等たくさんあります。精神的には若い母親より安定していることが多いのですが、体力的には大変なことが多いです。

 ■高齢出産の利点  
 
 金銭的な面とメンタルな面があるといわれています。金銭的な面としては、若年者よりは蓄えが多いと考えられます。メンタル的にも母親となる自覚において、若年者よりも赤ちゃんを受け入れやすいと考えられています。  
            *
 結婚年齢の高齢化により、結婚時に女性が責任のあるポジションにいることが多く、また共働きにより、子作りが後回しになることが多くなってきています。いざ妊娠を希望するころには、なかなか妊娠できなくなっていることも多く、また妊娠しても上記のような危険が潜んでいます。子どもは欲しいときにすぐ妊娠できるというものではありませんので、このあたりの意識改革が今後医療サイド主体に行われる必要があると思われます。

■群馬保険医新聞2012年7月号

【診察室】腰部脊柱管狭窄症

【2012. 5月 15日】

腰部脊柱管狭窄症

藤岡市・飯田整形外科医院 飯田 浩

 高齢人口の増加に伴って、外来で遭遇する腰部脊柱管狭窄症の方の数は着実に増えてきています。この疾患の認知度は上がってきていますが、診断基準は発表されないままでいました。
 
◆診断基準(案)
 2011年11月に、日本での「腰部脊柱管狭窄症診療ガイドライン」が発表され、診断基準(案)が示されました。この中で腰部脊柱管狭窄症は症候群として定義され、次の4項目全てをみたすものとされています。1)殿部から下肢の疼痛やしびれを有する。2)殿部から下肢への疼痛やしびれは立位や歩行の持続によって出現あるいは増悪し、前屈や座位保持で軽快する。3)歩行で増悪する腰痛は単独であれば除外する。4)MRIなどの画像で脊柱管や椎間孔の変性狭窄状態が確認され、臨床所見を説明できる。
 「症候群」ということで、複数の症候の組み合わせによって診断するのが妥当とされています。そして、特有の症状の有無が診断の要になっています。MRIなどの画像だけを示して、「この方は脊柱管狭窄症でしょうか? 」という問いは、基本的には成り立ちません。MRIなどの画像診断は、症状を説明するに足る情報のある時に、最終診断で活用されます。実際、画像上の狭窄の程度と臨床症状の重症度とは必ずしも相関していません。この診断基準(案)は簡潔にまとまっていますが、脊柱管狭窄症になじみのない方にはピンとこない面があるかと思います。 
 
 ◆診断サポートツール
 2006年に日本脊椎脊髄病学会が作成した「腰部脊柱管狭窄症診断サポートツール」が今回のガイドラインにも取り上げられていて、疾患のスクリーニングや理解に役立っています。評価項目は病歴2項目、問診3項目、身体所見5項目になります。内容を確認してみますと、年齢の点では、高齢の方に狭窄症が増えることを考慮したスコアになっています。糖尿病の既往では、糖尿病性神経障害を除外する目的で、既往のない場合にスコア1点が入ります。問診の3項目は脊柱管狭窄症のメイン部分で、それぞれの症状に高いスコアが付いています。身体所見の前屈・後屈による症状出現も、特徴の一つになります。姿勢による狭窄部硬膜の圧変化をみた研究では、1)圧は臥位でもっとも低く、坐位ではその約2倍、立位では約4倍となる。2)もっとも高い圧は立位後屈で、臥位の約6倍上昇する、となっています。姿勢変化=圧変化による症状出現の有無をスコア化しています。ABI(足関節上腕血圧比)は、末梢動脈疾患などによる血管性跛行と鑑別するために重要な点で、高いスコアとなりました。狭窄症では、立ち止まった後、前屈することによって症状が軽減するのに対し、血管性跛行では、姿勢は関係せず立ち止まるだけで下肢痛が軽減するのが特徴になります。ATR(アキレス腱反射)の低下や消失は、頚椎や胸椎高位での脊髄障害による脊髄性間欠性跛行を否定するために取り入れられています。頚椎・胸椎の障害では、両下肢の痙性がみられますが、腰椎の障害では腱反射の低下・消失が現れます。SLRテスト(下肢伸展挙上テスト)は、腰椎椎間板ヘルニアで陽性となることが多く、陽性時にはマイナス2点のスコアになります。以上の合計点数が7点以上の場合、腰部脊柱管狭窄症の可能性が高いと判断されます。
 高齢者によく見られる姿勢イメージとして、腰の曲がった姿勢が思い浮かぶかと思います。腰曲がりの原因の一つは、骨粗鬆症に起因する脊椎の圧迫骨折によって、円背・亀背となる場合があります。もう一つは、腰を曲げて歩くと下肢への痛みやしびれが出にくいといった脊柱管狭窄症の状態によることが考えられます。「手押し車を押していれば、かなりの距離も歩きやすい」というのは、患者自身が歩行制約の軽減を図っていると考えられます。また自転車での移動は苦労なくできるというのも、脊柱管狭窄症に特徴的なサインになります。
 
 ◆治療  保存療法と手術的治療
 腰部脊柱管狭窄症の自然経過は、比較的良好と考えられています。軽度から中等度の脊柱管狭窄症では、保存療法は最大70%程度の患者さんに有効とされていて、治療の第一選択になります。
 保存療法では、薬物療法と神経ブロック療法が主に行われます。薬物療法では、神経への循環障害を改善させるプロスタグランジンE1製剤の内服が有名ですが、やや効果に限定的な面があります。内服で効果がなくても、リポプロスタグランジンE1製剤の注射剤で効果の見られる場合がありますが、今のところ保険適応はありません。非ステロイド性抗炎症薬の効果も限定的ですが、最近使われるようになった末梢性神経障害性疼痛の治療薬で症状の軽減がみられることがあります。神経ブロック療法は、短期的には有効性があります。他には、生活指導(腰反りの注意)や前屈位コルセットが処方されることがあります。
 手術的治療の適応は、1)保存的な治療が無効。2)強い痛みのために歩行や日常生活が極端に制限される。3)膀胱直腸障害がある。4)社会的な要求が満たせない。5)QOLの改善を求めて(ゴルフや旅行の希望)、などがあります。手術法には、従来からの後方除圧術(開窓術)が多く行われており、ここに後方脊椎固定術を追加する場合としない場合があります。施設によっては、内視鏡下手術で後方除圧を行い、社会復帰を早める工夫をとっている所もあります。手術治療の長期成績では、4~5年の経過で、70~80%の患者さんが良好となっています。その後はやや低下し、65%前後で良好となります。術後、ほとんどの方で歩行時の疼痛は軽減しますが、下肢のしびれ、特に足底のしびれの残存は多い印象があります。
            *
 高齢者の生活の自立と健康長寿の維持は、切実な社会問題の一つとなっています。腰部脊柱管狭窄症はまだ不明な点が多く、高齢化が進む中で、今後の病態解明と診断・治療法の進歩が期待されています。

■群馬保険医新聞2012年5月号

【診察室】胆道閉鎖症の早期発見に向けて

【2012. 4月 15日】

胆道閉鎖症の早期発見に向けて

群馬大学医学部附属病院周産母子センターNICU

大木康史

 

 はじめに
 平成24年度からの母子健康手帳(母子手帳)の大改訂の1つとして、胆道閉鎖症早期発見のための便色カードの綴じこみがあります。群馬県内の市町村でも、4月から改訂された母子手帳が全面的に使用されます。今回、この便色カードについて寄稿する機会をいただきましたので、胆道閉鎖症と便色カードについてご説明申し上げます。

 ■胆道閉鎖症とは? 
 胆道閉鎖症は、約9,000出生に1例の頻度で発生する疾患で、肝外胆管が原因不明の硬化性炎症によって閉塞するために、胆汁うっ滞からやがて肝硬変を発症し、手術しなければ死に至る疾患です。
 三主徴は生後14日を越えて続く黄疸、淡黄色便、濃黄色尿です。本疾患は直接ビリルビン高値が特徴的ですが、間接ビリルビンを主体とする総ビリルビン値は必ずしも高くなく、肉眼的黄疸としてはわかりにくいことがあります。便色は、全国登録の集計で入院時には97%で灰白色ないしは淡黄色と判断されていますが、異常色を呈する回数が少なかったり、1か月以降に徐々に色が薄くなったり、判断に迷う色合いの場合もあります。
 この疾患の予後改善のためには、手術の成功率が高く、肝硬変を来していない生後60日以内に手術を行うことが望ましいとされます。手術の遅れは黄疸消失率の低下、肝硬変の発症、生体肝移植の可能性の増大といった悪循環を引き起こし、肝移植に伴う膨大な医療費も発生します。ゆえに、早期発見、早期手術が重要とされる代表的な乳児疾患です。
 しかし、前述の全国集計での手術時日齢は、1998〜2008年診断例で68.6±32.4日と、実際の手術日齢の平均値ですら生後60日を越えているのが現状で、早期発見の難しさがお分かりいただけるかと思います。 
 また、胆道閉鎖症では腸管への胆汁排泄が減少し、脂溶性ビタミンの一つであるビタミンKの吸収が不良になり、血液凝固能が低下して頭蓋内出血等の出血症状を来たすことがあります。全国調査でも胆道閉鎖症の約4%は出血症状で発見されました。特に頭蓋内出血で発症した場合には、胆道閉鎖症の治療が成功しても後遺症を残す可能性が高くなります。この点からも、早期に発見することが重要です。

 ■胆道閉鎖症の早期診断
 胆道閉鎖症の早期診断には、血清直接ビリルビン値測定、尿中硫酸抱合型胆汁酸測定などを含め、いくつかの方法が検討されました。個々の方法には優劣がありますが、診断能力、コスト、簡便さの面から、便色カラーカード法が優れています。
 胆道閉鎖症患児の大部分は、出生後しばらくの間は黄色便を出しています。70~80%の患児では、生後4週までに便色が淡黄色に薄くなります。残りの20~30%の患児では、生後1か月を過ぎてから淡黄色便が出現します。一方、生後2から3か月になった患児の便は、より灰白色に近づくことが知られています。便色カラーカードは、このような便色の変化を家族や医療関係者が客観的に評価できるように作成されたものです。国立成育医療研究センターの松井先生達の栃木県での10年間にわたる検討では、感度=80.0%、特異度=99.9%、陽性適中率=13.6%で、スクリーニングとして十分に有効という結果が得られています。
 今回母子健康手帳に綴られる便色カードは、松井先生達が新たに作成したものです。特徴は色情報を定量化し、個々の番号の色調もL*a*b*色空間情報を用いて科学的に区分されたことで、全世界で同じ色に印刷することが可能になりました。このカードが全国で母子手帳に綴られるということは画期的なことと思います。
 実際のカードの利用方法
 群馬県保健予防課では、早期発見がスムーズに進行するよう、保健師、周産期・小児医療に携わる医療関係者を対象に、説明会を開催する予定です。具体的な早期発見の流れは以下の通りです。
 ①母子手帳交付時に便色カードの使用方法について保護者に説明します。
 ②主に1か月健診で、便色の確認を保護者と医療関係者で行います。
 ③1か月健診以外でも保護者等が便色の変化に気づいた場合、医療機関を受診することがあると思います。
 色調の比較は、出来るだけ明るい太陽光の下か明るい部屋で、保護者が児の便と便カラーチャートを近づけて色を比べ、最も近い番号を調べます。どちらか迷ったら小さい番号の色を選び、一度でも1から3の便が出たら異常と捉えていただきます。生後2週及び生後4週に調べますが、中には症状が遅れて出ることがあるので、保護者には生後4か月までは便色を確認することを勧めています。
     
 ■異常な便色の患児が受診したら
 1か月健診、あるいはその後の受診時に保護者から便色が1から3と申し出があった場合は、実際の便とカラーカードを比較してください。比較して便色が1から3の場合は、小児外科と小児科の両科を有する、群馬大学附属病院、群馬県立小児医療センター、総合太田病院のいずれかの小児外科に直ちにご紹介ください。陽性的中率13.6%という数字からも分かりますように、このカードにより便色の異常に気づかれた場合、原因は胆道閉鎖症以外にも、胆道拡張症、新生児肝炎、アラジール症候群、シトリン欠損症など、胆汁排泄機能が低下した他疾患の可能性も高く、胆道閉鎖症の診断が確定するのに時間がかかる場合があります。この3施設であれば、診断から手術までの準備期間を考えた場合に最も短時間で手術まで到達できるため、群馬県は精密検査医療機関として指定しています。前述のビタミンK欠乏性出血症を防ぐためにも、便色異常に気づかれた場合は直ちに上記の精密検査医療機関にご紹介いただければと思います。

 

■群馬保険医新聞2012年4月号

【診察室】膠原病―全身性強皮症と皮膚筋炎 最近の話題

【2012. 3月 15日】

膠原病
―全身性強皮症と皮膚筋炎 最近の話題

群馬大学大学院医学系研究科皮膚科学  永井弥生

 膠原病は全身性自己免疫疾患の中心であり、「難病」を代表する疾患群である。近年、膠原病の生命予後は大きく改善しているが、これは治療の進歩とともに、早期診断あるいは従来見逃されてきた軽症例の増加が関与している。いまだ治療に難渋するケースもあるが、今後はQOLの改善に向けてさらなる有効な治療が模索されている。
 膠原病は多種の疾患を含むが、今回は皮膚科で関わることの多い全身性強皮症、皮膚筋炎を取り上げた。

 
 ■全身性強皮症
 ①全身性強皮症の分類と主な症状
 全身性強皮症は、皮膚や内臓の線維化と血管病変が臨床症状の主体をなす疾患である。かつては進行性全身性硬化症(progressive systemic sclerosis:PSS)と呼ばれていたが、必ずしも進行性ではないことから、この病名は使われなくなった。英語名もPSSに代わってsystemic sclerosis:SScの略語が用いられるようになって久しい。全身性強皮症は、皮膚硬化の範囲から、限局性皮膚硬化型(皮膚硬化が肘関節より遠位のみ)と広汎性皮膚硬化型(皮膚硬化が肘関節より近位までみられる)の2型に分類されており、一般的には広汎性皮膚硬化型で内臓病変を合併する重症例が多い。
 手指の皮膚硬化は必発であり、進行すると屈曲拘縮のために動きが制限され、難治性の潰瘍形成に至ることも少なくない。頻度の高い内臓病変としては逆流性食道炎があり、胸やけや嚥下時のつかえ感は、早期例や軽症例でもしばしばみられる。間質性肺炎は、皮膚硬化の範囲が広い重症例で多くみられるが、肺高血圧症や原発性胆汁性肝硬変は軽症例でも合併する頻度が高い。根本的な治療はないが、末梢循環障害に対する加療を中心として、各々の症状に対する治療を行う。急速に皮膚硬化が進行する場合には、副腎皮質ステロイドの全身投与を行うこともある。近年、治療指針を示すガイドラインが作成されている。
 
 ②全身性強皮症の診断
 初発症状として多いのはレイノー症状で、これは、寒冷時に手指末梢血管の攣縮によって起こる手指の白色調の変化である。皮膚硬化は手指から始まるので、診断には手指背面の皮膚のつまみあげができない、つまみ上げにくい、といった症状(強指症)を確認することが必要である。強指症に加え、手指尖端の瘢痕、肺線維症、特異的な抗体陽性(抗トポイソメラーゼI抗体または抗セントロメア抗体)があれば強皮症と診断しうる。
 近年、強皮症関連病態という概念が提唱された。これは、定型例や早期例のほか、皮膚硬化が明らかでなく診断には至らないが、将来強皮症に進展する可能性の高いレイノー病などを包括した概念である。より早期の診断のためのポイント診断基準案も作成され、レイノー症状のパターンや爪上皮出血点の項目が重要視されている。爪上皮出血点は後述の皮膚筋炎でもみられるが、強皮症では早期からみられる所見として診断に重要である。
 強皮症の診断には、特徴的な皮膚症状を捉える必要がある。レイノー症状を有する人は人口の数%いるともいわれ、早期例が見逃されている可能性がある。疑わしい場合には早期に専門医への紹介が望ましい。

 ■皮膚筋炎
 ①筋症状のない皮膚筋炎もある
 皮膚筋炎の診断には、筋痛、筋脱力症状などの臨床的な筋症状、CK、アルドラーゼなどの筋原性酵素の上昇と特徴的な皮疹が必要である。筋症状の評価は筋電図や筋生検にて行われてきたが、近年では感度の良さと侵襲の少なさからMRIによる評価が頻用されている。
ときに筋症状を全く伴わない、典型的な皮膚症状のみの皮膚筋炎があり、amyopathic dermatomyositis(ADM)として認識されている。筋炎が顕在化する前の段階をみている可能性もあるが、長年にわたる観察から、恒久的なADMが存在するという説が有力である。
皮膚筋炎でしばしば問題となるのは、内臓悪性腫瘍の合併と間質性肺炎である。特に経過中に発症し、急速進行性の致死的な経過をとるタイプの間質性肺炎があることはよく知られている。ADMでは通常の皮膚筋炎に比べ、急速進行性間質性肺炎の合併が多いとされ、注意を要する。

 ②皮膚筋炎の皮膚症状
 皮膚筋炎の診断には皮膚症状を捉えることが重要である。ヘリオトロープ疹(上眼瞼の腫脹を伴う暗紫紅色斑)、ゴットロン徴候(手指関節背面の角化性丘疹=図3)が有名だが、このほかにも顔面、特に前額、内眼角、鼻唇溝や耳から側頸部にかけての皮疹、手指腹にみられる逆ゴットロン徴候やmechanic’s hand(機械工の手)と呼ばれる手指側面、特に第1、2指側面が好発する湿疹様の皮疹がある。爪囲紅斑や強皮症でもみられる爪上皮出血点、肘部や膝の背面の角化性紅斑がみられることもある。背部のかゆみを伴う掻破痕様あるいは線状の紅斑は特徴的である。
 
 ③注目される新しい自己抗体
 抗Jo-1抗体以外には特異性の高い自己抗体がないとされてきたが、近年、新しい特異的な自己抗体が注目されている。ADMに比較的特異的な抗体として、抗155kDa抗体/抗Se抗体や抗CADM-140抗体がある。抗155kDa抗体は、小児皮膚筋炎や潰瘍を伴う重症例、悪性腫瘍合併皮膚筋炎のマーカーとも考えられている。抗CADM-140抗体は急速進行性間質性肺炎を合併するADMの新しいマーカーとして重要である。
 抗Jo-1抗体は抗アミノアシルtRNA合成酵素(ARS)抗体のひとつである。抗ARS抗体としては現在8つが知られているが、これらの抗体が陽性になる例は臨床症状が似ており、抗ARS症候群と称されている。抗ARS症候群は筋症状、皮膚症状、間質性肺炎の3つの要素が種々の程度に混在しており、それ以外に関節炎や発熱をはじめとした炎症所見がしばしば認められる。今後、本症候群の位置づけや個々の抗体と臨床症状との関連について、さらなる新知見が得られるものと思われる。

■群馬保険医新聞2012年3月号

【診察室】過活動膀胱

【2012. 2月 15日】

過活動膀胱

前橋市・中沢クリニック 中沢康夫

 過活動膀胱(overactive bladder:OAB)という言葉は、某製薬会社が著名な女優を使って啓蒙したおかげで、ここ数年、多くの人に知れわたってきました。比較的新しい概念で、2002年に国際禁制学会が症状をもとに定義した症候群です。要は「我慢できない強い尿意が急に起こる」ことであり、「年をとっておしっこが我慢できなくなった」という人のほとんどがこの疾患と考えられますので、潜在的な数を含めると、きわめて多くの患者が存在すると推測されます。過活動膀胱診療ガイドラインによると、2002年の疫学調査で過活動膀胱の有病率は、全体の12.4%以上にみられます。また加齢により多くなり、80歳以上では40%弱の人がこの疾患にかかっていることがわかります。
 過活動膀胱は、より厳密な言葉で言うと「尿意切迫感を有し、通常は頻尿および夜間頻尿を伴い、切迫性尿失禁を伴うこともあれば伴わないこともある状態」となります。もちろん感染症などによりこの症状が起こっている場合は除外されるので、診断にあたっては、検尿と残尿測定は欠かせません。若い人は、膀胱炎を起こせば尿意切迫感だけでなく排尿時痛、残尿感など随伴症状が出ますから、尿の検査ができなくても問診だけで膀胱炎と診断できます。一方、高齢者では、細菌性膀胱炎を起こしているのに排尿時痛をまったく感じない人も時々みられます。もちろんその場合は有効な抗生剤の投与で症状が改善します。また、高齢者の場合は、排尿筋の活動低下により、過活動膀胱であって、残尿を伴う症例も少なからず見られます。この場合の治療には、少し工夫が必要で、単に抗コリン剤を投与しただけでは残尿量が増え、頻尿の改善が得られないこともあります。
 
 ■抗コリン剤投与の目安
 診療のアルゴリズムに従っていくと、残尿測定は欠かせない検査になっています。私の場合は少々面倒でも残尿測定は欠かさず行っておりますが、一般の先生方では忙しい日常診療の中でそこまでできないと感じる人も多いと思います。過活動膀胱診療ガイドラインでも、それを考慮して、年齢、性別による目安を示し、女性の場合は症状から抗コリン剤を投与できるとしています。ただし尿の勢いが弱い、尿線の途絶などの排尿症状がある場合は慎重に投与、また80歳以上の高齢女性で排尿症状が強い場合は、排尿筋収縮障害が共存していることが多いので、泌尿器科専門医に紹介したほうがよいとしています。
 
 ■男性のOAB
 男性も女性と同様に、加齢とともに過活動膀胱の症状を呈する患者が増加します。しかし皆さん知っての通り、男性は加齢とともに前立腺肥大症の頻度も高くなってきますので、治療に際しては注意が必要です。一般的に、前立腺肥大症に伴う過活動膀胱に対しては、まず最初にα1ブロッカーを投与します。α1ブロッカーで排尿状態を改善させれば、多くの場合、過活動の症状も改善します。しかしそれだけでは改善しない患者ももちろんいますので、その場合は、抗コリン剤を合わせて投与することが推奨されています。ただし排尿困難、尿閉などのリスクが高いため、少量から投与したり、頻回に観察するなど慎重に投与することが求められています。
 なお、今でこそ抗コリン剤の併用は推奨されていますが、以前は保険請求上の問題で併用が難しい時期がありました。ベシケア、デトルシトールが過活動膀胱の治療薬として初めて市場に出てきたのは2006年で、それまでは同効の治療薬として、バップフォーとポラキスしかありませんでした。これらの適応病名は「神経因性膀胱、不安定膀胱」でした(今ではバップフォーも過活動膀胱の適応症をとっています)。これらは前立腺肥大症の患者に投与することは禁忌ではなかったのですが、なかなか保険で認めてもらえず、一方では、これらを一緒に内服することで、悩ましい尿意切迫から解放される患者もいますし、当然、患者からの希望もあるので、数年間は、査定されながら処方を続けたものでした。 

 ■新しい薬
 抗コリン薬は切れ味がよく、ほとんどの人で症状が劇的に改善します。しかしその抗コリン作用により少なからず口内乾燥、便秘などの副作用がみられます。特に高齢者は薬の投与前からすでに口腔内の乾燥症状を感じている人もいますから、乾燥症状が悪化して内服を継続することができない場合も多くあります。最近、抗コリン作用ではなく、まったく別の機序の薬(β3刺激薬)が発売になりました。効果は、抗コリン剤に近いと考えられていますが、発売後の臨床効果の推移を見守りたいと思います。
 
 ■間質性膀胱炎
 頻尿の原因となる疾患の一つとして、間質性膀胱炎についても少し触れておきたいと思います。間質性膀胱炎は過活動膀胱と違って歴史は古く、およそ100年前に提唱されています。典型的な症状は、尿貯留時の膀胱部痛、頻尿で、膀胱内を見ますとハンナー潰瘍もしくは点状出血が見られます。以前はこの疾患は稀なものと考えられていましたが、最近になって結構多くの患者がいることがわかってきました。未だ原因は不明で、治療も確実なものはありませんが、少しずつ解明され、いろいろな治療法も報告されてきています(小さくなった膀胱を強制的に拡張する膀胱水圧拡張術は、その効果が認められています)。頻尿を訴える患者の中で、尿がたまったときに下腹部に不快感を感じる人は、軽症の間質性膀胱炎の可能性が高いと思われますので、この疾患のことも念頭に置いて、頻尿の治療にあたっていただきたいと思います。

■群馬保険医新聞2012年2月号

【診察室】歯周病が糖尿病を悪化させる!?

【2011. 12月 15日】

歯周病が糖尿病を悪化させる!?

前橋市・青葉歯科医院 清水信雄 

 

●感染症に注意が必要な5つの理由

 現在、日本の糖尿病人口は、約1,000万人といわれています。糖尿病は様々な合併症の原因となりますが、特に細菌やウィルスによる感染症を併発しやすくなることは周知の通りです。

 これにはいくつか、理由が考えられます。
1)高血糖の状態になると、その領域において、細菌等が繁殖するための富栄養状態となる。
2)血液中の糖が増加する反面、組織や細胞が低栄養状態になり、同部位における細胞性免疫能、並びに好中球の遊走能が低下する。
3)高血糖になると血液の粘性が上がるため、血液の循環障害が起こる。これにより、特に微細血管が分布する指先や歯肉といった末梢への酸素や栄養分の供給が不十分となり、同部位における細胞の活動が低下し、加えて必要な免疫系細胞が送り込まれないため、感染に対し無防備になる。
4)3)の結果、痛覚等を知覚する感覚神経も障害されるため、皮膚や粘膜の損傷に気づくのが遅れ、これも感染を悪化させる原因となる。
5)一度細菌等の侵入が起こると、免疫システムに関わるサイトカインが多く作られる。サイトカインは、特定の細胞間の情報伝達を担っており、正常な免疫システムに不可欠な因子である一方で、インスリンの機能を抑制する作用があり、これが糖尿病のさらなる悪化につながるという悪循環を生む。
 以上により、「糖尿病が歯周病を悪化させる」ということはご理解いただけたと思います。

 

●歯周病によるサイトカインの影響

 歯周病(歯周炎)も歯周病の原因菌(可能性も含め10種類近くあります:以下、歯周病菌)による炎症で、進行すれば歯を失う結果となります。最近では、前述5)の部分、「歯周病が原因で免疫システムが働くことにより、糖尿病がさらに悪化する」という事実が特に注目されるようになってきました。つまり先ほどとは逆のプロセス、「歯周病が糖尿病を悪化させる」ということも解明されてきたのです。この点をもう少し詳しく説明します。
 歯周病に罹患すると、歯周病菌と戦うため、同部位に免疫細胞の一種である好中球やマクロファージが現れます。好中球やマクロファージが歯周病菌に接触するとサイトカインを作ります。このサイトカインこそが糖尿病悪化のプロセスにおける重要なファクターなのです。
 サイトカインは、免疫系細胞から分泌されるタンパク質で、細胞間情報伝達分子ともいわれ、特定の細胞間の情報伝達に関与しています。したがって、免疫や炎症に関係するものが多くありますが、細胞の増殖や分化、細胞死、あるいは創傷治癒に関係するものもあります。
 サイトカインには、標的細胞の状態によって異なる効果(促進と抑制)をもたらすものがあります。さらに、他のサイトカインの発現を調節する作用をもっているものも多く、連鎖的反応(サイトカインカスケード)を示すことが知られています。
 サイトカインは現在、数百種類が発見されており、インターロイキン(IL)やインターフェロン(IFN)等もこれに含まれますが、今回のプロセスで特に注目されているのは、細胞傷害因子に属するTNF-α=Tumor Necrosis Factor-α:腫瘍壊死因子です。TNF-αは、アポトーシス(個体を良好な状態に保つためにプログラムされた細胞死=腫瘍細胞を壊死させる作用)を誘発するサイトカインです。このサイトカインは、細菌が侵入したという情報を他の免疫細胞に知らせたり、免疫細胞の活性を高めたりする一方で、インスリン受容体のチロシンキナーゼの活性を低下させ、かつ糖輸送能を低下させることにより、インスリン抵抗性を招くという困った作用をもっています。これにより、糖尿病の症状がさらに悪化する、そして歯周病がさらに悪化、という悪循環が生まれます。

 

●肥満との密接な関係
  TNF-αは脂肪細胞からも盛んに分泌されるため、肥満の方はこの意味からも糖尿病になりやすくなる可能性が高くなります。またこの物質は、動脈硬化や関節リウマチをも悪化させますから、いわば合併症を作る因子ともいえます。
 近年、糖尿病、高血圧、高脂血症が合併するメタボリックシンドロームは、内臓脂肪肥満が引き金となり、インスリン抵抗性が増大することがその本態であると考えられるようになってきました。インスリン抵抗性の原因の一つに、脂肪組織での炎症が示唆されています。サイトカインの一種であるIL-8の脂肪細胞からの分泌と、脂肪細胞でのインスリン作用に及ぼすIL-8の影響が、TNF-αの糖尿病への影響同様に注目されています。
            *
 相互に関係し合っている糖尿病と歯周病を併発している場合には、この悪循環を断ち切るために、血糖値を正常範囲内にコントロールすることはもちろんですが、併せて歯周病を治療することがとても重要と考えられています。

■群馬保険医新聞2011年12月号

【診察室】味覚障害

【2011. 11月 21日】

 味覚障害

   藤岡市・松山医院  松山 仁

 最近10年間に味覚障害患者は1.8倍に増加しているとの報告があります。そこで今回は、この味覚障害について述べてみたいと思います。
            
 まず味覚とは、五感のうちの一つで、人では舌及び軟口蓋に約9000個の味蕾があり、感覚受容体となっています。この味蕾で甘味・塩味・酸味・苦味・旨味の五つの要素を感じ取っています。一般に味は、舌の特定の部分、例えば舌の尖端で甘味を、また舌の外側で酸味を感じ取っていると言われていますが、この説は全くの間違いです。

 また、この味蕾への感覚神経は、舌尖では顔面神経の枝の鼓索神経、舌奥の2/3は舌咽神経、軟口蓋では顔面神経の枝の大錐体神経が支配しているので、他の四感とは異なり、研究が非常に困難となっています。
               
 味覚障害で患者が訴えてくる事項として、
1.味覚減退、味の感じが鈍くなる。
2.味覚消失、味が全く解らない。
3.自発性異常味覚、口の中に何も無いのに苦みや渋味を感じる。
4.解離性味覚障害、甘味だけ解らない。
5.異味症、甘いものを食べても苦い等、違う味を感じる。
6.悪味症、何を食べても嫌な味になる。

 その他、舌がピリピリする舌痛症、唾液分泌障害、嗅覚障害があり風味が解らない等、症状が一つだけでなく、いくつか合併している場合もあります。
           

 味覚障害には、主に6つの原因があると言われています。
 ①舌に炎症を起こしている時。
 ②舌に舌苔が生えたり、唾液の分泌が低下した時。
 ③味蕾の働きが悪くなった時。
 ④味覚の感覚神経が障害された時。
 ⑤風邪などで鼻閉を生じた時。
 ⑥心因性、仮面うつ病やヒステリー等の疾患の時。
 
 今回は、③の味蕾の働きが悪くなったケースを述べてみます。
      

  ■亜鉛欠乏について
 大きく分けて3つの原因があります。
①亜鉛の摂食障害です。
 亜鉛は主に十二指腸で吸収されていると言われています。 十二指腸の手術後の患者、または極度のダイエットにより亜鉛摂取が不足の時です。亜鉛は成人で、1日10~12㎎摂取しなければならないと言われていますが、偏食やダイエットにより、十分な必要量が吸収されない場合で す。
②薬の副作用です。
 SH基の付いている薬剤はすべて亜鉛キレート作用がありますが、他にも長期服用の降圧剤や向精神薬または抗菌剤等でも引き起こされる可能性があります。
③原因不明のいわゆる特発性味覚障害です。
 血中の血清亜鉛を調べても正常範囲のケースです。しかし、血清亜鉛値が正常でも組織中の亜鉛は低下している かもしれません(赤血球中の亜鉛を調べることは可能です)。実際こういったケースに亜鉛製剤を投与して症状が軽快することが多々あります。
      
 ■治 療
 もちろん原因疾患がある場合は、その治療が優先されます。次に食事指導です。亜鉛の多く含まれている食物(特に牡蠣等に多く含まれていると言われています)、規則正しい食事を心がけること、またファーストフードだけで済ませているということではいけません。極度のダイエットも注意しなければいけません。
 投薬としては、私が大学病院にいた頃は、亜鉛製剤は販売されておらず、硫酸亜鉛(ZnSO4)をカプセルに詰めて投与していました。今では胃潰瘍治療剤として、ポラプレジンク((C9H12N4O3Zn)n)が販売されています。亜鉛は単独では人体へ吸収されません。ですからこういった薬剤が効果があるようです。また、亜鉛過多になっても血清亜鉛値が上昇しても症状が出現した報告はありません。
 
 以上、日常診療で患者に話していることを列挙いたしました。

■群馬保険医新聞2011年11月号

【診察室】結核克服に向けて

【2011. 10月 20日】

結核克服に向けて

            NHO西群馬病院 渡邉 覚 

 ある地域における結核の自然史をみると、当初は若者の病気として広がり、社会の成熟とともに高齢者の病気になる傾向がある。
 我が国でも戦前は若者の病気として猛威をふるい、1950年頃の人口10万人に対する結核罹患率は500人を上回り、当時は国民病とまで言われていた。その後、罹患率は1970年代までは急速に減少したが、1980年代に入って下げ止まり傾向となり、1997年度の統計では、前年度の33.7に比較して33.9とわずかに増加を示した。1999年7月、厚生省より結核緊急事態宣言が発表されて以降は減少傾向にあり、2008年には20を下回って19.4となり、2010年には18.2となった。国の2005~2010年の基本指針には、2010年までに罹患率を18以下にするとあり、計画当初よりは減少速度は鈍化している。その理由のひとつとして、わが国の結核罹患の構造の大きな変化があげられる。高齢者に患者が偏在化してきており、患者全体に占める割合は65歳以上が約6割、70歳以上が半数、80歳以上が4分の1に達している。これは戦前からの名残として、高齢者で結核既感染者の割合が高く、人口の高齢化によって、これらの既感染者での発病が増えてきているからである。
 一方、若い成人の結核も相対的に拡大しており、この背景には高まん延国から入国する外国人の問題や医療機関など感染リスクの高い職業に従事する者からの発病、住所不安定者などからの発病など社会的問題に起因する結核発病があり、医療関係のみによる対策では、問題の解決に至らないことが多くなっている。特に大都会でこの傾向が顕著にみられ、もともとある地域間格差は、今後さらに大きくなっていくと考えられる。

 ■高齢者結核
 高齢の結核患者は、必ずしも明らかな症状が現れるわけではなく、診断が何カ月も遅れる場合がある。特に、他疾患で医療機関に長期間入院している場合や施設等で集団生活を送っている場合等では、診断が遅れると施設内集団感染をひき起こす危険性が高く、注意が必要である。医療従事者は、高齢者は結核既感染率が高いことを十分認識し、呼吸器症状等の有症状時には結核発病を念頭に、速やかに胸部X線検査や喀痰検査などの精査を行うとともに、必要に応じて定期健康診断を行う等、きめ細やかな個別的対応を行うことが必要であろう。

 ■地域間格差
 結核は、結核菌の感染によっておこる感染症であり、人から人へと感染するので、人口の密集するところで感染が起こりやすい。空気感染であるため、ビルなど密閉された建物の中では、さらに感染が広がり易くなる。感染者のうち発病する者は10%程度と言われているが、合併症や栄養状態、ストレスなどさまざまな社会・経済・身体的要因が発病にかかわってくる。また、感染してできた小さな病巣の中に結核菌が長期間生き残り、数十年後に発病することもある。そのため、数十年前に感染した人が多い地域、すわなち、以前結核が多かった地域では、高齢者の発病が多くなって結核は減り難い。
 また、地域間格差の要因の一つに貧困があり、結核患者の生活保護割合が高い自治体では罹患率も高い傾向がある。生活困窮者は、医療機関をなかなか受診しないことから診断が遅れることが多く、治療が行われても、治療失敗・脱落率および再発率も高い。地域住民を守るためには、これら生活困窮者の生活基盤を支えるための社会的支援策の柔軟な適応が、今後ますます重要になってくると思われる。
 もしある地域での結核対策に問題があれば、その地域のその時点での結核まん延状況に影響するばかりではなく、その影響は後々まで続くことになる。罹患率などの統計値が前年度との比較で増加した場合は、どのような要因で増加したのか、高齢者か、若年者か、医療従事者か、外国人か、社会的要因かなど詳細に分析する必要がある。また、罹患率の低い地域では、近年人口10万人対10前後と、低まん延時代を迎えている地域もあり、人口によっては、年間新規発生患者数が100人足らずの自治体も出てきている。患者実数が少ないと変動幅が大きくなる場合があり、そのような場合には中~長期的な推移で判断するべきであろう。
 群馬県における結核罹患率は以前より低い傾向が続いていたが、2009年は10.2と全国で最低を記録し、新規患者は204人だった。2010年の罹患率は11.0、新規患者は220人とやや増加がみられたが、一時的な変動の範囲内であるのかどうか、今後の推移を注意深く見守る必要がある。
            *
 今年5月に「結核に関する特定感染症予防指針」が改正され、具体的成果目標として、平成27年までに①人口10万対罹患率を15以下とする。②肺結核中再治療患者の割合が平成21年は7.8%であるのを7%以下とする。事業目標として、①直接服薬確認治療率を喀痰塗抹陽性患者の95%以上としてきたが、対象を全結核患者に拡大した。②治療失敗・脱落率を平成21年は6.2%であったが、治療完遂率を維持するために5%以下とする。③潜在性結核感染症患者を確実に治療する目的で、治療開始者のうち治療完了の割合を85%以上とすることとなった。
 結核は、年間約2万4,000人の新規患者が発生し、約2,000人が亡くなっており、依然として我が国における最大の慢性感染症であることに変わりはない。結核克服のためには、我々医療従事者はもちろんのこと、関係団体、地方公共団体および関係省庁との十分な協力の下で、対策を推進することが重要である。

■群馬保険医新聞2011年10月号

【診察室】-摂食・嚥下障害と口腔ケア-

【2011. 8月 15日】

-摂食・嚥下障害と口腔ケア-
お口から食べることって?
歯みがきが肺炎の予防になるってほんと?

前橋赤十字病院 摂食・嚥下・胃瘻外来 
NPO群馬摂食・嚥下研究会
山川 治

 口の働きは、大きく分けて、物を食べるという消化器官の役割と、息をする、話をする器官としての役割がある。さらに顔の表情を作るのにも大きな役割を果たす。口には鋭敏で多様な感覚が集まっている。
 物を食べる過程では、唇や前歯で感じた食べ物の感覚によって、食べ物を前から後ろへ送る。のどの部分ではふだん開いている気道をふさぎ、かわりに食道を開いて食べ物を押し込む(摂食・嚥下機能=せっしょく・えんげ)。これがうまくいかないことを誤嚥(ごえん)という。
 高齢になると、食べる動きの中心となる口腔の機能も当然、老いてくる。あごを動かす力も弱くなり、食べるのに時間がかかるようになる。食べる機能も年齢とともに減退していくということを考慮しなくてはならない。
 年をとって歯があちこち抜けてしまった口では、見るからにうまく噛めなくなることがわかる。また、上下の歯が噛み合っていないと、噛めないだけでなく、飲み込みにくくもなる。噛めない口は、実は上手に飲み込めない口で、誤嚥による肺炎などの呼吸器感染の原因にもなる。手入れの悪い、汚れた口では、食べ物の温かさや甘さなどおいしさの微妙な感覚もとらえきれない。施設、在宅で介護を受けている人の多くが、低栄養状態であるとの報告もある。つまり、咀嚼機能や嚥下機能など、口腔領域の機能の低下が、低栄養の原因にもなっているのだ。
            *
 介護の基本は、入浴と排泄と食事であるが、中でも食事の介護はなおざりにされている傾向がある。食事の介護とは、単に口から食べさせることだけではない。口を清潔に保ち、呼吸器感染を予防するとともに、口の鋭敏な感覚を保持し、食べ物のおいしさを感じられるようにすることだ。生きる糧である食べ物を体内に取り込もうという欲求を呼び起こし、味わいたいという気持ちが、もっと食べよう、元気でいたいという生きる意欲につながる。そのためには、要介護者一人ひとりに合わせた環境づくりが必要である。歯科領域ばかりではなく、医科、リハビリ、栄養など複数の領域の知識や技術が不可欠で、多くの職種が積極的にかかわり、問題を解決していく、チーム医療の必要性が尊重されなければならない。口から物を食べるという人間の最後までの欲望(希望)をかなえるために、私たちの果たす役割は大きいのである。
             *
 近年、口腔ケアの取り組みが、介護老人健康施設や病院などで始められている。摂食・嚥下機能療法が手掛けられ、口腔ケアがいっそう注目を浴びるようになった。誤嚥性肺炎の予防(気道感染予防)には、口腔ケアが重要である。このことは、平成18年度から介護保険制度の改正により介護予防サービスの中に口腔ケアが盛り込まれていることでも理解できる。
 口腔ケアの意義(Oral Health Care)とは、広義には、口腔の持つあらゆる働き(捕食、咀嚼、嚥下、味覚、発話、審美性・顔貌の回復、唾液分泌機能など)を健全に維持、あるいはケアすることであり、狭義には、口腔衛生管理に重きを置く一連の口腔清掃と義歯(入れ歯)の清掃を行うことである。また、口腔ケアを口腔衛生管理に重点を置く、器質的口腔ケア(Mouth care)と機能面に重点を置く、機能的口腔ケア(口腔リハビリ)とに分ける場合もある。いずれにしても口腔ケアは、総合的にアプローチしていくことが重要なのである。 
 口腔ケアの目的は、虫歯や歯周疾患(歯槽膿漏)の予防だけでなく、口腔機能増進、口腔内細菌による全身疾患の予防、味覚・感覚障害の予防(脱感作など)、嚥下反射遅延の予防、精神的安定を得ること(対人関係の円滑化)などがある。口腔内を清潔に保つことは、QOLの向上につながるだけでなく、歯肉や口腔内の粘膜に刺激を与える効果が大きい。なぜならば、大脳皮質の運動野と感覚野の約40%は口と言われているからである。
            *
 誤嚥性肺炎は、化学的肺炎と細菌性肺炎の2つに大別される。化学的肺炎は胃液を大量に誤嚥して生じる肺炎で、メンデルソン症候群とも言われ、頻度は少ない。細菌性肺炎は、嚥下反射と咳反射の低下により、無意識のうちに汚れた唾液を誤嚥する不顕性誤嚥(Silent aspiration)を起こし、誤嚥の量が多かったり、嚥下物内の口腔内細菌量が多いとき、あるいはそれらが普段と同じでも、全身や局所の免疫能が低下したときに生じる。誤嚥性肺炎は健常者でも全身麻酔下や意識がなくなった時、脳血管障害時においても生じる。
 高齢者人口の増加とともに、高齢者の肺炎の数も増加している。肺炎は、日本の死因の第4位であるが、そのうち95%以上が65歳以上の高齢者である。ここ10年で急上昇し、要介護高齢者の直接死因としては約30%、第1位である。
 誤嚥性肺炎は、口腔内の常在菌を不顕性誤嚥して生じるのであるから、せめて口腔内の常在菌を少なく保つことができれば、肺炎にかかる人は少なくなると考えられる。またそれらの現象は、嚥下機能低下や誤嚥に基づくことから、原疾患治療あるいは口腔ケアを中心に、予防に力を入れることが非常に有益で、必要なことである。
 ポイントとしては、
 ①脳血管障害の予防と治療
 ②口腔のリハビリを含めた口腔ケア
 ③寝たきり高齢者では、食事や就寝時に頭部を高く保つ  などの体位
 ④適切な栄養管理
 ⑤インフルエンザワクチンの投与
 ⑥誤嚥性肺炎の予防に効果があると報告されている降圧  剤(ACE阻害剤)の予防的療法     である。
 
 ④について、介護を受ける高齢者は、葉酸が不足していることがある。葉酸不足は、血中ホモシステインによる動脈硬化を促進する。この場合、野菜を多く摂取するように介護を行う必要がある。またビタミンB12もホモシステイン代謝を促進し、嚥下機能と咳反射を正常化して、肺炎の発症を軽減できる。反対にビタミンB12が不足すると、嚥下反射や咳反射という神経伝達を遅らせ、不顕性誤嚥を生じ易くする。
            *            
 口腔ケアという毎日の介護が、抗生剤より効果を発揮することもある。口から食べるという、人間の終末までの楽しみが滞っていることを認識し、さまざまな介護職、栄養士、看護師、セラピストたちが協力して、食介護にもっと目を向けるべきだと考えている。

■群馬保険医新聞2011年8月号

【診察室】抗がん剤グリベックの問題点

【2011. 6月 21日】

【診察室】抗がん剤グリベックの問題点

伊勢崎市・長沼内科クリニック 長沼 誠一

 年に何回か健診に訪れる父の同級生は、数年前から慢性骨髄性白血病を患っている。近くの病院で処方された抗がん剤のグリベック2錠を内服中だ。調べてみると1錠約3,000円、薬代だけで月に18万円という高額に驚いた。医師会の会議の際、その担当医が隣の席になったので、グリベックの効果、薬価について聞いた。
 慢性骨髄性白血病に効果が高く、常用量は4錠だが、2錠でも効くので減らすこともある。また、月単位の高額療養費制度を使い、2カ月分処方するなど、患者負担を減らす工夫をしている。製薬会社のMRも勧める方法なのだという。
                         *
 グリベックは、スイスの製薬会社ノバルティスが販売する飲み薬の抗がん剤だ。1992年より非臨床試験、1998年より臨床試験を始め、2001年にアメリカや日本で、慢性骨髄性白血病の治療薬として承認された。
 慢性骨髄性白血病は、日本では年間1,200人が発症し、約1万人の患者がいる。発症は66歳前後が多く、数年の経過でゆっくりし進行し、10年程で亡くなるのがほとんどだった。
 骨髄移植やインターフェロン療法は、副作用が強く、効果も限定的だったが、グリベックは副作用が軽く、7年生存率は86%と劇的に向上した。グリベックは分子標的薬と呼ばれ、がん細胞だけに発現する特定の分子を狙い撃ちし、がん細胞の分裂を抑制するため、副作用が軽い。
 グリベックの効果により、亡くなる人が減った反面、問題も出てきた。生きている限り、この高額な薬を飲み続ける必要があり、支払いに苦労するのだ。
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 冒頭の患者は、国民年金暮らしの高齢者なので、月に8,000円または12,000円の外来自己負担限度額で済んでいる。しかし、70歳未満で、常用量4錠の場合、月36万円の3割で、自己負担額は10万円にもなる。
 患者の収入に応じて医療費の上限を設けた高額療養費制度を利用すると、一般といわれる年収210万から800万円の人の1カ月の限度額は80,100円で、4回目からは44,400円に下がる。一時的な入院などの場合、この制度で助かるが、抗がん剤を飲み続けなければならい患者にとって、費用の負担は重くのしかかる。
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 海外ではどうか。「全世界同一薬価を厳守せよ」というノバルティス社の経営方針により、どこの国でも1錠約3,000円だ。インドは2005年まで、医薬品への特許を認めておらず、ジェネリック薬は良質で安価だ。グリベックの特許はその後も認められず、ジェネリックのビーナットは20分の1の価格で販売されている。日本からも医薬品代行輸入などで、手数料込みでも1錠200円で購入できる。
 韓国では、2001年にグリベックが承認される際、患者による薬価引き下げの運動が起こった。OECD諸国よりGDPが少ない分、薬価も3分の1にという要求だ。ノバルティス社はG7の平均薬価を元に、引き下げに反対した。「白血病患者は生き続けたい、ノバルティスは薬価を引き下げろ」という患者たちのデモにより、ノバルティス社は〝不道徳な企業〟として報道された。こうした運動の成果もあり、通常、医療保険の自己負担率5割のところ白血病患者だけが1割に減額され、その1割もノバルティス社が出資する財団からの補助で賄われることで、グリベックを服用する患者の自己負担はゼロになった。しかしそれは、ノバルティス社がたった1割引で、韓国でのグリベックの売り上げを確保したということである。
 イギリス、フランス、イタリアでは、薬の費用は公的保険がカバーし、自己負担はない。ドイツは、処方の1割が患者負担で、年間の上限は約3万円だ。しかし、グリベックのように、年間で400万円にもなる薬が増えれば、医療保険の負担は増えるだろう。
 日本では、患者自己負担について、高額療養費制度がうまく機能していない。一般とされる年収の枠が210万~800万円と幅がある。下限の200万円台の人も800万円の人と同じように毎月44,400円、年間53万円を支払う必要があり、家計を圧迫する。低所得者の限度額は引き下げが必要だ。難病指定による患者負担軽減策も、56の特定疾患に限られている。特定疾患以外にも病気の種類はたくさんあり、病気ごとに指定する仕組みに限界を感じる。年収や病状の重さなどを考慮したきめ細かい医療費補助が望まれる。70才以下の自己負担率3割も高額な医療費の場合、支払い困難の原因となり、1割負担が望ましい。
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 グリベックによるノバルティス社の売り上げは、日本だけで年間400億円だ。月36万円の薬代の患者1万人分を計算するとその金額とほぼ一致する。世界での売り上げは、2006年22億ドル、2009年40億ドル(約4,000億円)にもなる。ノバルティス社の売り上げの筆頭は、降圧剤ディオバンの60億ドルだが、それに近づく勢いだ。
 グリベックの成功により、製薬会社は抗がん剤の開発に力を注ぎ、多くの分子標的薬が出てきた。それらの薬のほとんどが1錠数千円で、年間の薬代は数百万円になる。肺がんの抗がん薬で有名なイレッサもその1つだ。
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 生きていくために飲み続けなければいけない薬が、経済的な面から継続が難しいというのは問題だ。グリベックは年間患者数5万人以下の稀少医薬品ということで、高薬価になった。しかし売り上げが伸び、開発費を回収できたら薬価を下げるべきだろう。患者の命より売り上げが大事では、製薬会社のモラルが問われるが、モラルに頼れないのが現状だ。
 がんになっても生活に困らず、安心して治療を続継できる仕組みが求められている。

■群馬保険医新聞2011年5月号

【診察室】今日のリウマチ治療と実態

【2011. 4月 20日】

【診察室】

―今日のリウマチ治療と実態―

    高崎市・井上病院 井上博

 

 関節リウマチは、何らかの原因で免疫異常をきたし、主に関節内の滑膜に炎症が起こり、疼痛、腫脹を主な症状とする疾患です。進行すれば関節破壊し、大部分の人が身体障害者になってしまう厄介な難病です。さらに一度罹患すると治癒は望めず、社会生活、日常生活、夫婦生活等を満足に過ごせなくなり、筆者は数多くの悲惨な例を身をもって体験しました。

 ■「痛い、痛い」の大合唱
 筆者が群馬大学整形外科リウマチ診療班に所属していた30数年前を思い起こすと、リウマチ外来といえば全国どこでも連日車椅子の患者に囲まれ、「痛い、痛い」の大合唱のなかでの診療でした。「夫に女が出来た、離婚した、会社を辞めた、毎日毎日痛くて死にたい。」患者を見捨てる夫(患者は女性が80%)、その反対に会社を辞め献身的に看護、介護する夫、崩壊していく家庭。毎週のリウマチ外来は辛く厳しいものでした。それに対する治療方法と言えば、抗リウマチ薬としては注射金製剤とペニシリンの誘導体であるD-ペニシラミンだけであり、ステロイド剤と鎮痛消炎剤を追加投与し、コントロールするというものが主でした。そんな治療でも寛解導入出来る患者はいましたが、どんなにコントロールが良くても関節破壊を防止することはできず、ほとんどの人が身体障害者になってしまいました。「俺はなんで治療法も無く、成績も悪い診療科を選んでしまったのか」と後悔しました。

 ■新薬の登場で飛躍的に進歩
 1999年に白血病の治療薬で、関節リウマチにも有効なメソトレキセートが保険適用になり、さらに2003年、サイトカイン阻害薬であるインフリキシマブ(レミケード)の登場によりリウマチ治療は革命的進歩を遂げました。歩行困難な患者が投与当日より容易に歩行可能となり、休職、休学を余儀なくされていた患者が復職、復学し、スポーツも可能になるなど全国のリウマチ医がその素晴らしい治療効果に感激したものです。
 一方で投与時反応や投与後の易感染性など使用上注意すべき点があり、投与には経験を要し、投与を重ねると二次無効例を来す症例もあります。しかしその後新たに4剤の生物学的製剤が発売され、薬剤を上手くスイッチングすることにより投与を受けている患者の約60%は寛解を維持しADL、QOLは正常人とかわりなく、約90%は多少の不自由はありますが大過なく毎日を過ごすことが出来るようになりました。関節破壊を防止できるだけでなく、症例によっては骨、関節破壊の修復が可能であり、関節リウマチをほぼ制圧できる、まさに夢の薬が登場したのです。リウマチ診療に革命が起きました。
 
 ■副反応
 しかし問題点が2つあります。1つは感染症を起こしやすいことです。肺結核に感染した症例もありました。肺炎も数多く、カリニ肺炎というのも経験しました。投与前のメディカルチェックでは、特に呼吸器のチェックが重要です。投与時の副反応は、前投薬の投与、点滴スピードの調節で大部分対応できますが、扱いには知識、経験を要します。医師や看護師、薬剤師間での連携が非常に重要な治療です。そこで筆者は、8年前に群馬県内で医師、看護師、薬剤師、医事課の人たちを対象にした勉強会「群馬リウマチアカデミー」を立ち上げ、年5~6回のペースで行っています。ご興味のある先生は是非ご参加ください。

 ■高額な治療費
 治療は革命的に進歩しましたが、2つ目の問題が我々と患者の前に立ちはだかりました。それは治療費が高額なことです。3割負担で毎月5~10万円かかります。治療費の事をお話すると、殆どの方は受けたいけれど受けられないと諦めます。現在当院で生物学的製剤の治療を行っているのは約800人です。半数は医療保護、身体障害者手帳2級以上で、残りが自己負担です。自己負担している方からは「苦痛から開放されたが、いつまでこの治療を続けるのか、費用が大変だ」との声を多く聞きます。コントロールの良い方は投与量を減らしたり、投与間隔を空けたりして費用の負担をできる限り減らすよう工夫していますが、家計に及ぼす影響は大きいと理解しています。良くなると中止する方もみられます。正確には把握していませんが2~3割はいるでしょう。経済的理由によるものです。どのステージの方でも効果はありますが、本来は罹患して間もない、発症直後の方に一番効果があります。経済上、医療経済上からも現役世代に受けていただきたい治療法なのです。

 ■誰でも受けられる治療に
 患者に対するアンケートでわかったことは、自己負担で治療している400人の背後に、その約2倍、受けたいけれど経済上の理由で受けられない人がいるということでした。この有効な治療が、経済的理由で受けられないのは悲しいことです。発症時より生物学的製剤を投与している患者で、身体障害者になった人は、筆者の患者では現在まで1人もいません。現役世代には、医療費控除など何らかの施策を国として考えてもらいたいと思います。治療を受けたいけれど受けられないのは、身体障害者を増やし、人という一番大切な国の財産を失うことになります。
 少子高齢社会の中で、高齢者も大切にしなければいけませんが、若い現役世代が関節リウマチから開放され、存分に会社で、家庭で、学校で活躍できる明るい社会にしてもらいたいものです。財政難の現在ですが、政治的判断、配慮を切に希望します。

■群馬保険医新聞2011年4月号

【診察室】母乳とHTLV-1

【2011. 2月 18日】

母乳とHTLV-1

群馬県立小児医療センター新生児科 丸山憲一

 

 ●HTLV-1とは

 ヒトT細胞白血病ウイルス1型(humanT-cell leukemiavirus type 1、以下HTLV-1)は主にT細胞に感染するレトロウイルスで、成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスです。そのほかにHTLV-1-associated myelopathy(HAM)とよばれる痙性脊髄麻痺を引き起こすことが知られています。 感染経路としては母子感染、性交渉、輸血があります。化学療法や骨髄移植などにより白血病の生存率は上昇してきていますが、ATLは未だ既知の治療に抵抗性であることが多く、予後不良の疾患です。HTLV-1に感染してからATLを発症するまでには40~50年かかるため、発症年齢は50歳代にピークがあります。母子感染による感染が大部分であるため、母子感染を予防することにより、HTLV-1のキャリアを減少させ、さらにATLの発症者を減少させることが期待できます。かつてはキャリアの大部分が九州、四国、沖縄に分布していましたが、最近の調査では全国に拡散する傾向がみられます。
 主な感染経路である母子感染を防ぐため、政府は先ごろ妊婦に対するHTLV-1抗体検査への公費負担を決定しました。これまでは、昭和63年度から平成2年度まで検討を行った厚生省心身障害研究「成人T細胞白血病(ATL)の母子感染予防に関する研究」(主任研究者:重松逸造)の内容を受けて平成6年に作成された「HTLV-1母子感染予防保健指導マニュアル」がよく知られていました。今回は新たに発表された厚生労働科学特別研究事業「HTLV-1の母子感染予防に関する研究班」(研究代表者:齋藤 滋)の研究報告書に基づいて、母乳育児とHTLV-1について述べてみたいと思います。

 ●スクリーニングとその後の対応

 HTLV-1キャリアのスクリーニングは妊娠初期から妊娠30週頃までに血清中のHTLV-1抗体をCLEIA法もしくはPA法で検査することによって行います。これは、陽性であった場合に母乳育児等の母子感染予防対策について十分に相談する時間をとるためです。また、前回の妊娠時の検査が陰性でも性交渉により感染する可能性があるため、妊娠のたびに検査する必要があります。スクリーニング検査で陽性であった場合は、Western blot法で確認検査を行います。そこで陽性と出た場合は「陽性」としてカウンセリング等の対応をし、母乳を介して母子感染が成立することを説明し、人工栄養か生後3カ月までの短期母乳哺育を勧めます。Western blot法で判定保留となった場合、栄養法については母親の判断を尊重し、母乳哺育を希望すればその意志を尊重します。Western blot法で陰性の場合は「陰性」として母乳哺育を勧めることになっています。
 母子感染が成立している場合、児のHTLV-1は出生時陽性で、その後一旦陰性化することがありますが、3歳までには陽性となります。したがって、母親がキャリアであることが判明した場合、児は3歳以降に感染について検査することが勧められています。

 ●スクリーニングにあたって注意すべき点

 現在、輸血用の血液に対してはHTLV-1のスクリーニングが行われているため、輸血での感染はほとんどなくなりました。しかし母子感染や性交渉による感染があるため、妊婦がHTLV-1キャリアであることが判明した場合、夫婦間や親子間での心理的葛藤や人間関係のトラブルが生じる可能性があります。妊婦自身も将来、ATLやHAMを発症することに対する不安が生じる可能性があります。
 ATLは予後不良とはいえ、性交渉による感染でATLを発症することは極めてまれであること、キャリアでも発症は40歳過ぎで、1,000人に1人の割合であること、キャリアの同定は母子感染予防に有効であることなどを説明できるようにしておくことも必要です。研究班の報告書にカウンセリングの方法などが書かれており、スクリーニングを行う医療者はそれを参考にすることができますが、それだけでは十分ではないように思われます。HTLV-1キャリアの多い長崎県では産科、小児科の医療機関および保健所など行政が一体となって対応できる体制が整えられています。全国規模でスクリーニングを行うにあたっては、少なくとも各都道府県レベルで同様の体制を整備することが必要です。

 ●キャリアが判明した場合の母乳育児と感染率

 かつて母乳による母子感染率は80%以上と考えられていましたが、重松氏らの報告書では15~25%程度にとどまることが明らかにされました。さらに、齋藤氏らの報告書では、人工栄養でも母子感染は3~4%あること、4ヵ月以上の長期母乳哺育では母子感染率が15~25%であるが3カ月以下の短期母乳哺育では感染率が低い可能性のあること(小規模の調査では人工栄養と感染率が変わらないこと)が示されています。原因として出生時に感染する可能性や母親からの移行抗体の影響などが考えられています。これらの調査結果や母乳は人工栄養にはない多くの利点があることから、新しい報告書ではキャリアと判明した場合でも、直ちに人工栄養や感染性のない凍結母乳を勧めることはなくなりました。
 人工栄養、短期母乳栄養、長期母乳栄養のうち、どの栄養法をとるかは感染のリスクや母乳の利点などの情報を提供し、十分に話し合い、最終的には母親本人に決めてもらいます。どのような選択をしたとしても医療者はそれを尊重しなければなりません。分娩後、母乳分泌抑制を希望した場合は薬剤投与について説明します。キャリアと判明する前に母乳育児を希望していた母親が母乳栄養を選択しなかった場合でも、選択できなかったつらさなどを汲んで対応しなければなりません。人工栄養を選択した場合、なぜ母乳を飲ませないのかといった非難を周囲から受ける可能性があるため、それに対して相談にのることも必要です。
母乳育児を選択するしないにかかわらず、母親に寄り添い、継続的な支援ができる体制を作っていくことが重要です。

■群馬保険医新聞2011年2月号

【診察室】院内感染対策

【2011. 1月 18日】

院内感染対策――広げない、もらわない、かからない準備

前橋市・群馬中央総合病院 感染対策室長 安野 朝子

 

 新年のご挨拶を申し上げます。県内各地でだるまの初市が行われているころ、例年インフルエンザが猛威を振るいはじめ、感染症の脅威を改めて実感する年の初めではないでしょうか。
 平成19年の医療法改正で、全ての医療機関は感染対策についての組織とマニュアルを整備し、教育の機会を設けることが規定されました。このような社会の要求から、私は病院内で感染対策のみを仕事にしている看護師です。
 病院は一年中感染症の患者であふれています。特に冬になると感染性胃腸炎、インフルエンザと休む暇なく感染症の患者が押しかけてきます。このような時、患者同士が感染を広げないように、職員がもらわないように、自分自身がかからないようにどんな準備をしておけば良いのか、普段行っている仕事から整理したことをお知らせしたいと思います。

 ●標準予防策
 標準予防策というと、すぐに手洗いと直結して他の予防策が言われませんが、その中味は全ての人に適応する内容として10個ほどあります。
 1番はやはり手洗いです。手洗いは目に見える汚れがあれば流水と石鹸でよく洗う、目に見える汚れがなければ手指消毒剤でよく洗うことが必要です。2番は個人防御具をきちんと使うことです。血液、体液は全て感染性と考え、マスク、手袋、ガウン、ゴーグルなど、粘膜を覆う器材でプロテクトします。あまり高価な品物でなくてもマスクならサージカルマスクの基準を満たしたもの、手袋なら未滅菌で清潔なものを接触の頻度に照らし使い捨てにすることです。自分を守るほかに横の伝播を避けることにつながります。3番目は咳エチケットです。これは咳をしている人にマスクやハンカチで口鼻を覆って咳をしてもらう。その後に足踏み式ゴミ箱にティシュなどを捨て、手は石鹸でよく洗ってもらうことが一連のエチケットです。
 4番目は感染性患者の収容場所の問題です。個室や隔離室をどのように使うか計画しておきます。5番目は血液・体液の付着した器材を安全に滅菌・消毒することです。6番目は環境整備です。日常清掃のほかによく触れるドアノブや診察回りの環境表面とトイレは定期的な清掃をします。病原体によっては次亜塩素酸の消毒を行い二度拭きして物品が傷まないようにします。特に電子カルテやマウス、キーボードなど高頻度に触れる環境は毎日清掃します。
 7番目はリネンの扱いです。使用後のタオルやシーツは振り回さず定期的に交換を行い、病原性の微生物に接したものは速やかに交換します。8番目は安全な注射です。無菌操作、単回使用などが徹底するよう手順を準備しておくことが求められます。9番目は腰椎穿刺時のマスク着用です。10番目は職員の安全で、リキャップの禁止や針捨てボックスの設置による血液暴露を減らすための対策です。

 ●経路別対策
 経路別対策には、接触予防策、飛沫予防策、空気予防策があります。経路別対策は病原体が予測される時、あるいは診断された時標準予防策に追加して実施する予防策です。接触感染する病原体(耐性菌や寄生虫、RSウイルスなど)は接触予防策で、手洗い、防護具の強化、ケア物品の個別化などが含まれます。飛沫感染の病原体はインフルエンザ、マイコプラズマ、百日咳、風疹、流行性耳下腺炎などです。飛沫感染の病原体は基本的に空中を浮遊し続けることはないので、サージカルマスクを用いて医療者や家族は感染を予防します。待合室もなるべく別室にするか、1m以上はなれた席でお待ちいただきます。空気感染の病原体は結核菌、麻疹ウイルス、水痘ウイルスです。これらは空中に病原体が長時間浮遊しているため強制換気が必要になります。N95マスクを装着して隔離室に入室します。強制換気が出来ない場合は、職員がいる部屋に空気が入らないようドアを閉め、診察室や待合室の窓を開けて換気します。            

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 標準予防策、経路別対策を徹底することは非常に重要です。施設に適応して実施できる手順書が整備されることが望まれます。これらが完璧に出来れば院内感染はかなり無くなると思います。適切な実施のためには施設の設備整備、物品の準備、人の動線の配慮が求められます。

 ●適切な情報の入手と伝達
 その他、感染対策として重要なことは、正しい適切な情報をいかに早く入手するか、また組織の中で伝達するかです。感染の係が誰かを決め、その人の重要な役割として任命しておくとスムースに情報伝達が出来るようになります。当院では私が担当していますので、常に県内で発生している感染症情報や、厚労省の感染症情報、国立感染研の情報などをチェックし、医師会の地域情報も加味して院内に配布しています。また、行政からの通知なども必要な部署に届くよう注意しています。
 抗菌薬の使用量も耐性菌を生まないために、適正使用を促す仕組みが必要です。患者さんの延べ数当たり使用した抗菌薬量などの把握が出来ると施設としての情報として活用できると思います。
 さらに、経年的な細菌検査の調査があると感染対策上の仕事評価が出来ます。どのような菌が多く出ているのか、代表的な菌における薬剤感受性はどのように変化しているかなどです。細菌検査室がなくても、検査センターに問い合わせれば、施設ごとの情報を教えてくれるシステムもあります。
 マニュアル整備については、おびただしい数の感染対策テキストが出ていますので、これらを参考に、施設に適応した理解しやすい、実践しやすいマニュアルを整備されることをお勧めします。絵に描いた餅では役に立ちませんので。
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 最後に、組織の意思表明が、その施設の感染対策を支えています。対策のチェックリストには職員教育が必ず載ります。それはこの意思表明と、感染対策が重要だと考える文化を知識以上に伝達する機会になるからだと考えています。整理・整頓、きれいな診察室、感染対策をきちんと行おうという姿勢が、そこで働く人や患者に安心感を提供できるのだと思います。

■群馬保険医新聞2011年1月号