【論考/群馬の自然を考える】
倉渕ダム中止へ
3月24日、県営倉渕ダム建設中止が決まった。倉渕ダムは烏川の洪水調節と高崎市の水道水確保を目的とした多目的ダムで、1990年着工、2002年秋からは付け替えた県道が通れるようになっていた。しかし〇三年十二月、小寺前知事が凍結を表明。国からの補助金は途絶え、昨年暮れには国の検証対象ダムにもなっていた。
当初から倉渕の環境調査等に取り組んできた高崎市の歯科医・武井謙司先生に、ダム建設中止にあたっての感想を寄稿してもらった。
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住民の移転や
騒音問題もないのに
なぜ中止になったのか
群馬の自然を守るネットワーク代表世話人 武井謙司
日本人には、縄文人の森林文化と弥生人の文化の血が流れている。そして二つの文化の融合が里山を作り、独自の文化を育み、多彩な環境を形
作ってきた。
その頃の人々は、森を敬い、森の恵みに感謝し、森やそこから流れ出る川と共存してきた。
ところが、文明開化と称し近代工業化を推し進め、富国強兵の掛け声勇ましく列強入りを金科玉条とする国是の結果、森は切り開かれ、川は汚染され、ついにはその毒によって住民の健康も脅かされ、足尾の悲劇を生む。
それでも戦前までは、この悲劇はまだまだ局所に過ぎず、農村や山村では森や川の恵みを受け、自然の掟に従う平穏な暮らしが続いていた。
国破れて山河あり、戦後は強兵に変わって工業による富国至上主義を掲げ、山河は経済成長の原資の一つとされた。森は建設資材の不足を補うために天然広葉樹林を皆伐し、針葉樹による人工植林が振興され、水需要と防災の多目的ダム計画により、国中のあらゆる河川が大小のダムにより塞きとめられた。
倉渕ダムもこの計画に則り1990年に着工、水没県道に変わる付け替え道路も完成した。ダム本体工事開始直前の2003年に建設凍結されるまで、約162億円の巨費が投じられた。
今年になり、事業体の県は公共事業再評価委員会の事業中止答申を受けいれ、正式に倉渕ダム計画は無くなった。
本体工事開始直前まで進んだダム建設が凍結され、中止となったのは、時代の流れとはいえ極めて稀である。その要因として、県財政の逼迫、希少猛禽類の存在、カスリーン台風以後の河川改修で大きな水害実態がない…などが報じられた。これらは事実ではあるが、中止を正当化するための表向きの理由に過ぎない。
今回の中止報道では殆ど触れられていないが、工事の進捗を阻んだ最大の要因は、普通の生活を営んでいた住民たちが力を合わせて立ち上がったことにある。
何故なら、ダム建設予定地は人家がなく、周囲は県営、市営林で囲まれ、工事に伴う住民の移転や騒音問題もなく、反対運動が起こらなければ、世間の耳目を集めることなく工事は完了していたからである。
独自の現地調査と
冷静で粘り強い交渉が
実を結ぶ
この運動で、住民の幅広い連携ができたのは、闇雲に自然保護や行政への不満を叫ぶのではなく、独自の現地調査と検証で得られたデータに沿って、冷静な粘り強い交渉を機軸にした結果だと思う。
それを実感したのは、公共事業ではおそらく群馬県政史上初となる、県と市民団体共催で開かれた公開討論会である。我々や県の予想に反し、300名収容の会場に立ち見が出るほどの盛況の中、野次怒号もなく、双方の意見陳述に真剣に耳を傾ける参加者の姿が印象的だった。
さらに、同時期に行われた高崎市長選では、破れはしたが、ダム建設見直しを掲げた2名の候補者の投票総数が現職を上回り、見直しは民意となった。
県政がダム推進派の大澤知事に代わってもこの流れは変わらず、7年の「塩漬け」を経て今回の中止となったのである。
では、私にとってこの運動は何であったのか、今後の展望はあるのか、それは次の物語に託したい。
*
その昔、里に近い山の森に大きなダムができると聞いて、そこに暮らす多くの生きものと、きれいな川を守るために立ち上がった人々がいました。少ない人数で自然を守るのは大変でしたが、皆、この場所が大好きで、ちっとも苦になりませんでした。
やがて、里の人たちも、自分たちの森の大切さが分かってきました。
最初は子どもたちが、そして付き添ってきた親たちも、爺婆も、こぞって森にやってきて、すてきな時を過ごすようになりました。
森に入ると、豊かな緑と生きものたちの息吹に、みなの顔がどんどんと優しくなり、いつまでもここにいたいと思うのでした。
そして、時は過ぎ、森は大木に覆われ、さまざまな動物や植物であふれ、空には、山の王者、ワシやタカが悠然と旋回しています。
豊かな森は、清流を作り、里の田んぼを潤し、蛙の大合唱、蛍も飛び交い、川原には子どもたちの元気な声が響き渡っています。
人々は森を天の恵みと考え、その後何百年も、山の生きものと一緒に楽しく暮らしたそうです。
(高崎市・武井小児歯科医院)
■群馬保険医新聞 2010年5月号