肩関節不安定性と弛緩性に対する考え方
Clinical Evaluation of Shoulder Instability and Laxity
聖路加国際病院 整形外科 田崎 篤・黒田栄史
※はじめに
肩関節は非常に自由度の高い関節であり、人体における全脱臼の45%は肩関節であると報告されている。近年の肩関節鏡視下手術の発展と普及に従い、我々臨床医は肩関節における理学所見の手技とその解釈法を正確に獲得する必要がある。特に肩関節不安定症(Instability)は本来肩関節の持つ弛緩性(Laxity)と混同されることも多く、その解釈と臨床への応用が医師や施設によって異なることがあってはならない。
※肩関節安定化のメカニズム
肩関節安定性に寄与する因子としては、肩甲関節窩や上腕骨頭の骨性形態、肩甲上腕靭帯や関節包、関節内陰圧、腱板機能、肩関節周囲筋などが挙げられる。肩関節の骨性形態は、肩甲骨関節窩面と、その表面積に対して直径で2倍ある上腕骨頭で形成されており、その関係はゴルフボールとゴルフのティとの関係に例えられる。肩関節の骨形状の特性である関節窩面上方傾斜や上腕骨頭の後捻は、一定の環境下において安定性に寄与していると論じられているが、その詳細や寄与の度合いは確定されていない。肩関節外傷性脱臼などで生じる関節窩面の骨欠損は、特に面積辺り20%を超えると著しい不安定性要素になり得ると報告されており、3DCTを用いた肩甲関節窩の骨形状の評価は臨床上大切である。(図1)
肩関節内陰圧による肩関節安定化は、無視できない大切な要素である。通常肩関節が整復されてさえいれば、陰圧状態が破綻することは殆ど無い。肩関節鏡視下手術においては肩関節内は陽圧という非生理的状態にて観察しているが、陰圧でないという条件がその手術の実際に大きく影響することは無いと考えている。
肩関節は上腕の挙上や外転などの動きにより、回転中心が移動する“すべり”の要素を持つ。その中で肩甲関節窩の縁取りをする関節唇はソケット状の形態を作成し、関節窩の深さを2倍にすることで、非生理的移動に対するバンパー効果を生み出し、肩関節の安定性を保とうとする。 関節唇の破綻により20%程度の肩関節安定性を失うと論じられている。 (図2、3)
回旋腱板は、肩関節運動のなかでダイナミックな安定性に大きな働きを持っている。また上腕二頭筋長頭腱もその一部を担っているといわれている。しかし一度脱臼を生じた肩関節はその固有知覚が低下していることから、筋力訓練を介した不安定性に対する保存療法の効果は疑問視されている。
関節包、上腕関節靭帯も肩関節における主要制動組織であり、肩関節の角度や肢位によって各々の方向の力に対して制動に働く靭帯が異なる。靭帯や関節包は全周性に存在しており、ある一方向への脱臼を起そうとする力に対して関節包や靭帯が全周性に緊張し関節を制動する、というような協調機能力を持っている。反面、外傷性肩関節前方脱臼の程度によっては、その牽引力により後方関節包の断裂が起こり得る。そのようなcircle conceptを常に意識する必要がある。
※Loose Packed Position
肩関節において最も関節包や靭帯が弛緩し、関節窩に対する上腕骨頭の移動距離が最も大きくなる肢位を”loose packed position”と呼ぶ。生体工学的研究によると、肩関節軽度屈曲、外転55度~70度(肩甲上腕関節外転約40度)の肢位であると報告されている。現存する臨床研究及び論文では弛緩性を評価する肢位がそれぞれ異なっており、検者間で結果がまちまちである。よってこの肢位を弛緩性評価の基本角度とすることで、正確で再現性のある弛緩の程度が評価できるのではないかと考える。脱臼整復などの施術も、このpositionの存在を考えながら行なうと、骨や軟部組織に過剰なストレスを与えず行なうことができる。
※関節不安定性と弛緩性
人間の全ての関節に対して最も理解すべき概念は、不安定性(instability)と弛緩性(laxity)の区別を理解することである。McFarlandらの研究によると、多方向不安定性に対する既存の診断基準は多様であり、どれを用いるかによって患者の分布が変化し、治療方針も変わりえてしまうことを警告している。またその多様性が生じた主たる原因として、不安定性と弛緩性の概念の混乱が原因であると述べている。例えば外傷性反復性肩関節脱臼の既往のある患者の身体所見に下方弛緩性を認めた場合、その病態を多方向性不安定症と診断するか、もしくは外傷性前方不安定症と下方弛緩性を持ちあわせている状態と診断するか、ということである。
※関節不安定性と弛緩性の解釈
Matsenらは肩関節弛緩性を「正常な関節本来の特性であり、それにより関節が機能的な関節可動域を獲得できるもの」としており、Harrymanらは肩関節不安定性を「上腕骨頭の臼蓋に対する過度の移動により、肩関節の安定や機能が保てない状態」としている。よって、弛緩性は関節が本来持つ性質であり、不安定症は治療対象となりうる病的な状態であると定義される。言葉の定義とともにその病態の理解と、治療における確実な区別が必要である。McFarlandらの肩関節外傷性前方反復性脱臼の患者46名に対する不安定症誘発テストでは、患者が脱臼不安感を感じた場合にそのテストを陽性とすると、その正診性は有意に上昇し信頼性が高かったが、テストによって生じる疼痛を陽性と捉えた場合の正診性は低かった。よって関節の緩みや過度の可動範囲は病的な状態とは言えず弛緩性と定義し、脱臼不安感を自覚して初めて不安定性という病的状態を呈していると認識する事が出来る。
※弛緩性に対する理学検査の考え方
膝関節における前方弛緩性はKT-1000を用いて定量化することができるが、肩関節において現時点では一般的に使用されているものは無い。また一般に弛緩性の評価に左右差を用いるが、健常被験者を用いた評価で10%-30%の左右差を認めたという報告もあり、必ずしも患側と健側と比較し正常か否かを評価し得ないことにも注意が必要である。
※弛緩性の評価方法
関節窩に対してどの位上腕骨頭が移動したか、に対する評価方法については幾つか報告され、麻酔下計測法など臨床の場で応用されている。しかし統一された方法は無く、個々の研究で異なった評価方法がなされているのが実際である。
・ミリメーターによる評価方法
死体を用いた実験系においてはミリメーターを用いることにより正確な評価を行なうことが可能であるが、臨床の場で測定されたミリ単位の値の正確性を証明した文献はない。
Hawkinsらは関節窩に対する上腕骨頭の下方移動距離を評価し、その程度によりgrade0(no-translation)、gradeI(0-10㎜)、gradeⅡ(10-20㎜)、gradeⅢ(>20㎜)とした。しかしHarrymanらは健常な男性25歳から45歳の下方移動距離を測定したところ平均11㎜±4㎜であり、分布が5-15㎜であったと報告しており、20㎜以上の移動距離を計測しうるのか疑問であることから、grade分類をgradeⅠ(5-10㎜)、Ⅱ(10-15㎜)、Ⅲ(15㎜<)として計測した。Levyらはそのgrade分類を用いて検者間の互換性、再現性を評価したところ、どちらも信頼しうる分布にはならなかったと報告しており、評価方法そのものに対して疑問を投げかけている。
・骨頭径を用いた評価方法
第二の評価方法は、上腕骨頭径の何%だけ関節窩より移動して外れるか、を測定する方法である。Cooperらは骨頭が関節窩縁に到達した際の移動距離を骨頭径の50%以下(gradeⅠ)とし、関節窩縁を超えると50%以上(gradeⅡ)とした。その臨床的意義は25%以上の移動は亜脱臼を意味し、50%を超えると脱臼を意味することになる。 しかしその評価方法の正確性や再現性を証明した研究はなされておらず、正確性を疑問視する論文もある。
・検者の感覚で評価する方法
検者の操作によって移動した上腕骨頭と関節窩縁の位置を、検者の感覚によって評価する方法である。HawkinsとKrinsmanは上腕骨頭と関節窩縁の位置関係において、操作により移動しない場合をgrade0、関節窩縁まで移動した場合をgradeⅠ、関節窩縁に乗り上げる場合をgradeⅡ、脱臼して関節窩外に到達する場合をgradeⅢとした。この測定方法はAmerican Shoulder and Elbow Societyに1994年に採用されている(図4)。Levy、McFarlandらはGerberらの方法で前、後方向の弛緩性を評価し、仮にgrade0をgradeⅠと同様に扱うと有意に検者間相関性や検者内再現性が上昇したと報告している。
※まとめ
肩関節不安定性と弛緩性について不確実な知識により不正確な患者評価がなされ、不必要な治療がなされることのないようにしなければならない。
■群馬保険医新聞5月号