【論考】予防接種制度の見直し 3

【2010. 6月 21日】

【論考】予防接種制度の見直し 3

   前橋リポートを読み返す
    
                                              前橋市 中田益允

 
 前橋市インフルエンザ研究班報告書(注1)の発刊は1987年であった。数えてみれば23年前のことであった。しかし今も巷間「前橋リポート」の通称で通りがいい。歴史上の「過去の文献」となっていてよかろうものを、そうはなりきれていないことを感じて、我田引水の謗りもかえりみず、ひとこと記すことにした。このようなとき、今は亡き由上班長のご高閲が得られないことはきわめて残念なことである。
 
 ◎集団接種から個別接種へ

 前橋リポートは、トヨタ財団公募の市民研究コンクール入選助成報告書の形をとっていたので、医学者、医療関係者に届きにくかったかわりに、多くの一般市民の方々に注目していただけた。しかし報告書の発刊部数は少なく、市民の方々の需要にお応えしかねていたところ、市民NPOのご協力によりインターネットで全文講読がたやすくできるようになった (注2)。ありがたいことであった。
 さて、報告書のまとめの最後のところに、班長由上修三氏は次のように述べている。「集団接種から個人接種へとスタンスを変えるべき時期にきていると思われるが、今のワクチンは非力に過ぎるようである。いずれにしても、十分な検討を経て…より効果的なワクチンの開発に向うことが私達の願いである」と。
 しかし今や再び集団接種の呼び声がしきりに聞かれるようになり、新ワクチンの開発の可能性については、現場の医師に聞こえるのは現実性に乏しい論文の飾りのような話ばかりである。
 
 ◎ワクチン主義

 研究班の理論的リーダーでおられた氏家淳雄氏(元群馬県公害研究所長)は、一昨年の市医師会への来翰の中で「従来、日本の感染症研究は、初期における感染発症に拘わり、経過や治癒機転などは不思議なくらいに軽視されてきた。インフルエンザも同様で、然も、不活化ワクチンの効果のみが重視されている感じがする。流行の機序、病気の流れの研究、ワクチン以外の防禦機序などの研究はなく、実に単純である」と。
 私はなるほどと思い、今も状況は変らないどころか、ワクチン主義がはびこっていると感じている。
 
 ◎不顕性感染の問題

 かつて研究班活動の初期、不勉強の報の俄勉強に、学生時代の先生だった川喜田愛郎氏の感染論を繙いた (注3)。当時、小学生の血清診断によるインフルエンザ患児の中に、不顕性感染者が四割以上もいるのに驚き、これが何を意味するのか知りたかった。
 川喜田氏は次のように書いていたのを思い出す。「不思議なことに、この種のできごとを病理学的な問題としてとらえようとする姿勢をはっきりとった人はそれほど多くないように見える。ウイルス病学の成書は…ほとんど例外なしにその『不発病の病理学』を盲点として残している」と。
 その原因の一つは、当時私たち自身が方法としていた血清疫学の誕生が、個体の感染の問題への考察をないがしろにさせたというのである。当時からみても17、18年も前の記述である。今も成書の記述は乏しい。
 インフルエンザの流行は、初発患者が発生して一週間も経つか経たぬうちに、たとえば学校流行は一斉に始まり、対策はモグラ叩きの様相となる。またわれわれ小児科開業医は、ワクチン接種をせずとも、大概休診もせずに仕事が続けられる (注4)。不発病の病理はいまだ解明しつくされたとはいい難い。
 
 ◎ワクチンキャンペーン

 最近とみにインフルエンザ不活化ワクチンの接種推進が叫ばれている。さながら商業的キャンペーンのごとくである。
 わが国の新型インフルエンザ対策総括会議では、集団的接種の提案が相次いだという。アメリカACIP(注5)は、生後6カ月から18歳小児の全員接種を目指すといい、老人に対しては抗原濃度四倍のワクチンが準備されたという。「ワクチンギャップ」や「ワクチンラグ」、そして「ワクチンによる予防可能疾患=VPD(注6)」の提唱も、同じ線上の出来事かもしれないと感じている。
 経済誌によれば、不活化ワクチンだけでも推定数千億円を下らない市場の問題である。ブタインフルエンザの流行に、トリインフルエンザの危険性を声高に警告しつづける人たちが大勢いる。ドイツ「シュピーゲル」誌が伝える、WHOのパンデミック宣言を巡る製薬会社の圧力疑惑(注7)の問題や、木村盛世氏が憂える厚労省内部の官産癒着の状況(注8)など、大きな関心を寄せざるを得ない。 
    *
 さて、前橋リポートは、インフルエンザ不活化ワクチンの感染予防、発症阻止効果についてはそれに関わる資料を含むが主たる検討の目的とはしていなかった。
 一方、同じ時期にワクチン接種校を含む県内5小学校における流行状況調査が県医師会によって行われていた。結果は2000年に報告書としてまとめられ発刊されている(注9)。国の政策批判には立ち入っていないが、対象後の詳細な資料が収録されている。姉妹篇として一読すれば、インフルエンザワクチン対策を考える際の起点として、多くの示唆に富むものと思われる。
 この報告書の存在意義については、前橋リポート収載の氏家氏の論文を参照していただきたい。5月31日記(中田クリニック) 

(注)
1、「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」前橋市インフルエンザ研究班(班長由上修三)トヨタ財団助成研究報告書C‐010、1987
2、カンガエルーネット http://www/kangaeroo/net/D-maebashi.html
3、「感染論」川喜田愛郎、岩波書店、1964
4、「医師はインフルエンザにかからない」前橋市インフルエンザ研究班、日本医事新報、平成2.12.15(3477号)
5、Advisory Committee for Immunization Practices の略(米国)
6、Vaccine PreventableDisease の略
7、「集団ヒステリーの検証、2009年ブタインフルエンザ・パニック」外岡立人訳・解説、「世界」2010年5月号
8、「厚労省と新型インフルエ
 ンザ」木村盛世、講談社現代新書、2009
9、「インフルエンザ抗体調査報告書」群馬県医師会、平成2年

 

■群馬保険医新聞 2010年6月号