【診察室】
群馬大学の重粒子線治療の現状と展望
―開業医との連携―
重粒子線医学研究センター長
腫瘍放射線学分野教授
中野 隆史
◎切らずにがんを治す
最近、がんに対する放射線治療には、がん病巣に線量の集中性を高める先進的放射線治療技術が目覚しく進歩し、いわゆる、“切らずにがんを治す放射線治療”が脚光を浴びています。そうした先進的放射線治療の中で、群馬大学に全国の大学に先駆けて重粒子線治療装置が導入され、平成22年3月にがんの重粒子線治療が開始されました。
重粒子線治療とは大型の加速器で炭素イオンなどの重いイオンを光速の70%近くまで加速して、がんなどの病巣に当てて病気を治す治療法です。この重粒子線治療には炭素イオン線を用いますが、この炭素イオン線は従来のX線や電子線治療に比べ細胞を殺傷する効果が2-3倍強い性質を持ち、さらに放射線の線量集中性に優れ、がん細胞を集中的に殺傷して、周囲の正常組織の副作用を最小限に抑える特徴を持っています。そのため、いわば“切らずに生活機能を損なわずにがんが治る”QOLの優れた治療法として、さらに、肝癌、悪性黒色腫、骨軟部腫瘍など、通常の放射線が効きにくいがんに対しても有効な治療法として、期待されています。
◎重粒子線治療の歴史
歴史的には、米国のローレンスバークリー研究所の原子核実験用重イオン加速器により1975年から本格的な重粒子線治療研究が開始されました。約400名の患者が治療されましたが、1992年、加速器の老朽化と科学予算削減の影響を受けて中断しました。
その後、我が国において、対がん10ヵ年総合戦略(1983年~)の一環として、1994年6月から放射線医学総合研究所(千葉市、以下「放医研」と表記)で、医療専用の重粒子加速器(HIMAC)により、炭素イオン線によるがん治療の臨床試験が開始されました。また、2002年4月から兵庫県立粒子線医療センターも重粒子線治療を開始し、2003年に先進医療に認可されました。
ドイツでは、1997年にダルムシュタットにある国立重イオン研究所(GSI)の大型加速器を試験的に用いて頭頸部腫瘍の患者に対し100例程度の治療が行われ、2009年11月から、ハイデルベルグ大学病院の敷地内に医療専用の重粒子線治療施設を完成させ、がんの重粒子線治療が行われています。
群馬大学では、この重粒子線治療プロジェクトを群馬県との共同事業として行うこととし、平成19年2月に附属病院敷地内に重粒子線治療装置の建設を着工し、世界の大学としてはハイデルベルグ大学に次いで平成22年3月にがんの重粒子線治療を開始しました。
放医研において1994年6月から開始された炭素イオン線治療では、まず、がんに対する炭素イオン線の治療効果を確認するために、第I/II相試験を開始しました。頭頸部腫瘍、脳腫瘍、肺癌、肝臓癌、前立腺癌、子宮癌、骨・軟部腫瘍、食道癌などのうち、従来の放射線治療では治癒が困難な症例を主な対象として臨床試験が行われ、2010年2月までに治療された患者総数は5196名でした。現在、肺癌、肝臓癌、頭頸部癌、前立腺癌、骨軟部腫瘍などで良好な治療成績が得られ、先進医療として有料で治療が行われています。
群馬大学重粒子線治療の概要
◎普及型装置の実証1号機
放医研において研究的治療として始まった炭素線治療がより広く実用化されるためには、装置を小型化して建設や運営コストを軽減することが課題です。群馬大学の重粒子線照射施設は、普及型装置の実証1号機として位置づけられており、放医研で開発された普及型小型炭素イオン重粒子線治療装置を基本仕様として、そこに炭素イオンマイクロサージェリー治療開発ポートを大学独自のオプションとして搭載したものです。建屋の大きさは約65m×45m×20m程度で、放医研の治療施設の大きさ125m×65mに比べ約3分の1になり、その中に、イオン源、初段加速器、直径約20mのシンクロトロン主加速器、3室の治療照射室と1治療開発室があります。加速器も高性能でありながら、放医研の加速器に比べ、直線加速器部分は7分の1、シンクロトロンの直径は2分の1にそれぞれ小型化されています。
◎運営委員会で連携体制を整備
群馬大学で行われる炭素線治療は、群馬大学と群馬県の共同事業として行われます。このため群馬大学では、群馬県や県内がん診療連携拠点病院、県内医師会などから構成される群馬重粒子線治療運営委員会を設置し、県内の連携体制を整備して治療施設の効果的な活用を図っています。また、群馬大学医学部附属病院内には、重粒子線治療検討委員会において、重粒子線治療の対象となる疾患毎に、外科腫瘍医、内科腫瘍医、放射線腫瘍医、腫瘍病理医、画像診断医などから成る専門部会が設置されており、プロトコールの作成や集患体制、治療評価の方法などが討議されています。
◎年間600人をめざす
群馬大学で初期に予定される治療対象疾患は、頭蓋底腫瘍、頭頸部癌、肺癌(I期)、肝細胞癌、前立腺癌、直腸癌術後再発、骨軟部腫瘍などで、いずれも放医研でこれまでの治療の結果、安全性や有用性が確立されている疾患です。平成22年3月から現在まで、前立腺癌、頭頸部癌および肺癌の患者の治療を開始しています。
さらに、肝臓癌、骨軟部腫瘍、頭蓋底腫瘍、直腸癌術後再発などの順に患者に治療対象を拡げて、平成22年度は数十名の患者を慎重に治療し、徐々に治療患者を増やし、数年以内に年間600名の患者の治療を目指しています。これらの治療を通じ、群馬大学における治療技術を確立しながら、さらに総合病院としての利点を活かした集学的治療法の開発に取り組み、治療成績の更なる向上と適応疾患の拡大を目指しています。
群馬大学附属病院は群馬県および北関東地域のがん拠点病院としての機能を負っており、「患者の視点に立ったQOLを重視する全人的総合的がん医療」を目標に掲げています。そして、重粒子線治療をその中核的な先端治療技術の一つに位置付けて機能温存・低侵襲がん治療を推進し、理想的ながん診療の“群馬モデル”を実現させたいと考えています。
この成果をあげるためには、県内の地域がん登録の整備やがん診療情報の充実したがん医療情報ネットワークの構築と総合的な先端的がん診療体制を確立することが大変重要です。現在、県がんセンターや県内のがん拠点病院、医師会などと協力して、このような診療ネットワークの構築を行っています。この機会を最大限に利用して、群馬医療圏における総合的癌医療の中に重粒子線治療を有効かつ効果的に位置づけたいとおもいます。そして群馬県と協力して、重粒子治療に関する地域連携をはかり、がんに苦しむ患者さんの白い杖となり、県民の健康・福祉向上に貢献したいと考えています。
線形加速器/シンクロトロン加速器から送られた炭素イオンはシンクロトロンの中を
周回している間に光速の70%まで加速される
■群馬保険医新聞2010年7月号