【診察室】 第1回 ぐんま母乳育児支援ミーティング

【2010. 11月 16日】

 10月23日、母乳育児を願う母親を支援しようと「ぐんま母乳育児をひろめる会」がミーティングを開いた。長年母乳に関する電話相談を続けてきた女性医師グループの趣旨を継承する新しい会として、県立小児医療センター新生児科の丸山憲一医師が代表世話人に。母親と子どもに関わる全ての職種(医師・歯科医師・助産師・看護師・保健師・薬剤師・栄養士・保育士ら)が母親たちのピアサポートと連携し、情報交換や勉強会を開いていくという。ミーティングでの2演題をまとめていただいた。

 

再考/母乳とむし歯の関係
―6か月以降の授乳はむし歯の原因になるのか―

高崎市 武井小児歯科医院 武井謙司

武井

 乳児期のむし歯をインターネットで検索すると、生後6か月以降の離乳期を過ぎた母乳育児は、むし歯になる可能性があり、特に夜間授乳はその危険性を増す、とのコメントが歯科サイトでは多数を占めます。
 

 これは、過去多くの疫学的研究の結果に基づいたもので、歯科医は、乳幼児健診の場や歯科医療現場では、早めの「卒乳」を推奨してきました。なかには、職業意識が高すぎて、強い口調や姿勢で「断乳(*)」を迫り、母乳保育に寛容な小児科医との見解に齟齬をきたし、当事者である母親を悩ますケースも生じました。
 

 そこで、日本小児歯科学会と日本小児科学会とが「小児科と小児歯科の保健検討委員会」を立ち上げ、平成16年に現場での混乱を収めるため統一見解を出しました。その内容は、「母乳は発育に欠かせない重要なものではあるが、離乳期を過ぎた夜間授乳や口の衛生状態が悪いとむし歯の危険性が高まる」というもので、卒乳が遅れる場合は注意を促しています。平成20年に改定され、より母乳育児の重要性を前面に出し、母乳そのものはむし歯の直接的原因ではないとしていますが、夜間授乳はむし歯のリスクを高めるとし、母乳そのもののむし歯誘因性と、それに伴う早期の卒乳推奨は残されたままです。
 

 私は、「むし歯になるから直ぐに止めなさい」と、強く断乳(*)が勧められていた時代から一貫して、母乳ではむし歯にならないと考え、公的な検診の場では密やかに、自分の診療室では堂々と、一定の条件をつけて見守りの卒乳をお伝えしてきました。何故なら、母乳という生命を育む重要な物質が、いかなる時期でも、子どもに害を与えるようなことはないとの思いと、それまでの主な文献の結論の扱い方に疑念を抱いていたからです。
 

 従来の文献では、母乳育児や、卒乳の遅れたグループに統計的に罹患率が高いとし、夜間授乳、口の中の衛生状態、甘味食品等がその要因として挙げられています。ところが、養育者のむし歯の罹患状況や、唾液の性状、歯や歯列の性状、離乳食の内容などの分析はなされておらず、更に、母乳自体にむし歯の誘因性があるのか、といった根源的な検証も見当たりませんでした。
 

 疫学的な研究で得られた結果は、臨床の場においても、反映されるべき重要な事項の一つですが、統計的な有意だけで断定的な結論を導き出すのは、やや慎重さに欠けると考えます。特に、育児に関わる問題は繊細かつ重要で、養育者に与える影響は多大なものがあり、情報を伝える際には根拠について注意深い検証が必要です。
 *歴史的な背景を表現するために「断乳」を使いました  が、現在は「卒乳」に統一されています。

 

●母乳とバイオフィルム
 そのような状況の中、より生体に近い条件で、母乳とむし歯の関係を実験的に調べた研究が行われました。最新のむし歯学では、むし歯の成因は口腔内細菌のバイオフィルムの関与が定説となり、従来のプラーク(歯垢)コントロールからバイオフィルムの除去が予防の主役になっています。
 

 そこで、この研究では試験管に主因菌であるミュータンス連鎖球菌のバイオフィルムモデルを作り、母乳、人工乳、糖水(蔗糖液)を加え、PHの経時変化で哺乳むし歯の実態を捉えようと試みています。PHの経時変化に着目したのは、ミュータンス連鎖球菌は糖質を代謝して酸を出し、臨界PH(PH5.5)を下回ると歯の表面が脱灰され歯質が崩壊し、これがむし歯の正体だからです。
 

 実験では5時間経過しても母乳、人工乳では臨界PHには至らず、糖水だけが3時間後に臨界PHを越え、5時間後にはPH4.4になりました。更に興味深いのは、蔗糖0.1%の糖水に母乳の糖質である7%ラクトースを加えると、臨界PHを越えるのが抑制された、との結果です。
 

 試験管内の実験であり、そのまま臨床に結びつくかは、より一層の検証が必要です。しかしながら、生体に近い環境で、母乳や人工乳単独では5時間経過してもミュータンス連鎖球菌はむし歯を発生させず、PHの低下も抑制するとの結果は、従来の定説を覆す可能性を秘めていると考えます。

 

●鎌倉時代は2歳まで授乳していた
 更に文献渉猟の幅を広げ、動物学や文化人類学の視点でこの問題を捉えてみました。
 

 動物学では人類に近い霊長類の離乳期を調べました。すると、ニホンサル1年、チンパンジーは3年であり、ヒトの6か月は異常に早い離乳であることが分かりました。サルもチンパンジーも、母乳の主成分はヒトと同様、乳糖です。卒乳の時期がむし歯と関係があるならば、サルやチンパンジーの子どもにはむし歯が頻発していてもおかしくはありません。しかし現実には、野生ではむし歯はゼロです。野性では…としたのは、動物園に入れられ、蔗糖や果糖を多量に取るとむし歯ができるからです。原因菌はともかく、むし歯発生の仕組みはヒトと同じと考えてよいと思います。
 

 次に、文化人類学の文献から、伝統的(未開)社会での離乳は一般に遅くて3~4歳、日本でも、鎌倉時代では2歳であったことが分かりました。卒乳が遅れるとむし歯になるとの根拠からすると、伝統社会や鎌倉時代の子どもたちはむし歯だらけとなりますが、事実は逆です。
 

 また、佐原真先生は著名な「衣食住の考古学」の中で、狩猟主体の縄文人は農耕民族の弥生人よりもむし歯は少なく、母乳や卒乳期よりも何を主食にしているかが問題だと指摘されています。更に、アメリカインデアンの狩猟族であるスー族の罹患率がほぼ0%に比べ、農耕族ズニ族は25%であったとの研究も引き合いに出し、穀物を主食とする民族にむし歯が発生しやすいのではとも述べられています。
 このように多角的に見ても、卒乳時期の遅れとむし歯の因果関係は確定されているとは言いがたく、離乳期以降の母乳保育がむし歯の要因とされてきたのは「冤罪」である可能性が高くなりました。

  とはいえ、この時期のむし歯は成育に大きな影響を及ぼしますので、母乳育児を問題とするのではなく、食を含めた生活環境の整備と、普段からの口の衛生管理の徹底、母親には妊娠前のむし歯チェックと治療を大いに推進すべきです。

 最後に、文学的視点で締め括りたいと思います。

  たらちねの 母が手離れ かくばかり 
       すべ無きことは いまだせなくに
                     柿本人麻呂
 

万葉の昔から、母乳育児は親子の絆の象徴だったことを忘れてはなりません。

 

<参考文献>
1平野慶子他:乳幼児歯科保健に関する経年的研究、小児保健研究、1997. 2Takuro Yonezu:Characteristics of Breast-fed Children with Nursing Caries,Bull Tokyo Dent Coll,2006. 3佐藤恭子他:プラークバイオフィルムにおけるS.Mutansの酸産生能、小児歯科臨床、2006. 4上野有理:ヒトにおける食行動の発達、HumanDevelopment Research,2006. 5米田穣:先史人類学への誘い、uideline  July,2008. 6佐原真:衣食住の考古学、3章先史代のムシ歯、岩波書店、2005.

 

 

母乳育児支援の実際
―妊娠中から産後まで―

桐生市 優和クリニック 太田裕穂

太田

●具体的な取り組み
 〈 妊娠中 〉
  「生きものとして自然に産み育てることの凄さ、素晴しさを、妊婦をとりまく周囲の人たちにも伝えたい」との思いから、医師による夫婦面談、おばあちゃん教室を開催。自然に産むこと、母乳で育てること、医療の限界について説明している。また助産師による「ペアレンツクラス」(夫婦参加の出産準備教室)、「マザークラス」(おっぱい教室)を開くほか、3回の個別面談でバースプランを作成している。

 〈 分娩時 〉
 分娩に際しては「生きもの本来のお産、産後が辛くないお産」をモットーに、可能な限りの自然分娩を行っている。助産院のように助産師がつきっきりでお世話し、原則として会陰切開をしない。過去3年間の医療介入は以下の通りである。

 会陰切開施行率 3.4%
 吸引分娩    2.9%
 促進剤使用   3.5%
  

 また生まれた児は臍帯がつながった状態でそのまま母親のおなかの上でカンガルーケア(臍帯は拍動が止まってから切断)、臍帯切断後も引き続きカンガルーケア、児がほしがるサインを認めればそのまま初乳吸啜開始。その後もずっと助産師がつきっきりで見守っている。

 〈 産後 〉
 「生まれる前も生まれた後もずっと一緒」「よけいなものはあげない」。分娩直後から母子同床にし、頻回の直接授乳が原則。全個室のためスタッフは頻回訪室し、児の抱き方、吸わせ方を支援するが、乳管開通操作や乳房マッサージはしていない。また原則として、母乳以外のものはあげないようにしている。
 医学的適応を含め、補足を考慮する場合は当院作成の補足基準に則り検討するが、補足の第一選択は搾母乳で、必要量が確保できない場合は糖水か白湯か人工乳のいずれを補足すべきか検討。またその際、ゴム乳首は使用せず、シリンジ、カップ、スプーンを使っている。基本は「授乳指導」ではなく「自立支援」(母親の気持ちに寄り添う)である。
 私は、人工乳は「クスリ」であると認識している。「クスリ」が必要な人はいるし、クスリだから副作用も起こりうるという考え方だ。だから本当に必要な人に、必要な分だけ「処方(購入)」し、必要がなくなれば中止する。

 〈 退院後 〉
 まず退院後の1週間健診、母乳外来、電話訪問、母乳相談・乳房トラブル等の電話相談は24時間対応。高次医療施設へ紹介または搬送となって当院で出産できなかった母子に対しては、同病院のカンファレンスに参加して情報を共有し、さらに直接訪室して産婦に当院の思いを伝えている。

 
●退院時母乳栄養率は99.1%
 2007年1月から2009年12月までの3年間、当院で出生した37週以降2500g以上の単胎正常新生児574例を対象に、退院時と1か月健診時の母乳栄養率を出してみた。ここでいう完全母乳とは出生後、母乳以外のものを一切与えることなく、母乳栄養のみで経過したケースである。

  退院時 1か月健診時
母乳栄養 99.1% 97.7%
完全母乳栄養 82.1% 81.0%
混合栄養 0.9% 2.3%
人工乳栄養 0.0% 0.0%

 

●まとめ
・あたりまえに産み、あたりまえに育てることができる施 設でありたい。
・理想のイメージは、院内に助産院がある感じ。
・一人ひとりを大切に、ていねいに関わりたい。
・当院の設備限界をわきまえ、安全に出産を終えることが 大事。
・だからこそ、「どこで産んでも母乳育児はできる」こと を一人でも多くの産婦さんに伝えたい。

 そもそも母乳育児は非常に手間のかかるものであり、その手間を惜しんではいけないと思う。妊娠中から産後を通じて、「いつもそばにいるよ」というメッセージを伝え続けたい。

 

■群馬保険医新聞2010年11月号