母乳とHTLV-1
群馬県立小児医療センター新生児科 丸山憲一
●HTLV-1とは
ヒトT細胞白血病ウイルス1型(humanT-cell leukemiavirus type 1、以下HTLV-1)は主にT細胞に感染するレトロウイルスで、成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスです。そのほかにHTLV-1-associated myelopathy(HAM)とよばれる痙性脊髄麻痺を引き起こすことが知られています。 感染経路としては母子感染、性交渉、輸血があります。化学療法や骨髄移植などにより白血病の生存率は上昇してきていますが、ATLは未だ既知の治療に抵抗性であることが多く、予後不良の疾患です。HTLV-1に感染してからATLを発症するまでには40~50年かかるため、発症年齢は50歳代にピークがあります。母子感染による感染が大部分であるため、母子感染を予防することにより、HTLV-1のキャリアを減少させ、さらにATLの発症者を減少させることが期待できます。かつてはキャリアの大部分が九州、四国、沖縄に分布していましたが、最近の調査では全国に拡散する傾向がみられます。
主な感染経路である母子感染を防ぐため、政府は先ごろ妊婦に対するHTLV-1抗体検査への公費負担を決定しました。これまでは、昭和63年度から平成2年度まで検討を行った厚生省心身障害研究「成人T細胞白血病(ATL)の母子感染予防に関する研究」(主任研究者:重松逸造)の内容を受けて平成6年に作成された「HTLV-1母子感染予防保健指導マニュアル」がよく知られていました。今回は新たに発表された厚生労働科学特別研究事業「HTLV-1の母子感染予防に関する研究班」(研究代表者:齋藤 滋)の研究報告書に基づいて、母乳育児とHTLV-1について述べてみたいと思います。
●スクリーニングとその後の対応
HTLV-1キャリアのスクリーニングは妊娠初期から妊娠30週頃までに血清中のHTLV-1抗体をCLEIA法もしくはPA法で検査することによって行います。これは、陽性であった場合に母乳育児等の母子感染予防対策について十分に相談する時間をとるためです。また、前回の妊娠時の検査が陰性でも性交渉により感染する可能性があるため、妊娠のたびに検査する必要があります。スクリーニング検査で陽性であった場合は、Western blot法で確認検査を行います。そこで陽性と出た場合は「陽性」としてカウンセリング等の対応をし、母乳を介して母子感染が成立することを説明し、人工栄養か生後3カ月までの短期母乳哺育を勧めます。Western blot法で判定保留となった場合、栄養法については母親の判断を尊重し、母乳哺育を希望すればその意志を尊重します。Western blot法で陰性の場合は「陰性」として母乳哺育を勧めることになっています。
母子感染が成立している場合、児のHTLV-1は出生時陽性で、その後一旦陰性化することがありますが、3歳までには陽性となります。したがって、母親がキャリアであることが判明した場合、児は3歳以降に感染について検査することが勧められています。
●スクリーニングにあたって注意すべき点
現在、輸血用の血液に対してはHTLV-1のスクリーニングが行われているため、輸血での感染はほとんどなくなりました。しかし母子感染や性交渉による感染があるため、妊婦がHTLV-1キャリアであることが判明した場合、夫婦間や親子間での心理的葛藤や人間関係のトラブルが生じる可能性があります。妊婦自身も将来、ATLやHAMを発症することに対する不安が生じる可能性があります。
ATLは予後不良とはいえ、性交渉による感染でATLを発症することは極めてまれであること、キャリアでも発症は40歳過ぎで、1,000人に1人の割合であること、キャリアの同定は母子感染予防に有効であることなどを説明できるようにしておくことも必要です。研究班の報告書にカウンセリングの方法などが書かれており、スクリーニングを行う医療者はそれを参考にすることができますが、それだけでは十分ではないように思われます。HTLV-1キャリアの多い長崎県では産科、小児科の医療機関および保健所など行政が一体となって対応できる体制が整えられています。全国規模でスクリーニングを行うにあたっては、少なくとも各都道府県レベルで同様の体制を整備することが必要です。
●キャリアが判明した場合の母乳育児と感染率
かつて母乳による母子感染率は80%以上と考えられていましたが、重松氏らの報告書では15~25%程度にとどまることが明らかにされました。さらに、齋藤氏らの報告書では、人工栄養でも母子感染は3~4%あること、4ヵ月以上の長期母乳哺育では母子感染率が15~25%であるが3カ月以下の短期母乳哺育では感染率が低い可能性のあること(小規模の調査では人工栄養と感染率が変わらないこと)が示されています。原因として出生時に感染する可能性や母親からの移行抗体の影響などが考えられています。これらの調査結果や母乳は人工栄養にはない多くの利点があることから、新しい報告書ではキャリアと判明した場合でも、直ちに人工栄養や感染性のない凍結母乳を勧めることはなくなりました。
人工栄養、短期母乳栄養、長期母乳栄養のうち、どの栄養法をとるかは感染のリスクや母乳の利点などの情報を提供し、十分に話し合い、最終的には母親本人に決めてもらいます。どのような選択をしたとしても医療者はそれを尊重しなければなりません。分娩後、母乳分泌抑制を希望した場合は薬剤投与について説明します。キャリアと判明する前に母乳育児を希望していた母親が母乳栄養を選択しなかった場合でも、選択できなかったつらさなどを汲んで対応しなければなりません。人工栄養を選択した場合、なぜ母乳を飲ませないのかといった非難を周囲から受ける可能性があるため、それに対して相談にのることも必要です。
母乳育児を選択するしないにかかわらず、母親に寄り添い、継続的な支援ができる体制を作っていくことが重要です。
■群馬保険医新聞2011年2月号