【診察室】抗がん剤グリベックの問題点

【2011. 6月 21日】

【診察室】抗がん剤グリベックの問題点

伊勢崎市・長沼内科クリニック 長沼 誠一

 年に何回か健診に訪れる父の同級生は、数年前から慢性骨髄性白血病を患っている。近くの病院で処方された抗がん剤のグリベック2錠を内服中だ。調べてみると1錠約3,000円、薬代だけで月に18万円という高額に驚いた。医師会の会議の際、その担当医が隣の席になったので、グリベックの効果、薬価について聞いた。
 慢性骨髄性白血病に効果が高く、常用量は4錠だが、2錠でも効くので減らすこともある。また、月単位の高額療養費制度を使い、2カ月分処方するなど、患者負担を減らす工夫をしている。製薬会社のMRも勧める方法なのだという。
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 グリベックは、スイスの製薬会社ノバルティスが販売する飲み薬の抗がん剤だ。1992年より非臨床試験、1998年より臨床試験を始め、2001年にアメリカや日本で、慢性骨髄性白血病の治療薬として承認された。
 慢性骨髄性白血病は、日本では年間1,200人が発症し、約1万人の患者がいる。発症は66歳前後が多く、数年の経過でゆっくりし進行し、10年程で亡くなるのがほとんどだった。
 骨髄移植やインターフェロン療法は、副作用が強く、効果も限定的だったが、グリベックは副作用が軽く、7年生存率は86%と劇的に向上した。グリベックは分子標的薬と呼ばれ、がん細胞だけに発現する特定の分子を狙い撃ちし、がん細胞の分裂を抑制するため、副作用が軽い。
 グリベックの効果により、亡くなる人が減った反面、問題も出てきた。生きている限り、この高額な薬を飲み続ける必要があり、支払いに苦労するのだ。
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 冒頭の患者は、国民年金暮らしの高齢者なので、月に8,000円または12,000円の外来自己負担限度額で済んでいる。しかし、70歳未満で、常用量4錠の場合、月36万円の3割で、自己負担額は10万円にもなる。
 患者の収入に応じて医療費の上限を設けた高額療養費制度を利用すると、一般といわれる年収210万から800万円の人の1カ月の限度額は80,100円で、4回目からは44,400円に下がる。一時的な入院などの場合、この制度で助かるが、抗がん剤を飲み続けなければならい患者にとって、費用の負担は重くのしかかる。
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 海外ではどうか。「全世界同一薬価を厳守せよ」というノバルティス社の経営方針により、どこの国でも1錠約3,000円だ。インドは2005年まで、医薬品への特許を認めておらず、ジェネリック薬は良質で安価だ。グリベックの特許はその後も認められず、ジェネリックのビーナットは20分の1の価格で販売されている。日本からも医薬品代行輸入などで、手数料込みでも1錠200円で購入できる。
 韓国では、2001年にグリベックが承認される際、患者による薬価引き下げの運動が起こった。OECD諸国よりGDPが少ない分、薬価も3分の1にという要求だ。ノバルティス社はG7の平均薬価を元に、引き下げに反対した。「白血病患者は生き続けたい、ノバルティスは薬価を引き下げろ」という患者たちのデモにより、ノバルティス社は〝不道徳な企業〟として報道された。こうした運動の成果もあり、通常、医療保険の自己負担率5割のところ白血病患者だけが1割に減額され、その1割もノバルティス社が出資する財団からの補助で賄われることで、グリベックを服用する患者の自己負担はゼロになった。しかしそれは、ノバルティス社がたった1割引で、韓国でのグリベックの売り上げを確保したということである。
 イギリス、フランス、イタリアでは、薬の費用は公的保険がカバーし、自己負担はない。ドイツは、処方の1割が患者負担で、年間の上限は約3万円だ。しかし、グリベックのように、年間で400万円にもなる薬が増えれば、医療保険の負担は増えるだろう。
 日本では、患者自己負担について、高額療養費制度がうまく機能していない。一般とされる年収の枠が210万~800万円と幅がある。下限の200万円台の人も800万円の人と同じように毎月44,400円、年間53万円を支払う必要があり、家計を圧迫する。低所得者の限度額は引き下げが必要だ。難病指定による患者負担軽減策も、56の特定疾患に限られている。特定疾患以外にも病気の種類はたくさんあり、病気ごとに指定する仕組みに限界を感じる。年収や病状の重さなどを考慮したきめ細かい医療費補助が望まれる。70才以下の自己負担率3割も高額な医療費の場合、支払い困難の原因となり、1割負担が望ましい。
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 グリベックによるノバルティス社の売り上げは、日本だけで年間400億円だ。月36万円の薬代の患者1万人分を計算するとその金額とほぼ一致する。世界での売り上げは、2006年22億ドル、2009年40億ドル(約4,000億円)にもなる。ノバルティス社の売り上げの筆頭は、降圧剤ディオバンの60億ドルだが、それに近づく勢いだ。
 グリベックの成功により、製薬会社は抗がん剤の開発に力を注ぎ、多くの分子標的薬が出てきた。それらの薬のほとんどが1錠数千円で、年間の薬代は数百万円になる。肺がんの抗がん薬で有名なイレッサもその1つだ。
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 生きていくために飲み続けなければいけない薬が、経済的な面から継続が難しいというのは問題だ。グリベックは年間患者数5万人以下の稀少医薬品ということで、高薬価になった。しかし売り上げが伸び、開発費を回収できたら薬価を下げるべきだろう。患者の命より売り上げが大事では、製薬会社のモラルが問われるが、モラルに頼れないのが現状だ。
 がんになっても生活に困らず、安心して治療を続継できる仕組みが求められている。

■群馬保険医新聞2011年5月号