「風前の灯」状態の菅政権は、7月29日、「東日本大震災からの復興の基本方針」を決定した。「今を生きる世代全体で連帯し負担を分かち合う」として、時限的な税制措置の名目で、増税を打ち出した。その中で、消費税増税も浮上した。
今回の震災の復興費用は、阪神・淡路大震災の経験から、数十兆円にのぼるとされている。しかし、具体的な復興プランが描かれていない中で、その財源の捻出方法のみが議論されていることが、長い自民党政権後の未熟な政権故だとすれば、国民の不安はつのるばかりである。
福島第一原発事故や津波による被害といった、国の歴史的な一大事に際し、党派を超えた協力体制がなぜ作れないのか。民主党も期待はずれなら、これまで原発を推進してきた、かつての政権政党である自民党が、責任を転嫁したような態度で現政権を責め続けるのも、納得がいかない。
閑話休題。
消費税増税案は、なにも震災後に浮上した訳ではない。一昨年の総選挙時のマニフェスト(政権公約)では、現行の税率5%を維持、4年間は上げないと明記している。ところが昨年1月、自民党の谷垣総裁は、福祉目的税として消費税10%以上の引き上げが必要と主張した。これを受けてか、菅首相は同年6月、参院選マニフェストを公表した際の記者会見で、「自民党案を参考にする」とし、消費税率10%に言及した。
◆日本と他国の消費税率
たとえば、スウェーデンの消費税は25%だが、教育費等は無料、最近は以前より増えたとはいえ、医療や介護での自己負担額は低く抑えられている(実際には診察までの待機時間が長い等、当地なりの問題も出ているようだが)。ヨーロッパ諸国では、20%程度の国が多いが、教育や生活必需品については、低いか無税というところがほとんどである。
日本の場合、消費税は5%だが、医療、福祉、教育に至るまで一律に課税しているところに問題がある。
消費税率の引き上げは、低所得者に重くのしかかる。社会保障が整備されない中での消費税率の引き上げは、さらに景気を冷え込ませる恐れがある。
◆消費税上げても財政再建はできない
かつてベストセラーとなった「超整理法」の著者、野口悠紀雄氏(早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授)は、オンラインのコラム「人口減少の経済学」の中で、「仮に消費税率を20%に引き上げたとしても日本の財政状況は好転しない」としている。(1月21日 ダイヤモンドオンライン「内需を増加させたいのなら、なぜ医療費を抑制するのか」)
理由として、
・税率に比例して税収が増えるとは限らない
・生活必需品の税軽減措置が必要になる
・法人税率の引き下げによる税収の減少は考慮していな い
等を挙げている。
日本経済を停滞させているのは、医療、介護等、国民が必要としている分野での人的・財政的な不足といった、受給ギャップの存在なのだという。
このあたりは、我々医療従事者も大いに納得できるところである。問題は、「消費税率を上げずに医療費を増やす」という相反する事柄を両立させるには、どうしたらいいか、である。
◆公的医療保険はだめなのか
野口氏はまた、アメリカやヨーロッパと比較し、「日本の医療費は高くはない」とも言っている。医療費自体にはもっと投資すべきだと主張する一方で、公的保険を充実させるべきだとは言っていない。それどころか、公的保険の弊害を指摘する。
「公的保険の下では、たとえ需要があっても財政的理由から供給が低く抑えられ、質的にも量的にも需要を満たすことができない」「医療以外の分野でも、公的主体が関与する社会保障制度の枠内でサービスが供給されると、需要があっても、供給が制度的に制限されることになる」とし、端的な例として介護サービスの問題点を挙げている。 「有効求人倍率が1%を超えているのに介護従事者が確保できないのは、介護従事者の賃金が低く抑えられているため。本来介護に投入されるべき人材、資源がこの分野に投入されていない。これは内需を減少させるという意味でも問題」と指摘している。つまり、需要に対する供給側のシフトが必要ということである。
たしかに、歴史上でも明治維新の際、「武士の商法」の比喩に代表されるように、士から農工商へのシフトがあったし、高度成長期に第1次産業から第2次、第3次産業への大規模な流れがあったことは事実である。
◆民間医療保険の落とし穴
民間保険が主体になれば、需要に対する供給はよりスムーズに行え、無駄に対するチェック機構も有効に機能するとしている。野口氏の言うように、利潤を重視する民間保険の下では、チェックが厳しくなり、無駄もなくなるかもしれない。しかし同時に供給体制にも過剰に厳密なチェックが入り、結果として必要な供給が行われない事態も起こるはずである。公的保険に比べ、当然、供給の単価が上昇するであろうし、保険料の上昇にもつながる。
今でさえ、自己負担金を払えない、あるいは重くのしかかっている要介護者や家族は多い。利潤を上げなくてはならない民間保険が、公的保険より少ない保険料や利用料で、十分なサービスを提供できるとはとても思えない。
野口氏の主張は、つまるところ、福祉国家ではなく、民間保険主体のアメリカの制度を目指しているといえよう。映画「ジョンQ」や「シッコ」での、アメリカの医療の悲惨な現実をどう捉えているのだろうか。民間保険が主体になったのちに公的保険を整備することがいかに困難か、アメリカのオバマ政権の試みが貴重な教訓となろう。経済学者に任せず、医療現場の声をもとに考えなくてはならないことを実感した。
◆増税に頼らず
公的保険を充実させ、同時に社会保障の場に雇用を創出し、産業を活性化させ、結果的に国民の生活を豊かにする―これらの両立は不可能なことなのだろうか。
たとえば、日本が得意とする自動車産業や、ロボット技術を生かした医療福祉関連機器の開発と人的サービスとは、決して矛盾しないはずである。
増税に頼ることなく、誰でもどこでも保険証1枚で受診可能な我が国の健康保険、国民皆保険を守り、さらに充実させることは本当に不可能なことだろうか。
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社会保障分野に限らず、この国が深刻なのは、政府の無策にある。災害時の医療についても、心身ともに疲弊している被災者に対し、憲法第25条に明記されている生存権を擁護する具体策がない。少子化にも関わらず、就職難で、若い労働力を生かせていないことにも、対策を打ち出せない。これこそが、需給ギャップの最たるものではないか。
8月14日脱稿
(副会長・清水信雄)
■群馬保険医新聞2011年9月号