産科医逮捕をめぐって 

【2007. 8月 26日】

産科医逮捕をめぐって

——医師に過失はあったのか——
                        理事 今井昭満

福島県立大野病院産婦人科医師が癒着前置胎盤の帝王切開に伴う出血多量による母体死亡に関し、一年以上を経過した今年二月に逮捕、三月十八日に起訴された。事件は多くのマスコミにとりあげられ波紋を広げている。とりわけ今回の医師逮捕が、メスを握る外科系医師にあたえたショックは大きく、このような症例で逮捕されるのではメスをとることができないとコメントしている医師も多数にのぼっている。 すでに日本産婦人科学会、日本産婦人科医会、全国多数の産婦人科関係団体や医師が、逮捕の不当性について抗議声明を発表している。これが医療事故であったという地検の言い分は、
○癒着した胎盤を無理に剥離しようとして出血多量を招いた
○出血多量に対する準備(輸血)が充分でなかった
○死亡後、事故として警察に届け出なかったこととされている。
 果たして、「医師に過失があった」と言うことができるのだろうか。術前二回にわたって、本人と夫に説明していること、出血多量になる可能性についても言及し、マンパワーの整備された病院への転院もすすめたが、病院が遠方になることから本人が転院を望まなかったという。また輸血の準備もしており、説明責任と準備に関しては、充分配慮していたわけである。家族は術中の出血等の説明が充分でなかったことに不満を表明しているが、出産や術中に突発性の事態が生じたとき、家族に説明するために手術現場を離れるなど不可能なことが時として起こる。不安に思っている家族に説明したいが、それより患者を救命するために全身全霊であたらなければならないこともある。たくさんの手術症例のなかには、医師や医療スタッフの最善の努力にもかかわらず、救命できない症例が出てしまうことは可能性として常にあり、結果が悪ければ、すべて医師や病院にミスがあった医療事故として扱われるのは、正しい判断ではないと考える。 不可抗力は常に存在するということを、医師はもちろん、患者や家族も認識し、ことにあたるという気持ちが大切である。
 なぜ一年経っての逮捕

もう一つの疑問点は、事件が生じてから一年以上たって医師が逮捕されたことだ。はたして、今ごろになって逮捕する必要があったのだろうか。 警察は証拠隠滅のおそれがあったためと説明しているが、一年以上もたって逮捕する理由としては説得力に乏しい。おりしも、政府は多発する医療事故を減少させるため、従来任意でおこなってきた病院等の立ち入りを強制的にできるようにする医師法改正を打ち出した。〇七年度から導入する方針というが、これとタイミングをあわせた逮捕劇とみるのは考えすぎであろうか。いずれにせよ、今回、不幸な転帰をとったご本人とご家族にお悔やみを申し上げるとともに、一方で、メスをとる医師が今回の事件で萎縮することなく、患者さんの命と健康を守るために、心を集中して手術に臨まれることを望まずにはいられない。本紙・群馬保険医新聞では、すでに半年以上前から現場医師の現状や、それに対する行政サイドの意見等、産科をとりまく現状についてシリーズで掲載しているので、ぜひお読みいただきたいと思う。
※過重労働と医師不足
今回の問題を考えるとき、ここ数年間の産科医の減少問題を避けて論じることはできない。出生数の減少に伴い、少子化が問題視されて久しいが、我々産婦人科医の間では、それ以前から産科医減少が問題になっていた。しかし有効な手をうつことができず今日にいたっている。小児科医の不足はマスコミでも大々的にとりあげてきたが、産科医はいつも蚊帳の外で、話題になるとすればほとんどが医療事故である。小児科の場合、開業で夜間も診療している医師は少ない。夜間は小児科医のいる比較的大きな病院に患者が殺到することが問題になっている。一方産科では、開業医でもお産を取り扱っていれば二十四時間体制である。患者が特定の大きな病院に集中しないのは、病院の陰で産科開業医が支えているからである。産科医の過重労働(当直をして眠れなくても、翌日一日勤務があり、しかも夜まで働きづめである)が産婦人科を希望する新人医師の減少を招いた。それを考えれば、二十年前から対策が真剣に考えられるべきであった。それを放置しつづけたツケがここ数年ついに顕在化したのである。
現に当県においても、産婦人科医師の大学引き上げにより、産科のとりやめや産婦人科の閉鎖を余儀なくされている病院も数例出ている。また医師の大都市集中傾向も全国的に進んでいる。
※中核病院の一人医長
お産は他の疾患に比して、突発性の命にかかわるような事態がおこりやすく、このためには緊急事態に対する設備、技術を含めた産科グループとしてのマンパワーがどうしても重要になってくる。端的にいえば、産婦人科医一人だけの地域の中核病院をなくす努力が必要である。毎日新聞によれば、全国で産婦人科のある九二七病院中、一三二病院(一四%)が一人医長である。また、開業産科診療所においても、緊急時の地域中核病院との日常的な連携や、開業診療所同士のネットワークづくりが重要である。行政においては、全県的視野に立った機構の構築と、実際にそれを充分機能的に生かすことができるハードとソフト両面の有機的な連携について指導力を発揮していただきたい。
※産科医を増やす
現状を打開するためには、とにかく産婦人科医を増加させることを第一に始めなければならない。これは単純に金銭的な待遇の改善で解決する問題ではない。当直を含めると三十二時間以上の連続勤務を月に十回以上おこなっている産科医も多く、これらの医師は疲労困憊している。しかも、これは複数の産婦人科医がいる病院の例で、一人医長の病院産科では、ほぼ三百六十五日、連続勤務に近い状況である。家族をかえりみる時間も少なく、産婦人科医は母子家庭とさえ言われている。また近年女性医師も多くなってきているが、このような状況の中では、結婚、妊娠、出産、育児、仕事を滞りなく実行することは物理的に無理である。
以上簡単に述べただけでも、産科医の生活の一端を想像していただけたと思う。この過酷な状況が産婦人科を志す若い医師を減少させ、医師の減少が残った医師の労働条件をますます悪化させるというデフレスパイラルが進行しているのである。いずれにしても問題の根は深く、医師、病院、行政、その他の関係者の緊密な連携の上に、産科の充実を真剣に、早急におこなわなければならない。
話は少しそれてしまったが、今回の福島の産科医逮捕はまったく不当なものであり、断固抗議し、支援の輪をひろげていくことが重要だと考えている。

(今井産婦人科内科医院)

■群馬保険医新聞 2006年 四月号