【老いの周辺】自分の意思で最期を決める

【2008. 9月 19日】

【老いの周辺】

  自分の意思で最期を決める

      前橋市 湯浅高行

 人間は、死を約束された存在です。還暦くらいまで健康に過ごしたとしても、年齢相応に皮膚はたるみ、顔にしみが浮き出て、もの忘れも多くなり、老化の兆しは歴然となります。内臓も同じような老化が発生してくるでしょう。薄くなった髪やこぼれ落ちた歯をもとに戻すことができないのと同様に、老化した内臓を元気にする医療などありません。
 左様なことで、「がん告知」や終末期医療について、家族と折々に話し合うことが重要になってきました。残された時間はかけがえのないものです。
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「『死』を予約する」人が今増えていると聞きます。「安らかに、人間らしく死ぬために、いたずらに死期を引き延ばす延命措置を断る」といった内容の文書を誰かに託したりする人が増えているようです。日本尊厳死協会(東京都文京区)では、こうした内容の「リビング・ウィル(生前の意思表示)」を協会に預託する会員が12万人に迫っているとのこと。
 ただ臨床の現場では、ここからは「延命」と明確に区別できるとは限りません。患者の意思の確認や、どれほど死期が迫っているか、どのように延命措置を中止するかなど、さまざまな判断を客観的に正しく行う上で難しい問題が多いのです。医師が殺人罪に問われるかもしれないなどと気にしていては、正しい判断はできません。
 今、厚労省の検討会が「複数の医師らによる判定」を柱に指針づくりを進めていますが、一歩踏み込んで、法律で裏づけをする必要があるように思います。
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日本の場合、患者個人だけでなく「家族の意向」も医療の中でどう位置づけるかが問題となります。患者本人が延命措置を望んでいなくても、意識がなくなったあと、家族が治療の継続を望めば医師も「延命」を中止できない空気があります。
 こうした家族関係について、日本尊厳死協会の高井正文事務局長は、「日本人は『個人』についての意識が『個』が確立している欧米と違うためではないか」と分析しています。
 いずれにしても今後、治療方針の決定に患者本人の判断が求められることが多くなってくるでしょう。「専門分野なので、すべて先生にお任せします」では、すまなくなります。だから、自分の病気について正しい知識を持ち、その治療にも積極的にかかわっていく時代になりました。そして、普段から家族と「がん告知」や「延命措置」について話し合い、いざという時を想定しておくべきでしょう。病気の治療であっても、自己責任、危機管理は重要なキーワードになりました。
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 たとえ、どんなに科学が進歩して生物としての寿命が延びたとしても、人間の命はついえる運命にあります。この現実にどのように向き合うかということで、人間の一生はずいぶん変わってくると思うのです。(湯浅歯科医院・本欄副座長)

■群馬保険医新聞2008年9月号