【診察室】認知症の人とのコミュニケーション術  

【2008. 10月 20日】

 認知症の人とのコミュニケーション術          

                  群馬大学医学部保健学科 山口晴保

 群馬県歯科医師会で障害者の歯科治療に取り組んでいる先生方から「コミュニケーションをとりにくい方への対応」という講演を依頼されました。本稿では、この講演内容を元に、認知症の方の診療に役立つコミュニケーション術を紹介します。

 ◎アルツハイマーらしさを読み取る
 医療は人間が人間に関わる仕事です。そこには必ず双方向コミュニケーションが存在します。認知症の人が発するメッセージを的確に読み取り(理解し)、それに対する応答メッセージを発する。それに対してまた相手が反応するという循環が双方向コミュニケーションです。自己脳と他者脳との間のピンポンです。
 外来に認知症のおばあさんが娘に連れられてきた場面設定で、認知症の人の発するサインを解説します。
 まずは医師が「何か困ることはありませんか?」と尋ねるのですが、「何にもねーよ」と素っ気ない返事が返ってきます。次に医師が「お年は幾つですか?」と訊くと、「なっからいい年だいねー」などと具体性のない答が返ってきます。医師が「食事の準備はどなたがするのですか?」と訊くと、「オレがするよー」と答えるのですが、娘は後ろで首を振って否定しています。医師が「食事のおかずはどんなものを作りますか?」と尋ねると、「あるもんでなんでも作らい」と答え、具体的なおかずの名前は出てきません。
 この短いやりとりの中に、少し進行したアルツハイマー病を疑わせる徴候がたくさん出てきます。
 ①娘が困って診察に連れてきた現実と、本人が「困ることはない」と話す生活状況の乖離が大きいこと、病識のなさや取り繕いが特徴です。
 ②自分の年齢がわからなくなると初期よりも少し進んでいます。さらに進むと、若返っていきます。娘が姉になったりと。
 ③実際には実行機能障害(メニューを作り、段取りを考えて調理の作業を実行することの困難)があって、実生活では調理していないのに、「している」とためらいなく笑顔で答える点がアルツハイマー病らしさです。脳血管性認知症では、自分が料理できなくなったことを悲観的に訴えます。
 ④質問に対して、具体的な名称が出てこなくて、代わりに一般的な答えで取り繕うのが特徴です。おかずの場合、「主人は何でも食べる」とか、「好きなもん食べてるよー」とか、気の利いた答えが返ってくるのですが、卵焼きや野菜炒めなど具体的な答えは返ってきません。困った生活の現状と、笑顔で病識が無いように振る舞う本人の態度のギャップがアルツハイマー病らしさです。

 ◎アルツハイマー病の主症状
 本人への問診中は家族が口を挟まないように、そして本人の問診が終わったら外に出てもらい、家族からは本人の居ないところで生活状況を聞きましょう。
 アルツハイマー病初期では、「お年は幾つですか?」と訊くと「84だっけ」と少し自信なさげに答えながら娘の方を振り向いて確認を求める振り向き徴候(首振り)が現れます。
 アルツハイマー病の主症状は、出来事記憶の障害です。この記憶障害には再認不能という特徴があります。例えば伝言を伝え忘れたとき、年相応の記憶障害であれば、「伝言あったでしょ、何で言ってくれなかったの」と伝え忘れを指摘された途端、ハッと思い出して「ごめん、忘れていた」と謝れます。ところがアルツハイマー病になると「オレはそんな話は聞いていない! 何を言うんだ」と怒り出します。指摘されても思い出せない、つまり再認できない点が病的な記憶障害です。
 実生活では「同じことを何度も繰り返して訊く」という症状が現れ、家族が診察に連れてきます。家族が変に思って外来に連れてきたときは8割の方で認知症が始まっています。「歳だよ」で済ませないで、きちんと生活状況を把握し、診断して下さい。
 認知症の定義は、認知機能障害により、生活が困難になった状態です。認知機能だけでなく、お金の管理ができるか、内服薬の管理ができるか、一人で外来に来られるか、などの生活能力の評価が大切です。一方、本人が記憶障害を訴えて自ら外来に来たときには、8割が認知症ではありません。でも、認知症の一歩手前の軽度認知障害(記憶など認知機能が低下してきているが、生活状況は保たれ認知症ではない状態)の方は多く含まれていますので、運動や食事などの生活指導が大切です。認知症の早期診断や予防について、詳しくは小著「認知症予防:読めば納得! 脳を守るライフスタイルの秘訣」(協同医書出版)をお読みください。

 ◎対応の基本:共感と気づき
 認知症になると、記憶障害や見当識障害、実行機能障害により、日々の生活が失敗ばかりになります。病識のなさを書きましたが、これは他人の前で見せる態度です。独りになると「困った、困った」とつぶやいています。何か困ることはありませんかと尋ねると「何もありません」との答が返ってきて、他人の前では精一杯取り繕う姿の裏には、本人の悲しみが隠れています。また、財布が出てこなくなったとき、自分がしまい忘れたと考えないで「嫁が盗った」と言い出すのも、自分の能力喪失を受け入れ難く、責任を他人に転嫁することで心の平安を得る自我の防衛機制だと考えられます。このようなとき、財布が出てくれば問題が解決するわけではありません。本人の寂しさに対するケアが根本的な対応法となります。
 認知症の方は、認知障害という大きな負担を抱えて精一杯生きています。コミュニケーションは単に言葉の内容ではなく、それが発せられた状況、声の大きさや高さ、表情や身振り、間といった非言語要素を瞬時に判断して対応する複雑な作業ですが、たとえ認知症になっても、非言語要素から感情を読み取る能力はよく保たれています。
 言葉には、その人の心が知らないうちに現れます。常に相手を慈しむ心や敬う心を持っていないと、非言語の部分にそれが現れ、相手に読み取られてしまいます。
 非言語のチカラ恐るべし! 優しい心と笑顔には、相手からも優しい心と笑顔が返ってきます。
気づきには知識が必要です。どんなサインがあるかなとアンテナを張っていないと見過ごしてしまいます。本稿に示した認知障害のサインや対応法をもっと深く理解するには、小著「認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント:快一徹! 脳活性化リハビリテーションで進行を防ごう」(協同医書出版)がお役に立つと思います。

■群馬保険医新聞2008年10月号