日本社会はどこへ行こうとしているのか。戦後の繁栄が過去のものとなり、さらには平和すら手放そうとしているのではないだろうか。近年日本は、米国流の格差社会に追いつけ追い越せといわんばかりの情勢だ。日本社会がかろうじて残してきたものが壊されているように思えてならない。
戦後の日本は、良くも悪くも質素な日本であったが、そこには戦争が終わったという解放感があった。空襲で防空壕に逃げなくてもよくなったという喜びは、たびたび母に聞かされた。あの感覚が日本では次第に薄れているのは仕方ないこととしても、敗戦直後に日本人が真剣に議論したことがゼロになりつつあるように思える。
安倍首相の靖国神社参拝から4ヵ月。この間に日本の孤立が深まった。なぜここまで孤立してしまったのだろうか。先の戦争について、アジア諸国に心から謝罪するという覚悟を持っていないからではないだろうか。
日本が東アジア諸国と安定した関係を築くには、第2次世界大戦の誤りを認め、謝罪をしていく以外に道はないと思う。これは戦後の世界秩序の中では、動かせない原則だ。ところが、日本が本当の意味で東アジア諸国に謝罪したと言えるのは、従軍慰安婦に関する1993年の河野官房長官談話、侵略戦争をしたと認めた1995年の村山首相談話と、それを継承した2005年の小泉首相談話くらいだろう。これらに対して近年、政治家がくり返し疑問や反発の声をあげて、これまで築いてきた信頼関係を崩してしまったのではないだろうか。
自らが生きる東アジアで良好な関係を築けない以上、米国との関係に依存するしかない。それゆえに米国に「失望した」と言われてからは、世界の中で孤立してしまう。日本は自問自答をくり返しつつ、米国従属から一歩踏み出そうとしているのだろうか。米国を中心とした考え方が良いとは思えないが、大国の制止も気にしないような空気も漂いつつある。それは危惧すべきことだ。
しからばなぜ、日本は謝れないのか。敗戦の事実から逃げてきたからか。敗戦で日本が背負った「2つのねじれ」に正面から向き合ってこなかったからだろう。
戦争は通常、国益のぶつかり合いから生じるもので「どちらが正しいか」という問題は発生しない。しかし、先の戦争はグループ間の戦争で、「民主主義対ファシズム」という思想同士の争いでもあった。民主主義の価値を信じる限り、「日本は間違った悪い戦争をした」のは事実だろう。
しかしながら、たとえ間違った戦争であっても、当時これを正しいと信じて戦って死んでいった同胞を哀悼したい、という気持ちは自然である。それまでを否定しては、人間のつながりも成り立たない。「悪い戦争を戦って亡くなった日本国民をどのように追悼するのか」という、かつてなかった大きな課題に私たちは直面したが、その解決策をいまだに見いだせないでいる。
次のねじれは憲法だ。現行の憲法は明らかに米国からの押しつけで作られた。国民にとって良くない憲法なら作り直せばいいが、実はその内容はすばらしい。押し付けられたこの憲法をよくよく見直し、自分たちのものにするか。リベラルな政治家たちもこの難題に向き合うのを避けてきた。それゆえ、憲法が政治の根幹として機能しないのではなかろうか。
これらのねじれはいずれも、現在の課題と直結している。第1のねじれは、靖国神社参拝、第2のねじれは集団的自衛権をめぐる憲法解釈の見直し、それに加えて従軍慰安婦問題だ。
つきなみな言い方になるが、根本は「苦しんだ人に心底から寄り添う心情を持てるか」「それを相手に届くように示せるか」だろう。人も国もそれができなかったら、信頼を失い、孤立するしかない。理屈もこの深い心の上に立たなければ意味をなさない。
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このような難しい日本社会の中で、今の若者は「戦争を知らない子どもたち」ではなく、「戦後を知らない子どもたち」だ。戦後を知らないし、バブルの頃すら知らない世代だ。自分たちに戦後民主主義と繁栄の恩恵がもたらされているとは感じられないのだと思う。細川護熙さんは、都知事選立候補の会見で、「腹八分目の豊かさでよしとする成熟社会を」と語った。就職できない若い人たちはこれをどう感じただろうか。細川さんの考えが間違っているとは思わないが、でも、その言葉が届いてはいない。
戦後の繁栄と平和はすでに過去のものである。そんな覚悟から始めなければ、日本の新たな希望は生まれてこない。
(広報部 湯浅高行)
■群馬保険医新聞2014年5月号