今、日本は岐路に立たされている。日本は戦争をする国になってしまうのか。
安部政権が長く続けば続くほど、その可能性は高まると言わざるをえない。
安部政権は、解釈憲法による集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。日本人の平和への決意を表した憲法9条を空文化し、自衛隊が国内外で武力行使できる道筋をつけようとしている。集団的自衛権の行使を認めるということは、現在の憲法がよって立ってきた平和への国民の決意を、武器をとって戦争するという決意に変えるということを意味する。これからの国と国民の運命をも変えかねない憲法上の解釈変更を、閣議決定ひとつで行うとは、まさに驚くべき発想だ。
戦後の日本が憲法に掲げてきた3つの基本原理である平和主義・国民主権・基本的人権の尊重の「平和主義」に取り返しのつかないインパクトを与える。
「集団的自衛権の行使ができない」ということは、憲法9条と自衛隊の関係や日本の平和主義をめぐり、これまで政治家が真剣な議論を繰り返す中で定着してきた憲法解釈であり、70年近く続いた日本の戦後を支えてきた基本的な考え方である。
日本の平和主義は、先の太平洋戦争における300万人を超える国民の、さらに交戦した相手国の膨大な数の人命の犠牲の上に、その反省に基づいて成り立っている。尊いかけがえのない命が、当時の政治の愚かさゆえに失われた。日本人は、沖縄の地上戦、広島と長崎の原爆、東京をはじめとする各地の大空襲などの惨劇を経験し、こうした無残な悲劇を経て、戦争だけは絶対に二度としてはいけないと決意し、平和主義を心に刻み込んできた。
戦後70年が経とうとする中、平和への国民の決意の重みを知らない政治家が増え、そうした人たちが、戦後の国の形を変えようとしている。70年前に決意した平和主義を、正反対のものに塗り替えようとしている。これほど重要な問題を、平和の党の党是をかなぐり捨てた公明党をとりこみ、わずか19人の閣僚だけで決めていいはずがない。国会で慎重かつ徹底的な議論を行うべきであり、国民一人ひとりの意思を確かめるために、国民投票、衆議院解散して真を問うべきである。
日本は、敗戦を終戦と言い換えることで敗戦を否認し、戦前の支配層が戦後の統治者として居残った。東西冷戦中、米国の保護下で経済発展を謳歌できたことで、国民の思考は停止し、いくつものタブーを棚上げにしてきた。平和憲法と非核三原則を掲げた唯一の被爆国という建前を守る一方で、米軍による核兵器の持ち込みは見逃した。自衛隊創設からイラク派兵まで、憲法解釈の変更によるつじつま合わせの繰り返しを受け入れてきた。立憲主義に反する解釈変更によるつじつま合わせは、戦後の保守政治の王道だった。自衛権、専守防衛で止めておいたのが、今回の閣議決定でどこまで拡大するのか。戦争のできる国になってしまうのだけは、絶対に避けなければならない。
(広報部 深井尚武)
■群馬保険医新聞2014年7月号