どうなってるの?海外の医療保険制度
長沼誠一(伊勢崎市・長沼内科クリニック)
1 アメリカ
環太平洋経済連携協定(TPP)へ日本が加入すると、アメリカの医療が持ち込まれるおそれがあると言われている。しかし、アメリカ医療の実情を知っている人は少なく、現在アメリカで争点になっている、オバマの医療保険制度改革(オバマケア)についても、何が問題なのかわかりにくい。
TPPに加入するとどうなるか。すでに米韓自由貿易協定(FTA)に加入した韓国の医療保険制度を調べた記事を、本紙7月号に掲載した。原稿を書くために、たくさんの資料を荒読みし、細かい点も調べていくと、いろいろな事実が見えてきた。日本の医療保険制度を守るためのヒントは、海外の制度の長所、短所を知ることにもありそうだ。数回にわたり、海外のいくつかの国の医療保険制度についてみていきたい。
●国民医療費のGDP比率
国民医療費と国内総生産(GDP)の比率は国により大きく異なり、民間医療保険中心のアメリカは2010年に17・6%と世界一であり、国民皆保険制度をとる日本9・5%、韓国7・1%に比べてはるかに高い。
アメリカの社会保障、医療などの福祉分野への政府支出は国費の52%であり、強大な軍事費の18%よりはるかに多い。これは日本の福祉分野への政府支出25%より多いにもかかわらず、その効果は少なく、平均寿命は日本より5年短い。
●アメリカの医療保険の歴史
アメリカの医療保険の始まりは、1930年代のアメリカ病院協会ブルークロス、1940年代のアメリカ医師協会ブルーシールドである。これらは、安定収入を目指す医療提供者側の動機により、州単位の地域で行われた。その後、労働者確保のために医療保険を提供する雇用主が増加し、職場をベースとした病院保険への集団加入がひろまった。そこに商業的保険会社が進出し、地域単位の保険ではなく、リスクによるグループ別に保険料を提示するようになった。
この流れに既存のブルークロスなども追随せざるを得なくなり、被保険者間の再分配の仕組みが弱まり、リスクの高い老人や病人にとって、医療保険は手の届かないものになっていった。
●メディケアとメディケイドの導入
職域医療保険に入れない老人や貧困層は、医療保険の恩恵を受けられないという問題が生じ、1965年に65才以上の高齢者のためのメディケアと、貧困層のためのメディケイドが導入された。
2007年時点のアメリカの人口3億人に対して、連邦政府が運営するメディケアは4100万人(人口比14%)、州政府が運営するメディケイドは4000万人(13%)が加入している。現役世代の大半は任意加入の民間医療保険となり、これが2億人(67%)で、そのうち民間企業拠出の医療保険加入者が1億7700万人(59%)だが、それに入れない中小企業の従業員や自営業者などは、高い自己負担を払って、民間医療保険に加入するが、その数は2700万人(9%)と多くない。
また、メディケアの加入者は、メディケイドや民間医療保険に重複して加入している場合もある。ここで問題なのが、メディケイドに入れるほど所得は低くはないが、民間保険に入れるほど所得が高くない無保険者たちで、その数は4600万人(15%)にもなり、この解消がオバマケアの目的でもある。
●メディケアの実情
メディケアは、65才以上の高齢者、障がい者等が対象で、連邦政府が運営し、その支払い対象と財源は次のようだ。
・パートA
支払い対象…病院
財源…雇用主と被用者から支払われる社会保障税
・パートB
支払い対象…医師
財源…連邦税と加入者の保険料
しかし、実際の医療費に対して、メディケアの給付だけでは不足するメディギャップという問題があり、1997年に均衡予算法、2003年にメディケア現代化法ができて、次の二つが追加された。
・パートC
メディケアでカバーされない部分を補う私的医療保険を購入する保険料補助
・パートD
支払い対象…処方薬
財源…連邦税と加入者の保険料
この変更後の2006年でも、メディケアは平均的受給者の医療費の48%しかカバーできず、多くの人がメディギャッププランという私的医療保険を追加購入しているのが実状だ。
私が2005年にユタ州へパラグライダーツアーに行った際、30数年前に仕事等でお世話になったアメリカ人の元エンジニアを訪ねた。当時70才だった彼は、パーキンソン病で治療中で、診察は年1回が保険で無料だが、薬は3ヵ月毎に約10万円を全額自己負担で支払うと言っていた。アメリカの大企業に勤めていた彼でも、パートBによる診察が年に1回では、病状の変化をみるのは難しいだろうし、薬代が全額自己負担なのは大変で、2006年のパートD施行前のためだった。
●メディケイド
メディケイドは貧困層のために州政府が運営し、連邦政府のガイドラインによるが、州毎に医療範囲が異なる。
しかし、この受給対象者の基準は、連邦政府の貧困ライン(単身で年約1万ドル)の60%以下と対象者は制限される。保険料支払いや自己負担額はないが、受けられる医療は、病院や診療内容なども制限されたものになる。
●民間医療保険は自動車の任意保険並
一番多くの人が加入している民間医療保険は、保険料や加入者の病歴などにより、その適用範囲が異なる。加入に際しては、医療費支払いの免責額や、年間または生涯の支払い上限額、医科以外に歯科、眼科も含めるか等を選択し、今までどんな病気をしたかなどのリスクにより、保険料が決まる。
これはちょうど、日本の自動車任意保険と同じ仕組みのようで、対人、対物、同乗者、車両の保障をいくらにするか、免責額はどのくらいか、過去に事故をどのくらい起こしているか、細かく書類に書くのと同じだ。
この保険料が、会社の補助のない個人の場合、家族で年間1万ドル以上にもなるようで安くない。保険料を増やせば、かかれる範囲は増えるが、保険料を減らせば(低保険)、免責額が高くなり、保険の意味をなさなくなる。
自動車保険なら事故率の高い人は保険料が高くなるので車の運転をあきらめればいいが、医療保険で持病のある人は保険に入りにくくなり、人生をあきらめればいいのか。
オバマケアでは、保険会社は契約前の健康状態で契約を拒否してはいけない事になったが、その分だけ保険料が上がることになる。民間の医療保険で満足している、健康に問題のない多数派には、この辺が反対理由にもなっている。
医療保険では、例外的な負担は個人ではなく全体で支えるというのが日本や欧州の考えだ。しかし、自己責任をいうアメリカでは、医療も非情なことになってしまう。
●医療費増加と抑制策
オバマケアには、医療費の抑制策も入っているが、それはずっと以前から行われていた。
メディケアが始まった1965年は、対象者1500万人、医療費34億ドルであったが、1980年代の医療費は年率15%の高い伸びを示し、 1995年には対象者3500万人、医療費2000億ドルまで膨れ上がった。メディケアによる政府の負担を抑えようと、医療費抑制策が次から次へととられたが効果は限定的で、医療費高騰は、保険料の高騰と保険加入者の減少という悪循環をもたらした。アメリカは本来、自由診療出来高制であったが、現在それが可能なのは高所得者向けの一部の保険に限られている。
●保険者による制限医療
マネージドケア
医療コストを減らすために取り入れられたのが、マネージドケアという医療へのアクセスおよび医療サービスの内容を制限する制度である。この制度では、医師の意見はあくまで参考にすぎず、保険会社が医療の内容の決定権を持ち、医療費を管理する。患者は医師や病院を自分で自由に選ぶことが出来ず、保険会社が指定した医師にかからなければならない。ここで指定されるのは一般内科医あるいは家庭医で、プライマリケア医として初期治療にあたり、自分の力で診療可能な範囲はそのまま治療し、必要に応じて専門医を紹介する。しかし、診療費が高い専門医への紹介は抑えた方が、プライマリケア医の収入が増えるシステムのため、紹介は出来る限り抑える傾向にあり、ゲートキーパー(門番)医ともいわれている。
医療コストを減らすために取り入れられたマネージドケアの代表的なものが次の様である。
【DRG/PPS 診断群別包括支払い方式】
病院への支払方式であり、診断群別に、医療費をインフレ率、新技術導入等を考慮して、一括して払うものだが、保険側が決めた支払総額に左右されるため、医療費を減らそうという流れの中では、この制度導入により、入院日数が減少し、公共病院の病床数も減少した。
【RBRVS 医師支払い包括支払い方式】
開業医である医師への支払方式で、仕事量、診療経費、訴訟保険料、地域性などを元に決められ、家庭医にあつく、専門医の評価は低く設定されている。
【HMO 集団保険による制限診療】
医師や病院を指定し、患者を提供する代償として、DRGやPBRVSの80%を支払う方式や一人いくらで契約人数分を年間一括で払う方式等がある。医療規制として診療ガイドラインがあり、手術は全て許可制で、公認されていない術式は支払いが拒否される。入院日数はDRGよりも制限がきつく、患者は自分の保険でかかれる医師、病院のリストの中から選ぶことが要求され、選択権が制限される代わりに医療費の割引が受けられる。
●アメリカの開業医と病院勤務医
アメリカでは、病院は開業医が自分の患者を入院させ、治療する場所であり、開業医は外来診療の合間に病院に出かけ、診療を行うオープンシステムが普通である。診療を行う医師は病院の組織外に位置し、勤務医として病院に雇用されているのは、放射線科医、病理医、ERで働く救急医、レジデントと呼ばれる研修医など、ごくわずかで、日本とは大きな違いがある。
アメリカの診療所では、単なる診察室しかない場合も多く、X線やCT、MRIなどの診断用検査は多くの場合、外来専門の施設や病院で行われる。病院に近接したビルの中に複数の開業医が事務や看護師をスタッフとして共有していることもある。
●日帰り手術と入院日数減
アメリカでは多くの医療が入院せずに行われ、日帰り手術専門のセンターが増加している。専門医は自分のオフィスで診察した患者の手術を、こうしたセンターで行う。具体的な日帰り手術名としては、扁桃摘出術、ヘルニア手術、腹腔鏡による胆嚢摘出術、白内障などがある。
これはマネージドケアによる医療費削減に伴って、外来手術の増加や入院日数の短縮化が図られているためであり、予想された一定の入院日数で、病気が治るという訳ではない。入院費は一日あたり10万円以上、時に100万円以上と高額になることもめずらしくなく、入院せずに病院の隣りのホテルに泊まって、外来にかかり、医療費を節約することもある。
●医療費増の要因 ふっかけ請求
民間の医療保険では、保険会社からの値引き圧力が常にかかるため、医療機関は予め高い額を請求して、それを値引きするような傾向がみられる。病院の患者、保険会社への請求額は、1980年頃の原価の120%から、2000年では200%、2007年で280%と増えた。
アメリカ在住の医師のブログでは、自身が2007年に8日間入院した際の医療費請求額が5万5000ドルだったが、加入している保険会社の査定により、9000ドルまで84%値引きされ、自己負担3000ドルの支払いで済んだとあった。アメリカでは治療費は医師や病院の言い値で請求されることが多く、患者の足もとをみて、高値をふっかけたり値引いたりすることがあるのだ。
保険会社の役割の一つに、病院や医師と交渉して出来るだけ医療費を安くすることがある。映画「シッコ」で、指を切断し、接合費として、中指6万ドル、薬指1・2万ドルを請求され、中指をあきらめた話があったが、きっと無保険で守ってもらえなかったのだろう。
ところが、このように高額な請求をしている医療機関が儲けを増やし、経営がいいかというとそうともいえない。保険会社の許可する入院日数がどんどん短くなるため、ベッドは空きが増えて収入が減り、病院、病床数は減少している。
●株式会社病院の儲け主義
アメリカの株式会社病院の数は、全体の10%程度だが、その実態はおそろしい。
テネット社という病院チェーンは、売り上げ1兆7千億円、利益1200億円だが、その手口は次の様だ。 地域の競争相手の病院を買収して強引な寡占化をし、競争相手がいなくなると非営利病院の何倍もの医療費をとった。看護師を減らして、看護助手にして人件費を減らし、不採算部門は閉鎖し、病院ぐるみで不正請求をした。この会社を作った最高責任者(CEO)は、自社株で100億円以上の莫大な利益を得た。
地域にサービスの質を落としても利潤を追求する医療企業が参入すると、質を保っていた病院もそのままでは競争に負けてしまい、潰されてしまう。すると質を保っていた病院も質を落とし、利潤を追求することになり悪循環だ。
●保険の事務のコスト
民間医療保険は、加入する際に、保険の範囲や免責額、告知事項など多くの項目へ記載が必要であり、歯科、眼科はオプションが普通である。支払いの際も、どこまで保険が有効で、免責額がいくらかなど、その事務は煩雑を極める。入院した際の請求は、病院、医師、放射線技師、救急車などから別々に患者や保険会社に届き、年間免責額、生涯免責額などの計算により、自己負担分が決まる。その請求書が何ヵ月も遅れて届いたりすると計算が変わることもあり患者は大変だ。
アメリカの800床のMGH総合病院の医療請求の事務員が350人に対し、公的医療の同規模のカナダの病院では10人ですむという。そういう意味では、日本のような全国一律の公定価格の効率性をアメリカに教えてあげたいものだ。
●弁護士保険
アメリカでは医療裁判が多く、医師は収入の1~2割を裁判用の保険料に払うのが普通だ。医師は医療ミス裁判に備えて、念のための検査を勧める。これをプリベンティブメディスン(予防医療)というが、病気を予防するのでなく、裁判を予防するという意味だ。しかし、この検査料も高額なため、医療費を引き上げる。
アメリカの弁護士(日本でいう司法書士なども含むようだが)90万人は、医療裁判での収入に依存する面もあるようだ。日本の弁護士も3万人で過剰といわれるが、医療裁判が増えると医療費増の要因になり得るかもしれない。
●まとめ
アメリカの医療は、民間の医療保険が中心で、その事務処理には膨大な無駄があり、保険料の多くは保険会社の事務費と利益に化けてしまう。その額は、保険収入の30%以上にもなるようだ。株式会社病院の営利主義は強欲で、医療機関は悪徳商人のような商習慣が常態化し、医療内容とは関係のないところで医療費だけが増加するような事態が起きている。医師への裁量や患者の受診には制限が多く、患者負担は貧しい人ほど高いという逆進性がわかった。
全て裏返してみると、日本の医療の良さを再認識したともいえる。そういう意味で、TPPを契機とした、混合診療、民間医療保険などのアメリカ医療の導入には、反対していく必要があるだろう。
■群馬保険医新聞2013年11月号、12月号