<保険医新聞> どうなってるの?海外の医療保険制度◇イギリス◇

【2014. 8月 15日】

どうなってるの?海外の医療保険制度

長沼誠一(伊勢崎市・長沼内科クリニック)


2 イギリス

 環太平洋経済連携協定(TPP)へ加入すると日本の医療にどんな影響が及ぶのか、参考になればと思い、昨年7月号に米韓自由貿易協定(FTA)に加入した韓国の医療制度(混合診療有りの国民皆保険)を報告した。また、昨年11、12月号では、民間保険中心のアメリカの医療制度を報告したが、これら海外の医療制度との比較で、日本の医療制度の長所、短所がよりよくわかる。
 今回は、税金等で運営し、基本的な医療は無料というイギリスの医療制度を調べた。カナダ、オーストラリアもイギリス連邦に属し、同じような医療制度をもっている。

●イギリス医療の歴史

 1948年に労働党内閣が発足させた国民保健サービスNational Health Service(NHS)は、「イギリスに住むすべての人は誰であれ、収入の多寡、年齢、国籍、居住する地域に関係なく、必要な医療サービスを享受できなければならない」という理念のもと、患者の自己負担がゼロで、費用はすべて税金でカバーされるという画期的なものであった。それ以前、医療はお金に余裕のある人たちだけが享受できる贅沢という側面があり、万人に開かれてはいなかった。現在もNHSサービスを受ける権利は、税の支払いや国籍とは無関係に、外国人を含め、英国に6ヶ月以上滞在資格のある居住者に付与されている。
 この理想的な高度福祉社会は「揺りかごから墓場まで」と形容されたが、理想的な社会は理想どおりには機能しなかった。新しい医療技術の開発にともなう医療費の高騰は政府の当初の予想を超え、大きな問題となり、予算の追加投資を再三必要とした。医療サービスを受けるための悪名高い待機リストは、NHSの発足した翌年の1949年から既に存在していた。
 保守党内閣のもとに1952年には処方箋料が導入され、一部有料化が実施される一方で、医療費支出を抑えようとする試みが行われた。 1973年のオイル・ショック以降の経済停滞、1982年のフォークランド戦争後の財政難は、医療サービスへの決定的な投資不足をまねき、国の経済不振を背景にしたサッチャー政権下での保守党の強硬な医療費支出削減政策がNHSの医療サービス低下につながった。1983年の公的なNHS病院に独立採算制を求め、医療の効率化の名のもとに医療費支出削減を断行した保守党の政策は、赤字病棟を閉鎖に追い込んだ。1985年には処方可能な薬の種類が制限され、1991年にはNHS内に市場原理を取り入れた新制度が作られた。競争や民間の手法を導入すれば、医療費をさほど拡大しなくても効率化が進み、医療の質が高くなると期待したが、その制度では公平なアクセスに障害を引き起こし、不必要なサービスを生じる側面もあり、長期の投資不足とあいまって、待機時間の長期化、深刻な医師不足、医療サービスの質低下等の危機的状況に陥った。1997年以降の労働党内閣はその制度を廃止し、競争よりも協力的で組織的な方法に変更した。2001年にはブレア首相が、医療スタッフ不足を解消して待機期間を改善するために、それまで先進諸国の中で最低レベルであった医療費支出を他の先進国並みに上げるという、保守党の政策とは正反対のプランを表明した。これにより待機期間の短縮など、ある程度の成果を上げているが、2005年には再び延長に転じるなどの面もある。
 このように、NHS創設後60年余りの歴史は、「無料で医療サービスが受けられる」という当初の理念を維持するために、時代遅れとなったNHSの改革を推進しようとする労働党と、一部有料化や民営化への転換を目論む保守党との綱引きであった。しかしながらいずれの政党の政策も十分な改善には至っていない。    

次号へつづく

■群馬保険医新聞2014年8月号