先日、朝日新聞の「声」欄に20代の若者の投書が掲載された。「若者がもっと政治に関心を持たなければ日本の将来が心配だ」という意見への反論として「若者は政治に無関心なわけではない」というタイトルであった。
内容は、憲法解釈で集団的自衛権の行使を認めるという閣議決定や特定秘密保護法の制定があったが、これらは若者の将来に影響力が強いから当然関心はある。しかし何か意思表示のために集会やデモに参加したり、パンフレットをもらったり配ったり等の行動を起こすと、就職活動に不利になるのではないか、という不安があり、意思表示が出来ないのだという。私はこれを読んで唖然とした。もうここまで来ているのか、という思いである。
現政権に逆らったら変なやつと思われはしないかという雰囲気が世の中にあれば、若者はその匂いを敏感に感じ取るに違いない。多くの人たちは、一部の権力者たちが憲法解釈を閣議決定で勝手に変え、企業の利益を優先した雇用制度の規制緩和を推進する状況をおかしいと感じている。それでも政治には民意が反映されない。若者だけを責められるだろうか。
昨年末の衆議院選挙では、自民公明が圧勝して政権を守った。だが実際は、自民公明が最大多数ではなく、棄権した有権者が最大多数であった。与党に拮抗する新しい政党なり仕組みなりを作れないのだろうか。民意を反映しない選挙による議院内閣制そのものが良くないとも言えるが、それに変わる良い仕組みがなかなか見つからないのもまた事実である。
若い新人には資金がなく、養うべき家族もあり、企業と対立する行動をとれば職を失いかねない。先の若者が言ったように、体制に反対の意思表示をすれば、就職に不利になるかもしれない。となれば政権を握るのは旧態然、大企業と関連した富裕層、親やボスから選挙地盤を引き継いだ人たちばかりで、いつまで経っても政治は変わらない。
それならどうするか。やはり選挙制度は大きな問題の一つだと思う。以前から言われている小選挙区制の改正。しかし国会議員は、自分の不利になるようには変えない。三権分立の司法が、裁判で違法としたのだから、これに従わない場合は議員失格の罰則を科すとか、懲役何年かの刑罰を与えたらどうであろう。それはともかく、実行可能な改正案を示して、迅速に実行してもらいたい。
人は、時代の状況に大きな影響を受ける。戦時中は特にそうだ。「国のために壮絶な最期を遂げる英雄」「国の誉れ」「国への忠誠」「英雄の死を悼む涙」「危機存亡の時」「尊い自己犠牲と忍耐」、これらの感動的な言葉が、実は人を戦争に追いやる。逆に戦争反対派には、「卑怯者」「臆病者」「非国民」「厄介者」「自分勝手」など、いやな言葉が向けられる。このような言葉が学校、職場、町内、そして家庭内に満ちた時、果たして誰が戦争反対の態度を表明できるだろうか。戦争は一度足を踏み入れると、なかなか止められない。戦争へ踏み出してしまう前に、反対の声をあげなければならない。
最後に一つ提案したい。老若男女、子どもも、おばさんも、おじさんも、皆でそれぞれの平和地球憲法草案を書いてみよう。例えば、「世界の戦争をなくすため、武器の製造をしない、買わない、売らない、持たない、どうしても戦うなら素手で戦う、公平な審判者を立てる、テレビ中継をして世界中に実況放映しなければいけない、降参した相手は殺してはいけない、殺してしまった者やルールを守れない者は1年分の食料を持たせて無人島へ島流しとする…… 」など、荒唐無稽ではあるが、まずはそれぞれ自分で考えた憲法草案をしっかりと心の中に持って、政治に目を向けることが重要ではないだろうか。
(前会長 柳川洋子)
■群馬保険医新聞2015年2月号