―歴史を学び評価するのは、どのような未来を作るか考えるため―
「戦争」とか「平和」を論じることは、これまでの日本社会であれば、学校の授業や酒を飲んだ時の議論など、よほど特殊な状況のもとでしかなかったと思われる。普段から真摯に考えてきた方々にとっては失礼な言い方かもしれないが、多くの医師たちにとって、日常的なテーマではなかっただろう。
今、法律家ばかりでなく、多くの分野で活動している人々や主婦、小学生から大学生までもが、戦争放棄の憲法のもと、70年近く戦争の当事国にならないできた日本が、戦争のできる国にさせられようとしていることに危機感を抱き「戦争はダメ」と声を上げている。
これまで、海外のデモの様子は、ニュースなどでも扱われたが、日本国内のデモ(今はパレードというらしいが)は、何万人集まろうと取り上げられることはなかった。それがこの夏、全国各地の「戦争反対」をテーマにした集まりや、政府の方針を支持する集まりが伝えられるようになった。多くの国民の関心事になっていることは確かだ。
―私たち医師は、このような時代に黙っていてよいのであろうか―
日本の医師は、開業医制を軸にしながら、地域住民のために献身的な努力を積み上げ、大きな社会的信頼を得ていた。日本に併合された朝鮮半島や中国東北部(満州)に従軍した医師たちも少なくなかったが、戦時体制のもとで、意に反した行為を求められた場面が多く指摘され、「医の倫理」から見ても大きな問題が残された。
その代表的なものが、731部隊などの軍事医学の研究機関や占領地域の陸軍病院であった。満州医科大学や九州帝国大学などには、何万人ともいわれる人々を、実験の材料や手術の練習台にして殺害したという事実の証拠、関わった当事者の告白などが残されている。
若干の例をあげる。もっとも有効な生物兵器として開発したものにペスト蚤がある。「蚤の繁殖法と、ネズミを通じて蚤を感染させる方法について」は、膨大な数の研究が行われた。当時少年隊員だった篠塚良雄氏はこの実験に関わり、自身が5名を殺害したと述べている。また、炭疽菌の感染経路と死亡までの日数の研究では、皮下注射で7日、経口・経口撒布・経鼻で2~4日という結果を得ている。水だけ飲ませる耐久実験では、普通の水では45日、蒸留水では33日間生存した等の詳細な記録が学術論文として残っている。抵抗した医学者も知られている。生理学者・横山正松氏は、上官から腹部に銃弾を受けた際の治療薬開発を命じられ、中国人捕虜に対して銃による腹部貫通実験の指示を受けるが、即座に拒否すると、銃弾飛び交う最前線に派遣された。
これらは、一連の研究のほんの一部であるが、彼らが戦犯とされないためには、実験データをすべて米国に渡すことが交換条件であったようだ。731部隊員の調査にあたったエドウィン・ヒルの報告文には次のように記されている。「調査の結果集められた証拠の情報は、われわれの細菌戦開発にとって貴重なものである。(略)このような情報は人体実験につきまとう良心の呵責にさいなまれて我々の実験室では得られないものである。このデータを入手するためにかかった費用は25万円であり、実際の研究コストに比べればほんのわずかの額にすぎない、貴重な資料。」
ナチ党支配下のドイツでは、「安楽死法」計画が実施され、医師の手によって、精神や身体に障害を持った人々を「生きる価値のない存在」とする大量殺戮や強制的な断種が行われた。そのことについて、ドイツでは2010年、精神医学精神療法神経学会の総会において、会長が謝罪表明を行い、談話「ナチ時代の精神医学―回想と責任」を発表している。
日本国内では、1942年、日本医師会に対し、「国民医療法」が施行され、組織の目的を「国民体力ノ向上ニ関スル国策ニ協力スル」目的の団体と規定されるようになった。1949年には、世界医師会に加入するため、医師会長協議会で「戦争中の残虐行為を非難・糾弾する」との文書を決定したが、世界医師会でどのような議論がされているかの紹介は日本醫師會雑誌では報告されず、その後もこの件の解明には消極的と思われる。
「“侵略”の評価は将来の歴史家の議論に委ねる」という国会での安倍首相の答弁があるが、歴史に学び今何をなすべきかを考えることが、政策決定者には強く求められる。多くの国民がこのテーマに関心を持っている今こそ、国のあり方を議論するチャンスであろう。
【参考文献・図書】
▽「戦争と医学」西山勝夫著(文理閣)
▽「戦争と医の倫理」―同題パネル展示と国際シンポジウム資料集
▽15年戦争と日本の医学医療研究会会誌
▽「死の工場」シェルダン・ハリス著、近藤昭二訳(柏書房)
(副会長・深沢尚伊)
■群馬保険医新聞2015年9月号