●投票率
今年7月10日に迫った参議院選挙。衆議院も含めて、これまでは政党が政策を訴え、国民の投票行動を通じて、国民の代表としての国会議員を選出してきた。1889年の大日本帝国憲法のもとで行われた選挙では、衆議院と貴族院の2院があり、後者は、高額納税者などの任期制の議員と皇族などの終身任期の議員で構成されていた。1925年に普通選挙制となり、納税額に関わらず、25歳以上のすべての男子に選挙権が与えらた。女子も含めた現在の制度は、1946年に公布された日本国憲法の基本理念に基づいたものである。
日本の場合、乱立を抑制するための供託金が高額なため、豊富な資金がないと立候補できない面もあるが、政策を共有する者同士が政党を作り、国民からの支持の割合で議員を配分する方法がとられてきた。しかし、国民の意思を表明する選挙への参加は、低下傾向にある。総務省の報告では、前回の参議院選挙の投票率は全体として53%、60歳台では最大の68%の投票行動を示しているが、20歳台では33%と、3人に2人は選挙での意思表示をしていない。
●政党・団体主導から市民個人の訴えが政党に影響をあたえる選挙
王政・封建制から、民主的な政治社会への変化を進歩、発展と考えるならば、国民の多くが意思表示をし、それに基づいた社会の方向を目指すには、選挙で多くの国民の意向が示されないのは由々しき状態だと思う。原因を考察するのは、別の場に委ねるとして、意思表示をしなくても、国民の生活はそこそこで、特に困ることはなかったか、我慢、許容の範囲だったのかもしれない。そう思うのは、この1年の国内の若者や子育て世代の、社会に向けてのメッセージを受け取るのが日常になってきたからである。
国民のデモがマスコミで報道されることは、めったになかった。若い協会会員は、記憶にないであろう「安保条約」関連の節目に、国会周辺が騒然とした、「あの時」以来といっても言い過ぎではないかもしれない。当時のデモ会場は労働組合などの団体旗で埋まり、上部の支持で「動員」されて参加したものが大半だったのではないだろうか。私自身は、予備校生として東京に住んでいたので、ラジオから流れる国会周辺のニュースを聞いて、自主的に参加したものだが、そんなのはかなりの少数派だろう。
今では、国会周辺のみでなく群馬のような地方でも、さらに言えば前橋・高崎に止まらなく、小規模ではあるが示威行為が見られるようになった。民主主義の意識が高揚してきたというのではなく、生活困難や戦争参加への危機意識が、現実のものとして捉えられるようになったのだと思う。今のままでは、自分たちだけでなく、子どもたちの将来に責任が持てないという、いたたまれない気持ちが、特に子育て世代の思いなのだろう。
どのような思いを持って、日本がどのような国になって欲しいのか、デモに参加する人の数が、国民の意思を表しているのではないという意見もあるし、それを数字的な裏付けを持って反論するのも困難であろう。どのような意見を持っているにせよ、現在の日本で国民に求められているのは、選挙で意思表示をすることであり、投票率が半数にも満たないようなことはあってはならない。
選挙制度のために、議席数は、国民の意向と必ずしも一致しない部分もあるが、とにかく意思表示をして、それに基づく政策決定がされることを求める。
(副会長 深澤尚伊)
■群馬保険医新聞2016年5月号