医療の目的は、患者の治療と、人々の健康の維持もしくは増進(病気の予防を含む)とされる。これは、日本医師会の『医の倫理綱領』注釈の記載である。健康が維持できれば長寿を得るはずで、寿命は健康の度合いを数値化した指標のひとつである。医療の質は予後の改善を示す長寿によって評価することが可能である。
「○○すれば必ず長生きできる」という単純化された主張は、ほぼ例外なく科学的ではない。科学的根拠に乏しい、俗説としての長生きの秘訣は枚挙にいとまがない。早寝早起き、よく噛む、たくさん水を飲む、毎日梅干し湯を飲むなどの説が典型的である。飲食に関わるものも数多く、前述のほか、黒にんにく、青汁、納豆、黒酢、玄米、はちみつ、チョコレート、ココナッツオイル、活性水素水などがあり、時に消費ブームを起こす。
世界に目を向ければ、ブラジルのアサイー、ガラナ、カシャーサ、ポルトガルのバカリャウ、オリーブオイル、赤ワイン、ドイツのザワークラウトやハーブティー、ビールなどを挙げることができる。これら3か国のすべてに共通するのは、伝統的な食品や適度な飲酒が長生きの鍵であるという通俗的信念である。
伝統的食品はその地に住む人にとって文化的な安心感と信頼感を伴うキーワードであり、長寿や健康と結びつきやすい存在である。新潟県には酒造りの伝統が根付いており、良い酒を少しずつ飲む、地元の清酒は水が良いから体に良い、杜氏には長寿の人が多いといった信仰に近い俗説がある。食品と違い、飲酒に関しては国内外を通じて少量を推奨し、大量摂取という説は見当たらない。大酒が健康を害することは自明で、飲みたい欲求と飲酒の罪悪感が入り混じる複雑な心境が垣間見える。
では、科学的根拠のありそうな長生きの秘訣にはどのようなものがあるだろうか。毎日笑うこと、野菜をたくさん食べる、適度な運動を続ける、社会とのつながりを持つ、良質な睡眠をとる、趣味を持つといった説は疫学研究などに基づくものであり、個人的な見解ではない。
これらの説が唱える行動が純粋に長生きにつながるかどうかを証明するには対象群を設けた介入試験が必要である。運動習慣に関して運動という介入をした研究は多数あるが、運動しないという対象群と二重遮蔽した上での比較はできない。運動したかどうかは簡単に区別できてしまう。地中海食や不眠に対する認知行動療法の介入試験もないわけではないが、対象群のために偽の地中海食や偽の睡眠は用意できない。
このような限定的な研究手法を評価すると、統計学・疫学の視点からの整理で、以下のようになる。Bradford Hillの因果基準(疫学で因果推論に用いられる基準)のうち、一貫性、時間的関係、生物学的蓋然性、量反応勾配(dose-response)などには強く合致するが、その一方、実験的証拠(実験の厳密性)については制限を有する。したがって、これらの介入は最も信頼できる観察的証拠として医学的ガイドラインに採用されるものの、厳密な実験科学(薬剤RCT)の基準での証明とは異なるという位置付けに留まる。
喫煙に関しては、禁煙プログラムやニコチン置換療法のRCTが多数存在し、寿命延伸・疾病予防の有効性を示している。禁煙とは前述した特定の飲食物を新たに習慣化するというような行為ではなく、現実に害が証明されている物質を回避する行動である。何かを始めるのではなく、止めるという点において介入の性質が全く異なる。
俗説に共通する飲酒は、消化吸収やアルコール代謝が機能することによって可能である。飲酒可能な状態であるのだから、体調不良で飲酒不可能な者より健康なはずで、長生きするのは自然である。この観察事実が介入研究にも影響を及ぼす。
喫煙可能ならば呼吸機能を保っていて、不可能な者より健康度は高い。したがって長寿となるはずが逆の結果をもたらすのであるから、喫煙が害となっていることは明白である。禁煙の介入試験が求めるものは、喫煙の害を証明するレベルのことではなく、介入による改善の度合いである。
運動習慣や睡眠に介入した試験もあるが、運動や睡眠は古来ヒトが誰に教わることなく行ってきたことで、どちらも不足すること自体に問題がある。不足が寿命を縮めるのであって、増やすことが寿命を延ばすと考えるのは不自然である。
特定の飲食物や行為の導入で寿命を延ばすことは容易でなく、禁煙や運動習慣、十分な睡眠によって、縮めない方針を取ることはたやすい。簡単に寿命を延ばそうとする心理には悪癖を改めず、安直な解決策を求める主体性の欠如が存在する。長生きの秘訣は正面から自分に向き合い、寿命を縮めない意識を持つことであろう。
(研究部・医科 本澤龍生)