EBMと患者参加型医療の未来

群馬大学大学院医学系研究科 医療の質・安全学講座 教授

群馬大学病院 医療の質・安全管理部長

小松 康宏 

1.はじめに

 自らの限られた経験や先入観にしばられた判断ではなく、可能な限り最良の科学的エビデンスに基づいて判断するというEvidence Based Medicine(以下、EBM)は、21世紀医療の大前提であり、診療ガイドラインに沿った診療をすすめることは社会に対する責任でもある。EBMが登場して30年経過したが、EBMに対する正反対の誤解がいまだにはびこっている。一つは、「エビデンス至上主義」ともいえる、ガイドラインを金科玉条のごとく盲信する医師、対極はEBMを画一的な医療とみなし、患者中心の医療と両立しないと思いこんでいる医師である。ここで、EBMが登場した歴史的背景を振り返りつつ、EBMの未来を考えてみたい。

2.基礎医学研究のエビデンスから臨床研究のエビデンスへ

 20世紀後半は、医学が飛躍的に発展し、病態解明、診断・検査法、治療薬の開発がすすんだ時代である。しかし、動物実験で有効な治療薬が人に対しても有効とは限らないし、病態生理に基づく推論が、予想通りの結果をもたらすとは限らない。心筋梗塞後に不整脈の出現回数が多いほど死亡リスクが高いので、抗不整脈薬によって不整脈を抑制すれば死亡率が減るだろうと考えて実施されたCAST試験は、予想に反し、抗不整脈投与群のほうが対照群よりも死亡率が有意に高かった(1)。1980年代には、貧血患者に輸血しHbを高めに維持したほうが予後が改善すると考え、輸血基準をHb 10g/d、Ht 30%とする10/30ルールがあったが、現在、このルールを使う医師はいない。推論よりも臨床研究によって示されたエビデンスを重視する時代になったのである。

 今や情報過多の時代である。医学知識の量が倍になる速度は、1950年代は50年、1980年代は7年、2010年は3.5年であったが、2020年は73日である(2)。一人の医師が、最新の医学情報をすべて理解することは到底不可能である。そこで専門外の領域でも標準的な医療をすすめることができるように、医師の決断を支援するものとして診療ガイドラインが作成された。診療ガイドライン作成方法も進化し、「専門家」が自分たちの経験を協議して作成するGOBSAT(Good Old Boys Sitting Around the Table)の時代から、システマティック・レビューに基づき、エビデンス総体を評価し、推奨の強さを決定するGRADEやMINDS方式が採用される時代となった。

3.EBMとは何か、EBMの実践に必要なスキルは何か

 EBMを提唱したSackettは、「EBMは個々の患者のケアに関する決定を下すときに、最善のエビデンスを良心的、明示的、思慮深く用いることである。EBMは臨床的経験、患者の価値観、利用可能な最良の研究情報を統合する。臨床上の意思決定に質の高い臨床研究を用いる社会運動である。」と定義した(3)。国立がん研究センターのホームページをみれば、「(EBMとは)「個々の患者の状態や医療が行われる場の特性」や「患者の希望や価値観」、「最善の科学的根拠」を把握し、「医療者の専門性」を考え合わせて治療方針を決定していく医療のことです。」と書かれている(4)。さらに、EBMの大家であるGuyattは米国医師会雑誌発行の「EBMマニュアル」の中で、EBMの実践に必要なスキルとして、「患者の価値観や選好を引き出し、患者と協議による意思決定を行う能力」をあげている(5)。すなわち、EBMが目指すものは、エビデンス至上主義や画一的医療ではなく、エビデンスを個々の患者にあわせていく医療である。臨床上の決定を下すにあたって、「最良のエビデンス」+「医療者の経験」+「患者の価値観・希望」をあわせ、患者にとって価値ある医療・ケアを提供しようとするものである。EBMの対極にあるものは、基礎医学、臨床医学の成果や患者の気持ちを軽視する、「経験至上主義」かつ「パターナリズム」である。

4.EBMの実践に必要なもの:患者参加と共同意思決定

 医学的に妥当な複数の選択肢の中から、患者の希望に合致するものを選択することは容易ではない。特に多疾患併存の高齢患者では、医師も、患者や家族も決めることは難しい。こうした中で重視されてきたのが共同意思決定(Shared Decision Making)である。侵襲的な処置を実施するにあたって、患者がそれを承認するというインフォームド・コンセント(IC)は不可欠であるが、ICに至るプロセスとして、医療者が医学的情報を示すだけでなく、患者の価値観や選好を共有し、医療者と患者が協働して最良の選択肢を探ろうとするものである。治療方針決定に患者が主体的に参加するという「患者参加型医療」の要であり、SDMは理想のインフォームド・コンセントとみなすことができる。

 EBMには正反対の2つの誤解があると述べたが、誤解が生じた理由がある。EBMの発展とともに、文献を批判的に吟味し、エビデンス総体を評価するといった臨床疫学の手法は発展したが、エビデンスを個々の患者に適用するプロセスに関する研究や実践が進まなかったのである。Guyattらは、「EBMの進歩:四半世紀」と題する論文の中で、今後25年の課題として、診療現場で、効率的に、医療者と患者の両者が活用できるSDM実践ツールを提供することを指摘した(6)。現在、筆者は「腎臓病SDM推進協会」の代表幹事として、腎臓・透析医療におけるSDM手法の開発と普及に努めているところであり、基礎・臨床研究の成果を現場の医療につなぐ必要条件の一つが、共同意思決定を含む患者参加型医療があると考えている。

5.おわりに

 最良の医学知識を活用し、患者にとって価値ある医療・ケアを提供することが、EBMの実践であり、医療の質の一要素である。群馬大学病院が推進している患者参加型医療は、EBMと共同意思決定を新たな段階に高めるものである。

文献

(1) Echt DS, et al. Mortality and morbidity in patients receiving encainide, flecainide, or placebo. The Cardiac Arrhythmia Suppression Trial. N Engl J Med. 324(12):781-8, 1991

(2) Densen P. Challenges and opportunities facing medical education. Trans Am Clin Climatol Assoc. 2011;122:48-58

(3) Sackett DL,et al. Evidence-based medicine: what it is and what it isn’t. BMJ,312: 71-2, 1996

(4) 国立がんセンター。がん情報サービス用語集。https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/modal/kagakutekikonkyo.html

(5) Guyatt G. EBMとは何か。医学文献ユーザーズガイド。EBMマニュアル。3版。相原守夫(訳)。中外医学社 2015(原本JAMA)

(6) Djulbegovic B, Guyatt GH. Progress in evidence-based medicine: a quarter century on. Lancet. 390(10092):415-423, 2017