睡眠負債と働き方
今年の夏はいつになく暑く長い夏で、エアコン無しでは眠れぬ日々が続いた。
人間が心身の健康を保つために必要な睡眠時間は20歳~59歳では1日平均6~9時間、60歳以上では6~8時間とされている(日本睡眠学会)。また、18歳~64歳は6時間未満、65歳以上では5時間未満の睡眠で健康に対するリスクが高まるとの指摘がされている(米国睡眠財団)。
厚生労働省の『国民健康・栄養調査(令和元年度版)』によると、20歳以上の男性の37.5%、女性の41.6%の睡眠時間は1日平均6時間未満とされ、40%近くの日本人は睡眠時間に問題があるとの結果が示されている。
「寝食を惜しんで」或いは「寝ずに頑張る」といった言葉もあるが、周知のとおり睡眠は、身体的・精神的な疲労回復、免疫力や記憶力に影響する、必要不可欠な現象である。しかし現代社会において仕事や趣味、娯楽などに時間が割かれ、睡眠時間が削られる傾向にある。厚生労働省の調査においても仕事、家事、スマートフォンやゲームに熱中すること等が睡眠不足の原因として挙げられている。
睡眠不足は、単に眠気や倦怠感を引き起こすだけではなく「睡眠負債」という状態をもたらす。
睡眠負債とは、「sleep debt」の直訳で必要な睡眠時間に満たない睡眠を繰り返すことにより、睡眠不足が蓄積される状態を指す。長時間の連続勤務や不規則な勤務形態による睡眠不足、さらに睡眠時無呼吸症候群や歯ぎしりなどの睡眠障害による睡眠の質の低下によって引き起こされる。
睡眠負債が蓄積すると、認知機能・判断力の低下、作業能力や注意力が低下する。また、心血管疾患や糖尿病などの生活習慣病の発症リスクを高めることが知られている。更に、睡眠負債は精神的ストレスを増加させ、うつ症状やバーンアウト(燃えつき)の原因となる。患者さんには睡眠障害の診断・治療を行うことで、睡眠負債の蓄積を防ぐことは可能であろう。
厚生労働省の調査によると、勤務医の平均的な時間外・休日労働は月約80時間、一日平均睡眠時間は約5.5時間とある。また、深夜や早朝に勤務することで、生体リズムが乱れ、睡眠の質も低下する。
医療従事者の睡眠負債は健康やパフォーマンスに悪影響を及ぼすだけでなく、日常の診療において医療過誤や倫理観の低下など、医療の質や安全にもリスクをもたらすと考えられるため、個々人の問題だけではなく、患者さんや社会に対しての影響を考える必要がある。睡眠負債を原因とし、医療過誤発生のリスクが上昇してしまう事は、患者さんの医療に対する信頼や安心感を損なう結果となる。医療現場の雰囲気やスタッフとのチームワークにも悪影響を及ぼすであろう。
そこで必要なのは、医療従事者の働き方改革と睡眠管理の支援である。来年4月1日から施行される改正医療法により、医師に対する上限規制が適用されることになっている。これは、医師の過重労働を是正し、適切な睡眠を確保するための一歩となりうるだろう。
しかし、上限規制だけでは不十分であると考える。自身の健康管理や睡眠習慣の見直しにも心がけることが必要であり、医療機関、行政の支援もまた不可欠である。
医療機関は、勤務時間や休日を適切に管理しタスクシフト・タスクシェアの実現を図り、効率的な業務分担の推進を行う。行政は、睡眠負債に関する啓発や教育を行い睡眠医療や産業医療などの専門家との連携強化を図る。
睡眠負債を改善するためには、睡眠負債を理解し、適切に対処することが重要である。また、改正医療法による働き方改革にも注目し、自身の健康を守るための適切な労働時間管理を心がけることが求められる。自分自身の睡眠を大切にし、患者さんにも良い睡眠を伝えることが、我々と患者さん双方にとって良い結果をもたらすであろう。睡眠負債を減らすために、一人ひとりが意識を高め、社会全体で取り組む必要がある。(会員拡大部 瀧川正志)