病院、診療所は無料検査所や格安薬品店ではない
診療にかかわる当事者は黙示的な契約を結んでいる。当事者とは、医療機関の開設者と患者もしくはその代理人である。診療契約に関して民法上の類型論争に終止符を打ったとは言えないが、契約であることに異論の余地はない。契約は当事者一方の申し込みと他方の承諾で成立する(民法522条1項)。診療契約の場合、申し込みは通常患者が行う。自ら意思表示が不可能な重症者の場合は客観的に診療が必要な状況であることは明白なので、無言であっても診療を申し込んだと解せる。
診療は契約に基づいて行うのであるが、さて次のような場合はどう考えればよいだろう。保育所を利用している子どもが発熱し、保育所職員から保護者に「手足口病とプール熱が流行っているから病院に行ってその検査をしてきてほしい」との電話連絡があった。保護者は勤め先を早退し、子どもを連れて来院、受付で「手足口病とプール熱の検査をしてほしい」と話した。この場合、保護者は何を申し込み、医療機関とどんな契約を結ぶことになるのだろうか。
療養担当規則は、「検査は、診療上必要があると認められる場合に行う」と定めている。必要かどうかは診察によって判断するのだから、受付ではわからない。保護者の要望を診療の申し込みと受け取って、診察し、必要な検査と判断できれば行って問題はない。しかし、手足口病やプール熱は身体的所見によって診断可能である。そして治療法の選択に迷うことは少ない。そうなると診察の結果、検査は不要と判断することになり、保護者の要望に沿わない事態に進んでしまう。検査をすることを前提に診療すれば、療担規則から逸脱し保険診療の扱いはできない。そして保護者の要求そのままに診察、診断をせずに検査のみ行うなら、症状があっても治療はしないことになる。
この問題の発端は保育所職員の指示である。保育所は診療契約をどのように理解し、保護者に検査を勧めたのだろうか。発熱児に対し保育所職員が受診を指示するのは違法とまでは言えないかもしれないが、本来は提案あるいはせいぜい勧告にとどまるものであろう。まして、特定の検査を指示したり命令したりする権限はない。
医療機関を無料検査所と思っていないだろうか。
学校保健安全法による出席停止を運用するには、感染症の判断が必要である。その際、必要に応じて学校長は医師に診断を要請できるが、その医師とは学校医である(学校保健安全法施行規則第二十一条)。保育所の場合、厚生労働省告示による保育所保育指針には出席停止に関する規定はない。施設は必要に応じて嘱託医、市町村、保健所等に連絡し、その指示に従うことになっている。
医療行為の責任は医療機関にある。診療は100%医師自身の医学的判断に基づくからである。過誤が生じた場合、保育所の職員や保護者が求めたでは理由にならない。
「かぜをひいたので薬を出してほしい、熱があるから解熱剤も」という患者に遭遇する。薬剤の処方はまさに治療行為そのものであり、診察、診断が必須なのは言うまでもない。この場合も、診察や診断を省こうという要望であり、診療の申し込みはなく、診療契約には至らないと考えたい。
格安の薬品店と思われていないだろうか。
検査とは違い、要望のままに処方すれば患者に不利益が生じなくても違法である。無診察治療ともなると、保険医の立場は危うい。
もちろん、患者は自己決定権を有する。ただし患者の決定は医師の提示する選択肢に由来する。医療は高度な専門性を持つ医療者でなければ実践は困難であり、医師には検査、治療の選択などについて広範な裁量が認められている。
タクシーに乗った客は行先を告げるだけである。そして運転手の役割は安全に客を目的地に送り届けることである。客が運転を代わることはまずありえない。医師に検査や特定の薬剤処方を求めることは客がタクシーを運転することに相当する。
病院、診療所はコロナ禍で雨後の筍のように発生した無料検査所や格安販売の薬品店ではない。それらとの同一視を許容してはならない。
したがって来院時の受付での対応は重要である。契約はそこで成立する。来院の目的を初めに当事者双方が確認し、契約する内容を明白にしておく必要がある。診察室に入ってからの契約内容の変更は極力避けたい。それによって診察室での行為を保険診療、自費診療、検査、健康診断など明確に区分できる。
診療は膨大な知識と経験があって成り立つ。それらは国民全体の財産である。保育所職員の指示に従うままの検査や患者が求めるとおりの処方を行ったら、その財産を捨て去ることになる。それでは医師は無料検査所や格安薬品店の単なる飾りでしかない。(経営対策部 本澤 龍生)