日本の生殖医療の現状と問題点③
生殖補助医療(ART)の進歩と問題点
医療法人愛弘会 横田マタニティーホスピタル理事長 横田 佳昌
1978年イギリスでR.G.EdwardsとP.Steptoeにより、世界初の体外受精児が誕生し今年で44年目になりますが、この44年間で生殖補助医療は目覚ましい進歩を遂げてまいりました。その中で最も特筆すべき三大技術を挙げるとすれば、1つ目はやはり体外受精です。2つ目は1992年にG.Palermoが発表した1個の精子を卵細胞質内に注入する新しい顕微授精法(ICSI)です。このICSIの成功により重度の乏精子症でも妊娠が可能となりました。そして3つ目が受精卵の凍結保存技術です。
1984年にG.H.Zeilmakerは世界初の凍結胚移植による出産を報告しました。しかし、その後15年間は緩慢凍結法が続き、妊娠率も10%台と低迷しておりました。2000年に私共が、凍結保護剤のエチレングリコール(EG)とジメチルスルホキシド(DMSO)の2種類を世界で初めてヒトに応用した急速凍結法(ガラス化法)を、『Human Reproduction』というイギリスの医学雑誌に発表しました。この方法ですと、妊娠率が35%前後と従来の緩慢凍結法より極めて高い妊娠率となりましたので、またたく間に世界中に広まり、今や世界のスタンダードとなりました。この新しい凍結法の導入により、妊娠率の向上、多胎妊娠の減少、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)重症化の回避などの利点があります。
2019年の日本産科婦人科学会の治療法別(体外受精、顕微授精、凍結胚移植)出生児数の割合は、凍結胚移植が圧倒的に多く89.4%でした。2014年の国際生殖補助医療監視委員会(ICMART)の年次報告では、日本の凍結胚移植の妊娠率は世界でもトップクラスに位置しておりますが、採卵あたりの生児出産率は7%で世界76か国中最下位です(図1)。さらにこの最下位は数年続いております。
その原因として考えられることが3つあります。1つ目に日本のARTを受ける患者の高齢化、2つ目に日本は産科婦人科学会のガイドラインに従って単一胚移植が多いこと、3つ目に自然周期採卵が多いことが挙げられます。
2014年度ICMARTの報告によりますと、1つ目の「ARTを受ける患者の高齢化」は40歳以上が47.1%と諸外国に比べると高い傾向にあり、生産率が低い原因となっている可能性は否定できませんが、「34歳以下」「34~39歳」「40歳以上」での各年齢層別生産率を見ると、諸外国に比べそれぞれが極端に低いため、高年齢がすべての原因とは考えにくいです(図2)。
2つ目の「単一胚移植」はデンマーク、フィンランド、オーストラリアも日本と同様に単一胚移植が多い国ですが、それらの国の採卵あたりの生産率は日本よりはるかに高いことを考慮すると、単一胚移植が生産率を下げているとは考えにくいです。
3つ目の「自然周期採卵が多い」ということが最も大きな原因ではないかと思われます。外国のデータでは自然周期採卵の妊娠率は採卵当たり7%、生産率は4%ともいわれており、日本産科婦人科学会のデータ(2017年)では、自然周期採卵において移植も凍結もできない割合はほぼ60%となっています。自然周期採卵がいかに生児獲得に至らない治療法であるかがわかります。
自然周期採卵を推奨する医師たちは、毎月排卵する1個の卵子は刺激して得られた多数の卵子より質が良いことを主張していますが、近年その考え方は否定されています。また、それらの医師たちは「原因不明不妊(卵管も精子も正常であるが妊娠しない)の原因は卵管の卵子ピックアップ障害である」とし、すべてARTの適応としている施設が多いですが、当院のデータでは原因不明不妊の患者の60~70%は一般不妊治療で妊娠しているため、この考え方も間違っていると思われます。
近年、世界はしっかりと刺激をして多数の卵子を採取し、余剰胚は凍結保存し、後日排卵周期またはホルモン補充周期に1つずつ融解し移植する方向に向かっています。世界で自然周期採卵をこれだけ多く実施している国は日本だけです。2017年の日本のART集計では自然周期採卵は25,000件報告されていますが、おそらく実際はその数倍実施されていることと思います。今年4月からの不妊治療の保険適用化を受けて、その実態が明らかになってくるのではないでしょうか。イギリスでは国立医療技術評価機構(NICE)が「自然周期の体外受精は女性に提案しないこと」と明記しています。さらに自然周期採卵は保険適用から除外されています。日本もイギリスのように国家や学会がこの事実を再確認し、刺激周期へ移行していくよう指導していくべきではないかと思われます。今回の保険適用と相まって自然周期採卵がさらに増大し、日本の生殖医療が危機的な状態になることを私は危惧しています。
ここで、胚移植をする前に染色体や遺伝子を調べ、その胚が正常か異常かを調べる着床前診断(PGT)について説明します。PGTには3種類の方法があります。(1)PGT-A:染色体の数的異常を検査し、反復着床不全、習慣性流産の原因を調べる検査です。(2)PGT-SR:染色体の構造異常(転座、重複、欠失等)を検査し、習慣性流産の原因を調べる検査です。(3)PGT-M:単一遺伝子疾患を調べる検査です。
これらのPGTにより流産は明らかに減少します。また、妊娠に至るまでの期間が短縮しますが、採卵当たりの全体の生産率はPGTをしてもしなくても変わらないとの報告もあります。PGT検査で正常胚だけを移植しても生産率は50~70%にとどまっております。その原因としては、検査のために胚盤胞の細胞を採取することで胚へのダメージが起こる可能性も指摘されておりますが、その他子宮内の着床環境が悪いことも考えられます。近年この着床環境に対する検査も行われるようになりましたが、詳細については紙面の都合上割愛させていただきます。
最後になりますが、群馬県の小さなクリニック(2000年当時)が発表した新しい胚の凍結法が世界のスタンダードとなり世界中の不妊女性に福音をもたらすことができたことは、私にとってこの上ない喜びであり、誇りでもあります。
図1 採卵あたりの生産率<新鮮胚>(「国際生殖補助医療監視委員会 2014年年次報告」より抜粋)