草津よいとこ薬のいでゆ

社会医療法人輝城会 吾妻脳神経外科循環器科

院長 久保田 一雄

 表題は上毛カルタの一枚である。上州人だけでなくほとんどの日本人は何の疑いもなく温泉は身体に良いと信じている。本当にそうなのだろうか?

 私は長い間、群馬大学医学部附属病院草津分院(平成14年閉院)に勤務し、設立目的である温泉の医学的作用について研究を重ねてきた。私たちの研究グループのテーマは「温泉を科学する」で、たくさんの実験を通して草津温泉が真に薬のいでゆ(温泉)なのかを先入観を持たず科学的に客観的に検討した。

1.温泉とは?真水とどう違うのか?

 温泉というと何か特別貴重な宝水と思いがちである。実際には、温泉水と真水とに大きな違いがあるわけではない。温泉水は温泉法で定義されていて、簡単に説明すると、地中から湧出する泉水で、泉水には温水と鉱水がある。温水とは水温が25℃以上で、鉱水とは1kgに何らかの物質が1g以上溶けているか、または水素イオンなどの決められた18種類の物質のいずれか1種類以上がそれぞれの基準量以上含まれているかである。そして温水でも鉱水でも、両者であっても温泉である。本邦の温泉の約25%はほとんど何も溶けていない温水で単純泉に分類され、下呂温泉や湯布院温泉が有名である。また、どんなに冷たくても鉱水なら温泉である。しばしば冷たい温泉を鉱泉と呼ぶこともあるが、基本的には温泉と鉱泉は同義語である。

2.草津温泉

 草津温泉は湧出温度が90℃以上で温水であり、溶存物質は約1.7g/kgで水素イオンなどのたくさんの物質が含まれているので鉱水でもあり、正真正銘の温泉である。ちなみに海水の塩分濃度は30g/kgで、イスラエルの死海の塩分濃度はその10倍の300g/kgである。生理的食塩水のそれは9g/kgである。温泉の溶存物資がいかに少ないかはおわかりいただけたと思う。

 さて、草津には江戸時代の終わり頃から「時間湯」という高温泉浴が伝わっている。昨今、その存続を巡って話題になった入浴法である。元々は集団で、47℃の高温泉に1回3分、1日4回時刻を決めて入浴する。入浴には伝統的な作法があり興味深い。私たちはこの時間湯を研究対象に選び、高温泉浴の身体に及ぼす影響を検討した。詳細は省くが、高温泉浴は体温、血圧、心拍数を急激に上昇させる。また、血小板の形態を変化させ凝集能を高め血栓形成を促進し、その上血栓を溶かす線溶活性を低下させる。これらの研究から高温泉浴は非常に危険な入浴法であるとの結論に達した。

3.アトピー性皮膚炎、乾癬

 温泉地には皮膚疾患の患者さんが集まる傾向がある。草津分院にもそのような患者さんからの問い合わせが多くあり、皮膚科専門医の協力を得て、私たちは成人型アトピー性皮膚炎と乾癬の患者さんに対する草津温泉療法の効果を検討した。草津温泉療法と言っても1日2回の温泉浴(42℃、1回10分)と通常の保湿剤塗布だけである。

 成人型アトピー性皮膚炎131例中106例(81%)で皮膚症状が改善し、そのうちの77例(73%)でかゆみも改善した。皮膚症状の効果判定は視診で行ったが、血清LDH値と好酸球数の変化から裏付けられた。かゆみは自覚症状なので効果判定は難しいが、私たちは眠れるか眠れないかでかゆみに対する効果を客観的に判断した。この結果、臨床的には草津温泉浴は成人型アトピー性皮膚炎の皮膚症状やかゆみの改善に効能ありと結論した。

 次にその作用機序を研究した。黄色ぶどう球菌はアトピー性皮膚炎の原因物質ではないが、悪化因子の一つである。草津温泉療法の開始前、中、後に皮膚表面の黄色ぶどう球菌の推移を調べたところ、皮膚症状改善例では黄色ぶどう球菌が減少したが、不変例では変化が見られなかった。これらの成績から草津温泉水の殺菌効果が推定され、続いてin vitroで草津温泉水の殺菌物質の研究を進めた。草津温泉水には水素イオンなど10種類の陽イオンと硫酸イオンなど5種類の陰イオンが含まれている。それらのイオンの色々な組み合わせを細かく調べた結果、水素、マンガン、ヨウ素の3イオンが草津温泉水の殺菌効果に重要な働きをしていることを突き止めた。つまり成人型アトピー性皮膚炎に対する草津温泉療法の作用機序は皮膚表面の黄色ぶどう球菌に対する殺菌作用によると考えた。この研究成績はスウェーデンの皮膚科専門医学誌に掲載されている。長い温泉医学の歴史の中で温泉の医学的効能が科学的に証明された初めての研究である。私たちは草津温泉が真の薬のいでゆであることを証明できて嬉しく思うとともに誇りに思っている。

 草津温泉療法は成人型アトピー性皮膚炎に対して有効であるが、その効果は一時的で完治させることはない。私たちはその作用機序を解明したが、このような患者さんに草津温泉療法を勧めるものではない。今、アトピー性皮膚炎に対しては新しい有効な治療薬が次々に開発されている。皮膚科専門医を受診され、最適な治療を受けられることを推奨したい。

 乾癬に対しても草津温泉療法を行った。24例中20例(83%)で皮膚症状は改善したが、残念ながらその作用機序は明らかに出来ていない。

4.温泉の効能

 温泉に行くとその効能が掲示されている。例えば、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進というように。温泉好きの方には申し訳ないが、この掲示は全国共通、どこの温泉の効能も同じである。これらの中で、科学的に許されるのは神経痛、筋肉痛、関節痛くらいで、リウマチに効くことはない。病後回復や疲労回復は自覚の問題で、健康増進について科学的根拠はない。

 温泉の間接作用に総合的生体調整作用(私が提案した作用)がある。温泉地に行くと気分がリフレッシュされて元気が出るというような作用で、一種の転地効果である。多くの人は都会に住んでいるので温泉地に行くことは非日常で転地効果は抜群である。逆に、温泉地に住み、働いている人は都会に行くことが非日常でそれもまた転地効果になる。温泉地の住民が健康的で長寿であるとの客観的データもない。

5.おわりに

 温泉に出掛けたら、温泉地の環境に親しみ、温泉浴でゆったりし、その地域のお酒や、料理を味わうなど大いに「温泉」を楽しんでもらいたい。今や、医学は急速な進歩を遂げ、各臓器どころかヒトをも作り出すことも出来る。そもそも温泉の効能とは医療資源の少なかった昔の人にとっての夢と願望であったに違いない。