RSウイルス(RSV)は2歳までにほぼ全員が感染するありふれたウイルスであるとともに、乳児の細気管支炎や肺炎の主要な原因でもある。とくに生後6か月未満では重症化しやすく、毎年流行期には多くの乳児が入院する。重症肺炎や無呼吸を伴う症例では集中治療が必要となり、死亡例も報告されている。

 注目すべきは、重症化例の多くが「もともと健康だった乳児」である点だ。早産児だけの問題ではなく、正期産で出生した児でも重症化しうる。乳児は気道が細く、わずかな炎症でも気道閉塞を起こしやすいため、呼吸状態が急激に悪化することがある。哺乳低下や陥没呼吸をきたし、短時間で入院が必要になる例も少なくない。

 RSV感染症では、酸素投与や輸液管理といった支持療法が治療の中心となる。特異的治療薬は限られており、発症後の介入には自ずと限界がある。また流行期には入院症例が増加し、小児科病床の逼迫につながることもあり、医療現場への負担も小さくない。そのため、重症化してから治療するのではなく、発症前の予防という視点が重要となる。

 これまでRSV重症化予防としては、早産児や基礎疾患児を対象としたモノクローナル抗体製剤が中心であった。しかし対象は限定的であり、健康に出生した乳児の重症化を十分に防ぐことは難しかった。

 こうした中、2026年4月から妊婦へのRSVワクチンが公費負担の対象となり、日本でもマターナルワクチン普及の第一歩が踏み出された。

 マターナルワクチンとは、妊婦にワクチンを接種し、母体で産生された抗体を胎盤移行によって胎児へ届けることで、免疫機能が未熟な乳児を感染症から守る予防戦略である。出生直後の乳児は自ら十分な免疫応答を形成できず、この時期の感染防御は主に母体由来抗体に依存する。そのため出生後に乳児本人へワクチンを接種しても、生後早期の感染リスクを十分に抑えきれない場合がある。妊婦へ接種し、胎盤移行抗体によって出生直後から免疫を成立させるという戦略は、この“免疫の空白期間”を補う意味を持つ。

 海外ではマターナルワクチンの導入が進んでいるが、日本では妊婦へのワクチン接種は限定的であった。代表的なのが百日咳予防を目的とした三種混合ワクチンである。米国などでは妊娠ごとの接種が推奨されているが、日本ではまだ一般的な定期接種には含まれていない。

 百日咳は乳児期早期ほど重症化しやすく、無呼吸や死亡例も報告される感染症である。一方で、年長児や成人では軽症の長引く咳として経過し、診断されないまま感染源となっている可能性も指摘されている。このように、家庭内や周囲からの感染を通じて乳児へ伝播する構造が存在する。そのため海外では、「乳児を守るために妊婦へ接種する」という考え方が標準となっている。

 今回のRSVワクチン公費化は、日本においてマターナルワクチンの概念が広がる契機となりうる。妊娠中のワクチン接種に対しては不安を抱く妊婦も少なくないが、感染症そのものが母体・胎児へ与える影響も踏まえ、リスクとベネフィットを丁寧に説明していくことが重要である。接種を単なる「自己予防」ではなく、「出生後の児を守る医療」として捉える視点が求められる。

 妊婦へのRSVワクチン公費接種は、これまで限定的であった周産期ワクチン戦略に新たな選択肢を加えるものである。海外で一般的となっているマターナルワクチンの考え方が、日本でも制度面・臨床面の双方から定着していくことが期待される。

(研究部・医科 白石知己)